『追憶file.美月アリス⑶─親であり師匠─』
──BAR Velvet。
オフィスを出た柏木、相津、フレデリカの三人は、いったんホテルへ立ち寄って荷物を置いた後、Velvetへやって来ていた。
「まあ……なかなか素敵なところじゃない」
フレデリカは室内をチェックするかのように見渡した。
「このVIPルームは、警察関係者の中でも特別な人間しか使用できない部屋です」
「もちろん、盗聴などの心配も一切ありません」
柏木が部屋を見渡していたフレデリカへ説明する。
「今日は店を貸し切りにしていますから、他の客が入ってくることもありません」
「それにマスターは元警察官で、私の上司だった方です。ご安心ください」
柏木の説明を聞いたフレデリカは、満足そうに微笑んだ。
「そう……それなら安心ね」
フレデリカはそのまま席についた。
「……それにしても」
向かいに座った相津が口を開く。
「こんな手の込んだ真似までさせるってことは、ずっと保留にされてた"約束"を果たすために、あんたは来たってことでいいのか?」
柏木も続けて口を挟んだ。
「私も驚きましたよ、フレデリカさん……」
「メモを見たら、『三人で誰にも聞かれたくない話をしたいから、段取りしてほしい』とだけ書いてあるんですから」
「ふふっ、ごめんなさいね」
フレデリカは悪びれる様子もなく笑った。
「でも柏木……あなたは、もう少し嘘が上手くなった方がいいと思うわよ」
「それは同感」
相津も即座に同意する。
「おい……」
柏木が苦笑すると、三人の間に小さな笑いが起こった。
しばらくして、ドリンクと簡単な食事が運ばれてきた。
マスターが一礼して部屋を出る。
柏木はその背中を見送ると、ゆっくりと扉を閉めた。
そして──。
カチャリ。
内側から鍵を掛けた。
その瞬間だった。
フレデリカの表情から、先ほどまでの柔らかな笑みが消えた。
グラスに手を伸ばすこともなく、二人を真っ直ぐに見つめる。
「さて、それでは本題に入りましょうか」
「今回、日本を訪れた目的は、アリスの顔を見に来たというのもある」
「でも……」
フレデリカの声が低くなる。
「本当の目的は、あんたたち二人に、あの時の"約束"をもう一度確認するため……」
その口調は、先ほどまでの気品ある女性のものとは明らかに違っていた。
鋭い眼差し。
険しい表情。
そこにいたのは、優雅な外国人女性ではない。
かつて世界中の名だたる宝を盗み出し、『怪盗ファントム』と謳われた大怪盗。
その風格が、今のフレデリカには漂っていた。
相津も柏木も、黙ってフレデリカを見つめる。
フレデリカは二人を交互に見た。
「それと……もう一つ」
ほんの一瞬、間を置いて──。
「【SENSE】のことよ」
その名が出た瞬間。
部屋の空気が、一変した。
──一方その頃 【Zero】オフィス。
柏木、相津、フレデリカの三人がオフィスを出ていった後。
ジョージと翔も戻ってきたことで、会食に呼ばれなかったメンバーたちは、オフィスで夕食を囲んでいた。
今日の夕食は鍋だった。
「はあ……私もあっちに参加したかったな……」
レオは名残惜しそうにぼやきながら、取り分けられた鍋の具材を口へ運ぶ。
「いつまで言ってんのよ!」
アリスが呆れたように言いながら、ワインを口にする。
「どうせ堅苦しい会食でしょ?こっちの方が気楽でいいじゃない」
「しかし、まさかフレデリカが来てたとはなー」
ジョージは鍋を頬張りながら呟く。
「ハフハフ……」
「ちょうどよかったよ。僕、いないときで……」
翔も熱々の鍋を食べながら、どこかホッとした表情を浮かべていた。
「フレデリカさん、苦手だし……ハフハフ……」
「そういえば、ジョージさんと翔くんはフレデリカさんと面識があるのですか?」
心春が不思議そうに二人へ尋ねる。
「まあね」
翔が答える。
「アリスが【Zero】に入ったときには、僕たちはもうここにいたからさ」
「そうそう」
ジョージがニヤリと笑う。
「大変だったんだぜ、心春」
「翔なんか、フレデリカにビビって漏らしそうになってたんだからな!」
「ガハハハ!」
「そんなわけないだろ、この嘘つきゴリラ!」
翔が即座に反論する。
「だいたいジョージだって、フレデリカさんにコテンパンにやられて半ベソかいてたじゃないか!」
「なにぃ!?」
いつもの二人の言い争いが始まる。
しかし、それを横目にレオは鍋をつつきながら、少し真剣な表情を浮かべた。
「そんな凄いフレデリカさんと一緒にいたアリスが、いったいどういう理由で【Zero】に入ったんだい?」
「フレデリカさんが『怪盗ファントム』と呼ばれた大怪盗だったことは聞いているけど……」
レオは一度言葉を切った。
そして、昼間に見たフレデリカの姿を思い出す。
「ただ……」
「私には、フレデリカさんが単なる怪盗だとは思えない」
その言葉にアリスが黙り込む。
レオは静かに続けた。
「昼間、フレデリカさんの手を取ったときに気づいたんだが」
「手から……微かに匂いがした」
レオの表情が険しくなる。
「私たち殺し屋に近い──」
そこで一度、言葉を止める。
「……染みついた血の匂いがしていた」
その瞬間。
部屋から、鍋の煮える音すら消えたように感じられた。
「…………」
ジョージも。
翔も。
心春も。
そしてアリスも。
誰一人、口を開かなかった。
ただ一人、アリスだけが俯いたまま、静かに目を閉じていた。
しばらくの沈黙の後、アリスが静かに口を開いた。
「フレデリカの過去に何があったのか……アタシも詳しくは知らないわ」
「でもアタシは5歳の頃から、ずっとフレデリカと一緒に暮らしていたの」
「両親が亡くなってからは、親代わりになってアタシを育ててくれた」
アリスは少し遠くを見るような目をした。
「アタシにとってフレデリカは、育ての親であり……」
「泥棒としての師匠でもあるのよ」
そして──。
アリスは、【Zero】へ入ることになったきっかけを語り始めた。
「アタシが【Zero】に入ったのは……ある"交換条件"があったからなの」
◆
──約三年前。
翔が【Zero】へ加入してから、半年が経とうとしていた頃。
八月初旬。
日本は、ちょうどお盆休みを迎えようとしていた。
「はぁ~……何度来ても日本の夏はジメジメして暑いわね」
空港を歩きながら、アリスがうんざりしたように呟く。
「ドイツの方が、よっぽど過ごしやすいわ」
「文句ばっかり言ってないの、アリス」
隣を歩くフレデリカが、呆れたように言った。
「今回の仕事は、あんた一人でやってもらうんだから。しっかりやりなさいよ」
「分かってますよ~」
アリスは軽い調子で返すと、胸を張った。
「でも今回の依頼って、大して価値のない宝石なんでしょ?」
「警備だって大したことないんだし、アタシにかかれば楽勝よ」
「そういう台詞は、仕事を終わらせてから言いなさい」
フレデリカはため息をつく。
「それに今回は、あたしも用事があって同行できないから、あんたに任せたんだからね」
「はいはい」
アリスは少し不満そうに頬を膨らませた。
「別に、もう何度も一人で仕事してるし……」
「わざわざ同行してくれなくても大丈夫よ」
そして、ニヤリと笑う。
「巷じゃ、もう『二代目怪盗ファントム』なんて呼ばれてるんだから」
「フレデリカも、そろそろ安心して引退してもいいんじゃない?」
「……あんたねぇ」
フレデリカは大きなため息をついた。
二人はそんな言葉を交わしながら、空港を後にする。
このときのアリスは、まだ知らなかった。
この日本での仕事が──。
自分の人生を大きく変えることになるとは。
読んで頂き、ありがとうございます。
良ければ、ブックマーク、評価をお願い致します。




