『追憶file.美月アリス⑻─"怪盗ファントム"の実力─』
──柏木の自宅マンション。
翔との電話を終えた柏木は、急いで身支度を整えていた。
準備を終え、部屋を出ようとしたそのとき──。
プルルルル……プルルルル……。
スマートフォンが鳴り響いた。
「……こんな時間に?」
柏木が画面を確認すると、そこにはVelvetのマスターである山崎の名前が表示されていた。
柏木はすぐに通話ボタンを押す。
「もしもし、柏木です」
〈こんな夜中にすまないね、柏木君〉
「いえ、大丈夫です。私も緊急事態で、今から警察庁へ向かうところでした」
〈そうなのかい? では、手短に話すよ〉
山崎はそう言うと、一度咳払いをした。
〈例の『美月アリス』という女性の素性についてだが……ようやく手掛かりが見つかってね。いろいろと分かったよ〉
「本当ですか!?」
半ば諦めかけていた柏木は、思わず声を上げた。
〈うん、本当だよ。偶然ではあったが、大まかな素性は分かった〉
山崎はいつもと変わらない、落ち着いた口調で話を続ける。
〈結論から言うね〉
〈『美月アリス』とは、ドイツを拠点に盗みを生業としている泥棒だ〉
「ドイツ……」
柏木が小さく呟く。
山崎はさらに続けた。
〈日本人の父親とドイツ人の母親を持つハーフで、両親は彼女が幼い頃に亡くなっている〉
〈そして、そんな彼女を引き取り、育てた女性がいる〉
〈名前を『フレデリカ』という〉
「フレデリカ……」
山崎は静かに言葉を続ける。
〈実はね、この二人の昔の写真を入手したんだ〉
〈その写真を見たとき、僕はどこか見覚えがあるような気がして、過去の資料を調べてみたんだ……〉
〈『フレデリカ』という女性は、僕が現役だった頃に、とある事件で一度だけ関わっていた〉
山崎の声が少しだけ低くなる。
〈彼女は泥棒の業界では、知らない者はいないほどの大怪盗だ〉
〈その異名は──『怪盗ファントム』〉
「……!」
柏木が目を見開く。
山崎はさらに衝撃的な事実を告げる。
〈そして『美月アリス』は、彼女の養子であり……弟子でもある〉
「なるほど……。だから、アリスの情報が何も出てこなかったのか」
〈おそらくね〉
山崎が答える。
〈フレデリカによって、『美月アリス』に関する情報は徹底的に隠されていたのだろう〉
〈でも、数年前からアリスも単独で活動するようになったらしい〉
〈今では裏の世界で『二代目怪盗ファントム』と呼ばれている、という噂まであるそうだ〉
柏木は黙って話を聞いていた。
そして山崎は、最後に忠告するように言った。
〈柏木君、気を付けるんだよ〉
〈『美月アリス』を捕らえたということは……もしかしたらフレデリカが動くかもしれない〉
〈フレデリカ……『怪盗ファントム』は、泥棒としての技術だけではない〉
〈あらゆる事柄に精通している、とても危険な人物だ〉
〈十分に注意してくれ〉
「……分かりました。ありがとうございます、山崎さん」
柏木はそう答えると、通話を切った。
「…………」
スマートフォンを握ったまま、柏木はしばらく考え込む。
そして──。
「……『怪盗ファントム』か……」
柏木はそう呟くと、すぐに玄関へ向かった。
靴を履き、ドアを開ける。
「急がないと……」
柏木はそのまま、警察庁へ向かって走り出した。
──作戦指令室 メインコンソール。
翔はジョージを起こして状況を説明すると、すぐに留置場へ向かわせた。
その後、自身はメインコンソールの前に座り、監視カメラの映像を確認しながらジョージのフォローに入る。
〈翔、留置場に来たが、特に変わった様子はねぇぞ〉
留置場に到着したジョージから、無線で翔へ連絡が入った。
「了解。今、監視カメラの映像をチェックしてるから、ジョージは出入口をふさいで少し待ってて」
翔の通信を聞き終えると、ジョージは準備運動でもするかのように、その場で身体を動かし始めた。
一方、翔はメインコンソールに映し出された複数のモニターを、素早く確認していく。
「ジョージ、奥の三十番台と四十番台の独房の通路で、一人ずつ人が倒れてる」
「おそらく、柏木さんから連絡を受けて確認に来た本庁舎の人たちだ……」
翔がさらにモニターを確認していく。
すると、四十五号房のカメラに何者かの姿が映し出された。
女性らしきその人物は、カメラに気づいているのか、笑いながらこちらへ向かって手を振っている。
(バカにしやがって……)
翔の表情が険しくなる。
「ジョージ! 四十五号房に──!」
翔が言いかけた、そのときだった。
ザー……ザー……ザー……ザー……。
メインコンソールのモニター画面に、突然ノイズが走った。
そして、一つ、また一つと画面が消えていく。
(えっ!? これは……)
翔はすぐさまキーボードに手を伸ばす。
カタカタカタカタカタカタッ!
高速でキーを叩きながら、画面に表示されたコードを解析していく。
「時限式のウイルスコード……。いつの間に……」
翔の声に、ジョージが反応する。
〈おい、どうした翔!? なんかあったのか?〉
しかし翔は答える余裕もなく、ひたすらキーボードを叩き続ける。
(くっ……)
(ウイルスコード自体は大したことない……)
(でも、数が厄介だ……)
(後回しにしてたら、メインコンピューターまで侵食されちゃうかもしれない……)
(時間がかかるけど僕が対処するしかない……!)
そのとき、再びジョージの大きな声が響いた。
〈おい、翔!何があったんだ!〉
翔はキーボードを叩きながら答える。
「監視カメラのシステムから複数のウイルスコードを打ち込まれた……!」
「このまま放っておくと、警察庁のメインコンピューターまで侵食される可能性があるから、僕が対処する!」
「ごめん……。しばらくジョージのサポートができないけど──」
翔が言い終える前に、ジョージが遮った。
〈何言ってんだ、翔!それはお前にしかできないことだろ?〉
〈だったら、謝る必要なんかねぇ!こっちは俺に任せろ!お前はお前のやるべきことをやれ!〉
その言葉に、翔の手が一瞬だけ止まる。
【Zero】に加入して、まだ半年ほど。
翔は、自分が仲間の足を引っ張ることを極端に恐れていた。
だからこそ、ジョージの何気ない一言が、翔の心を大きく救った。
もちろん、ジョージにはそんな意図などない。
ただ、素直に心から出た言葉だった。
翔もそれを分かっている。
だからこそ、その言葉が嬉しかった。
「……うん」
翔は再びキーボードを叩き始める。
「ジョージ、映像が途切れる直前、四十五号房に侵入者がいた!」
「罠かもしれないけど……そっちはお願い!」
〈はっ! 上等だぜっ!〉
ジョージは不敵な笑みを浮かべると、ポキポキと指を鳴らした。
「ウイルスコードを除去したら、僕もすぐにサポートに戻るから!」
翔はそう言うと通信を切った。
そしてジョージは、四十五号房へ向かって走り出した。
──留置場 四十五号房。
ジョージは四十五号房へ到着すると、独房の中を見渡した。
しかし、そこには誰の姿もない。
「誰もいねぇ……」
ジョージは独房の中へ入ると、隅々まで確認していく。
天井、床、ベッドの下。
壁に隠し穴がないかまで丁寧に調べたが、それらしいものは何も見つからなかった。
ジョージは最後に監視カメラへ視線を向ける。
そのときだった。
カチャリ。
背後から、独房の格子扉が閉まる音がした。
「……!」
ジョージが振り返る。
そこには、金髪のショートボブが印象的な中年の女性が立っていた。
年齢は四十歳前後だろうか。
それほどの年齢には見えないほど美しく、どこか気品すら感じさせる女性だった。
「侵入者ってのは、てめぇか?」
ジョージはそう言うと、女性の背後へ視線を向ける。
すると、対面にある独房の扉が開いていた。
(なるほど……)
ジョージはすぐに状況を理解する。
(囚人になりすまして、向こうの独房に潜んでやがったのか)
「あら?」
女性はクスクスと笑う。
「閉じ込められたっていうのに、あなたは随分と余裕なのね……」
それを聞いたジョージは、不敵に笑った。
「はっ! こんな檻ごときで、俺を閉じ込められるわけねぇだろ!」
「俺を閉じ込めたけりゃ、分厚いコンクリートの檻でも用意するんだな!」
ジョージはそう言うと、格子扉へ向かって勢いよく駆け出した。
そして──。
ドカァァァン!
凄まじい衝撃音とともに、格子扉が吹き飛んだ。
「……!」
だが、次の瞬間。
ジョージが格子扉を破壊した勢いを利用し、金髪の女性がその身体を掴んだ。
「なっ……!?」
女性はそのままジョージの身体を軽々と投げ飛ばす。
(は……?)
ドガァン!
ジョージは対面の独房へ叩き込まれ、壁に背中を強く打ちつけた。
「ぐっ……!」
ジョージは目を見開いた。
自分より遥かに小柄で華奢な女が、自分の巨体を投げ飛ばした。
その事実に、ほんの一瞬だけ思考が止まる。
だが、すぐに立ち上がると、ジョージは身構えた。
(追撃が来る……!)
案の定、女性がこちらへ近づき、手を伸ばしてくる。
「舐めんなぁ!」
ジョージはその手を払い、強烈なカウンターパンチを放った。
しかし──。
女性はその拳を受け流すと、再びジョージの勢いを利用した。
「なっ……!?」
腕を掴まれた瞬間、ジョージの巨体が宙を舞う。
くるりと身体を回転させられ、そのまま床へ叩きつけられた。
ドガァン!
(これは……合気道……)
床に倒れたジョージは、ようやく相手の技術に気づいた。
(外国人のくせに、なんでこんな……)
その直後だった。
腕にチクリとした痛みが走る。
「……っ!」
ジョージが腕へ視線を向ける。
そこには、いつの間にか注射針が刺さっていた。
「てめぇ……何を射ちやがった……!」
ジョージはすぐさま腕を振り払い、立ち上がる。
しかし、金髪の女性は楽しそうにクスクスと笑っていた。
「あなた……」
「『クレイジーモンスター』って呼ばれていた元軍人でしょ?」
「……!」
ジョージの目が見開かれる。
「なんでそれを……」
「ふふっ」
女性は意味深な笑みを浮かべた。
「あたしは何でも知ってるのよ」
「そんなあなたを相手に、正面からじゃ、さすがのあたしも敵わないわ」
「だから──」
女性はゆっくりとジョージへ歩み寄る。
「少しの間、眠っていてちょうだい」
「……!」
その瞬間。
ジョージの身体が大きくぐらついた。
「な、なんだ……これ……」
視界がぼやけ、意識が急速に遠のいていく。
「お前……睡眠薬を直接……」
それだけ言い残すと、ジョージの意識は途切れた。
ドサッ。
巨体が床へ倒れ込む。
女性は倒れたジョージを見下ろしながら、楽しそうに微笑んだ。
「だって、ここじゃ銃なんて目立って使えないでしょ?」
「それに、あなたは睡眠薬を嗅がせようとしたって、大人しく吸ってはくれないでしょうし」
そう言うと、女性はジョージを独房へ残したまま、格子扉に鍵をかけた。
そして何事もなかったかのように、留置場の奥へと歩いていった。
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