『追憶file.美月アリス⑼─底の見えない女─』
──作戦指令室 メインコンソール。
ジョージがフレデリカと対峙していた頃。
翔は凄まじい勢いでキーボードを叩き、次々とウイルスコードを除去していた。
「これで……最後だ……!」
タンッ!
最後のキーを小気味よく叩くと、翔は大きく息を吐いた。
「ふぅ……この僕にコンピューターの勝負を挑んでくるなんて、身の程知らずなやつだね」
そう言うと、翔は傍らに置いてあったジュースを手に取り、一口飲む。
「さてと……ジョージのフォローをしなくちゃ」
翔はそう言って、停止していた監視カメラの映像を再起動させた。
──だが。
画面が映し出された直後だった。
ザー……ザー……ザー……ザー……。
再びモニターにノイズが走る。
「な……なんで!?」
翔は慌てて画面を確認する。
「今、ウイルスコードは全部除去したはずなのに……!」
何度確認しても、原因が分からない。
だが除去したはずのウイルスコードが再び侵食していたのだった。
そのときだった。
リィィィィン!
突然、翔のスマートフォンが鳴り響いた。
画面を見ると、相津からの着信だった。
「もしもし! 相津!?」
〈ああ。どうした、いきなり!?〉
切羽詰まった翔の声に、相津が少し驚く。
「今どこにいるの、相津!?」
「柏木さんから連絡があって、ジョージが留置場に行ってるんだけど、ウイルスコードが入ってきて……とにかく大変なんだよ!」
〈落ち着け、翔……〉
相津は冷静な声で翔を宥める。
〈俺はもう警察庁の近くまで来ている。大まかな状況は柏木から聞いて、俺も把握してる〉
〈だから、ゆっくりでいい。今の状況を詳しく教えてくれ〉
「う、うん……!」
翔は相津に、これまでの経緯を詳しく説明していく。
そして相津もまた、柏木から聞いたフレデリカの情報を翔へ伝えた。
〈……侵入者の正体は、フレデリカで間違いないだろう〉
「ハッキングして僕も調べたけど、『今代における大怪盗』って書いてあったよ」
〈そうか……〉
相津は一度、考え込む。
〈翔……おそらく、そのウイルスコードもフレデリカが仕掛けた罠だ〉
「え?」
〈お前は『時限式』だと言ったな?〉
〈だが、おそらく正確には『時間制限付き』のウイルスコードだ〉
「どういうこと?」
翔が不思議そうに聞き返す。
〈一定の時間内だけ、ウイルスコードが無尽蔵に生成され続ける仕組みだ〉
〈お前がどれだけ除去しても、次から次へと新しいウイルスが発生する〉
「そんな……」
〈その代わり、設定された時間が経過すれば、ウイルスは自動的に消滅するはずだ〉
〈そう長くはもたないはず、おそらく……一時間から二時間程度だろう〉
相津の言葉を聞いた瞬間、翔の顔が青ざめる。
「それって……」
「僕の手を止めさせるために仕掛けた罠ってこと?」
〈十中八九、そうだろうな……〉
「……!」
翔は愕然とした。
「僕は……まんまと罠にハマったってことか……」
肩を落とす翔。
そんな翔に、相津はすぐさま声をかける。
〈おいおい。落ち込むのはまだ早いぞ〉
〈どちらにしても、ウイルスへの対処は必要だったんだ。お前の判断は間違ってねぇよ〉
「相津……」
〈だから引き続き、時間が来るまでウイルスコードの除去を頼む〉
〈それと……並行して、もう一つお前に頼みたいことがある〉
「もう一つ?」
〈ああ〉
相津はそう言うと、翔へ指示を伝える。
それを聞いた翔は、しばらく黙っていた。
そして──。
「……うん。分かったよ、相津!」
「こっちは僕に任せて!」
先ほどまで落ち込んでいたとは思えないほど、翔の声には力が戻っていた。
〈頼んだぞ、翔〉
相津はそう言うと、通話を切った。
そしてスマートフォンをポケットへしまうと、警察庁の中へと入っていった。
──留置場 最奥の独房。
留置場の一番奥。
細く長い通路の先に、アリスが収容されている独房があった。
フレデリカは、その通路をゆっくりと歩いていく。
カツ……カツ……カツ……。
やがて通路の先へ辿り着くと、独房の中にいるアリスの姿が見えた。
「……!」
アリスもフレデリカに気づき、顔を上げる。
「フレデリカ……」
「ごめん……アタシ……」
「まったく……」
フレデリカは呆れたようにため息をつく。
「あれほど注意しなさいって言ったのに……」
そう言いながらも、その表情は優しかった。
そして、アリスの身体を上から下まで確認する。
幸い、目立った傷はない。
それを確認すると、フレデリカはホッとしたように微笑んだ。
「ここ、開けるから少し下がってなさい」
「うん……」
アリスは言われた通り、独房の奥へと下がる。
その瞬間だった。
ガコンッ!
「えっ!?」
突然、アリスの足元の床が開いた。
「わぁっ!?」
まるで落とし穴のように床が開き、アリスの身体がそのまま下層へ落ちていく。
「きゃあああああっ!」
そして──。
パタンッ!
床はすぐに閉じて元に戻った。
フレデリカは何事もなかったかのように、閉じた床を見下ろす。
すると──。
カツ……コツ……カツ……。
通路の方から、誰かの足音が聞こえてきた。
フレデリカが振り返る。
そこには、相津が立っていた。
その視線は、真っ直ぐにフレデリカを捉えている。
「悪かったな……」
相津は独房の床へ視線を向ける。
「ここは俺たち専用の独房でな」
「こんな面白い仕掛けがあるんだよ」
そう言うと、相津はゆっくりとフレデリカへ視線を戻した。
「さあ……」
一歩、前へ踏み出す。
「じっくりと話を聞かせてもらおうか」
相津の"眼"が、深紅に輝く。
「──『怪盗ファントム』さん……」
──下層エリア。
落とし穴の仕掛けによって下層へ落とされたアリスは、柔らかなマットの上にいた。
アリスはゆっくりと身体を起こし、辺りを見回す。
すると、そこもまた独房の中だった。
(……なるほど)
上の独房から、下の独房へ落とされたらしい。
「よう。大丈夫か?」
突然、声をかけられる。
アリスは声のした方へ顔を向けた。
独房の外に立っていたのは、自分を捕まえた男の一人だった。
「アンタ……あのときのオッサン……」
「おいおい、オッサンはやめてくれないか?」
柏木は苦笑する。
「まだギリギリ三十代なんでな」
アリスはそんな柏木を睨みつける。
「フレデリカをどうするつもり?」
「言っとくけど……」
アリスは鋭い目で柏木を見据える。
「アンタたちじゃ、フレデリカには絶対に敵わないわよ!」
すると柏木は、拍子抜けするほどあっさりと答えた。
「別に、どうもしねぇよ」
「ちょっと話をするだけだ」
柏木はそう言うと、近くに置いてあったパイプ椅子を持ち上げる。
「俺たちは、その間ここで大人しく待ってよーぜ」
そう言って、柏木は独房の前にパイプ椅子を置く。
そして何事もないかのように腰を下ろした。
「……」
あまりにも緊張感のない柏木を、アリスは訝しげに見つめる。
(……何なの、こいつら……)
──留置場 最奥の独房。
相津はフレデリカの一挙手一投足を見逃さないよう、『アイズ』を使って警戒していた。
万が一にも、隙を見せるつもりはない。
「フレデリカ……」
相津はフレデリカを見据えたまま、口を開く。
「お前が『怪盗ファントム』で、『美月アリス』がお前の養子だということは分かっている」
「アリスを解放しに来たんだろう?」
「俺の部下たちを手玉に取った腕は見事だった。俺のいない隙を狙ったのも、さすがと言うべきだ……」
「だが──少し詰めが甘かったな」
相津は一歩、フレデリカへ近づく。
「条件次第では、このままアリスを見逃してやってもいいが……」
「どうする?」
相津の言葉を、フレデリカは黙って聞いていた。
そして──。
「ふふっ……」
突然、フレデリカの肩が小さく震え始める。
「ふふふ……」
「あーっはっはっは!」
「……!」
相津は警戒を強め、フレデリカを見つめる。
だが、フレデリカは笑いながら言った。
「ふふっ……そんなに警戒しなくてもいいわよ」
そう言うと、耳にかかった髪を優雅にかき上げる。
「このあたしに条件を突きつけようとするなんて……」
「あまりにも久しぶりだったから、つい笑ってしまったのよ」
「いったい何十年ぶりかしら……」
フレデリカはゆっくりと呼吸を整える。
そして、相津を真っ直ぐに見つめた。
「それにしても……」
「あなた、少し自信過剰が過ぎるんじゃなくって?」
「……何?」
「別に、あなたがいないときを狙ったわけじゃないわ」
「たまたま、あなたがいなかっただけよ」
その言葉に、相津の眉がわずかに動く。
フレデリカはそんな相津を見ながら、さらに続けた。
「あたしにとっては、どんなに凄い力を持っていたとしても、みんな等しく一人の人間よ」
「そうは思わなくって……?」
その声音には、微かな笑みが含まれていた。
「特殊警備部隊公安第零課……」
「通称【Zero】」
「その実質的なリーダーである──」
「『相津真一』さん……」
「……!」
相津の表情が変わる。
しかし、フレデリカは止まらない。
むしろ、その反応を楽しむかのように微笑んだ。
「それとも……」
「あなたには、こっちの名前のほうがいいかしら?」
フレデリカの目が鋭くなる。
「──『オリジナルセンス』の一人……」
「『アイズ』くん……」
「…………!」
その瞬間。
相津の表情が、かつてないほど大きく揺らいだ。
フレデリカは、そんな相津の反応を静かに見つめていた。
「ふふっ……」
その微笑みは、まるで相津の動揺すらも見透かしているかのようだった。
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