幕間5『子守りミッション〜最強の相手は赤ん坊〜』
──とある日の【Zero】オフィス。
時刻は午前十時。
ジョージ、翔、レオ、アリスの四人はオフィスに来たものの、これといってやることもなく、休憩室でダラダラと時間を持て余していた。
「あー、暇だ……。なんか事件ねぇのかよ」
ジョージはソファーに座り、テレビのチャンネルを変えながらぼやく。
少し前にオフィスへやって来たレオは、冷蔵庫からペットボトルの水を取り出して一口飲むと、デスクの並ぶ部屋を覗き込んだ。
「今日は真一も孝治もいないのかい?」
レオが尋ねると、ソファーでスマホゲームに夢中になっていた翔が答える。
「相津と柏木さんは、今日は本庁舎で一日中つまらない会議だよ」
「なるほど。だから二人ともいないのか……。心春も一緒に会議かい?」
すると、畳の上でうつ伏せになりながら雑誌を読んでいたアリスが顔を上げた。
「心春は朝来たんだけど、同期の子に用事があるって、すぐ出て行っちゃったわ」
「なるほど……」
レオは納得したように頷く。
「それで君たちは暇を持て余して、こうしてダラダラしているわけだね」
「アンタも一緒でしょ……」
アリスは呆れたように呟いた。
四人がダラダラと時間を潰していると、入口のドアが開いた。
ガチャリ。
「ただいま、戻りました!」
心春の元気な声がオフィスに響き渡る。
すると、奥の休憩室から声が返ってきた。
「「「「おかえり~」」」」
心春が休憩室へ向かうと、そこには相変わらずダラダラしている四人の姿があった。
「みなさん、何やっているんですか?」
心春が尋ねると、四人はそれぞれ適当に答える。
「なーんもしてねぇよ」
「雑誌を読んでるけど、もう三周目よ」
「ゲーム」
「水を飲んでるだけかな」
四人の答えを聞いた心春は、パアッと目を輝かせた。
「ちょうどよかったです!」
そして、満面の笑みを浮かべる。
「みなさんに、ちょっと頼みたいことがあるんですよ!」
「「「「はい???」」」」
四人は一斉に心春へ視線を向けた。
その瞬間──。
四人の脳裏に、何となく嫌な予感がよぎった。
しばらくすると心春の後ろから、若い女性が赤ちゃんを抱いてオフィスへ入ってきた。
「実は、わたしの同期の子が産休と育休で休んでいたんですが、来月から復帰することになったんです」
「それで、復帰に必要な手続きをしている間、みなさんにこの子の面倒を見てもらいたいんですよ」
心春が事情を説明すると、女性は申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ございません。公安零課の方々に、こんなお願いをしてしまって……」
「この子は『カナ』と言います」
「カナちゃんは、とってもいい子ですよ!」
心春は四人に笑顔を向けると、今度は同期の女性へ向き直った。
「この人たちは何でもできる凄い方たちなので、安心して任せてください!」
そう言って、心春はドヤ顔で胸を叩く。
「それでは、よろしくお願いします!」
「えっ、ちょっと心春!?」
四人が困惑する間もなく、心春はカナを四人に預けると、そのまま同期の女性と一緒に部屋を出ていってしまった。
残された四人と、生後八か月のカナ。
そして──。
このあと【Zero】の精鋭たちを、史上最大の試練が待ち受けていることを、このときの四人はまだ知らなかった。
バタン──。
ドアの閉まる音が響く。
残された四人は、しばし無言で顔を見合わせる。
「で……どうするよ、これ」
「どうするって言ったって、もうやるしかないじゃないのよ」
「問題は、私たちが何をすればいいのか全く分からないという点だね」
「とりあえず、ググってみるよ」
四人が呆然と立ち尽くす中、その視線の先には──。
ソファーの上にちょこんと座り、物珍しそうに四人を見つめる生後八か月のカナがいた。
「「「「…………」」」」
四人はもう一度、赤ちゃんを見る。
そして、互いに顔を見合わせた。
「だぁぁ、ぶぅぅ、あぅあぅ」
カナはソファーの上で両手をバタバタさせながら、楽しそうに声を上げていた。
「とりあえず、鞄の中に何かないか見てみるよ」
レオはそう言うと、心春が置いていった鞄を開けた。
中には哺乳瓶やミルク、オムツにオモチャなど、赤ちゃんの世話に必要なものが一通り入っている。
「このオモチャなんか、いいんじゃないか?」
レオは鞄からガラガラを取り出し、カナに見せようとした。
その瞬間──。
「危ないっ!!」
レオが叫ぶ。
カナがソファーの端へ向かってハイハイしていた。
そして、その小さな体がソファーから滑り落ちようとした瞬間──。
ダッ!
ジョージが反射的に床へ滑り込み、カナの体を受け止めた。
「きゃっきゃっきゃっ!」
ジョージのお腹の上に乗ったカナは、何事もなかったかのように楽しそうな笑い声を上げる。
「あっぶね~……」
ジョージは寝そべったまま、額の冷や汗を拭った。
「びっくりしたわ……。急にハイハイするんだもの……」
「心臓が止まるかと思ったよ……」
翔とアリスも、力が抜けたようにソファーへ倒れ込む。
そんな二人を横目に、レオは先ほど取り出したオモチャを手に持ったまま口を開いた。
「とりあえず、誰か一人は絶対に目を離さないようにしよう」
「常に監視する体制を整えるんだ」
「……『監視』って言わないでくれるかしら」
アリスが呆れたように呟いた。
しばらくカナと遊んでいるうちに、四人も少しずつ慣れてきたのか、いつの間にか余裕が出てきていた。
「ベロベロベロベロ……ばぁぁぁ!」
ジョージが顔をクシャクシャにして変顔を披露すると、カナが楽しそうに笑う。
「キャハッ、キャハッ、キャハハハ!」
「どうだ、カナ!面白いだろ!」
ジョージが得意げに笑う。
その横では、アリスが膝の上にカナを乗せていた。
「これも面白いでしょー、カナ?」
翔がガラガラを振ると、カナは小さな手をパチパチと叩いて喜ぶ。
「ほら、こっちのほうがいいよねー、カナ?」
すると今度は、反対側からレオが人形を差し出した。
カナは人形を見つめると、欲しそうに手を伸ばす。
「おい、邪魔すんなよ、お前ら。カナは俺と遊んでるんだぞ」
「いや、どう見ても僕と遊びたがってるじゃん!」
「待て待て。カナはレディだぞ。君たちにはレディをエスコートする資格がないだろ?」
「なんで赤ちゃん相手に張り合ってんのよ……」
三人がカナを巡って言い争っていると、アリスが呆れたように呟いた。
「男どもがうるさいわね」
「ほんと、馬鹿な男どもは困っちゃいますねー、カナ」
アリスがそう言ってカナの顔を覗き込んだ、その瞬間──。
「……えっ?」
カナの表情が、みるみるうちに変わっていく。
「ふぇ……」
「えっ、ちょっ……」
「ふぇぇ……」
「わぁぁぁぁん!」
突然、カナが大声で泣き始めた。
「「「「えっ!?」」」」
四人は一斉に固まった。
さっきまで楽しそうに笑っていたカナの突然の号泣に、完全に不意を突かれていた。
「ちょっと、急にどうしたのよ、カナ?」
アリスが慌ててカナを抱き上げる。
「きっとアリスが変なこと言うから泣いちゃったんだよ」
翔がアリスを責める。
「変なこと言ってたのはアンタたちでしょ!」
「そんなことより、何とかしろよ。お前、女だろ?」
ジョージまでアリスに詰め寄る。
「女ってだけで赤ちゃんが泣き止むと思うな!」
三人が言い争っている間にも、アリスはカナを抱っこして必死にあやしていた。
頭を優しく撫でたり、ゆっくり揺らしたりしてみる。
しかし──。
「うわぁぁぁん!」
まったく効果はなかった。
「ごめん、アタシじゃ無理みたい……」
アリスは困ったように呟くと、レオへカナを預けた。
「レオ!」
「ほら!女の子を泣き止ませるなんて、アンタなら大得意でしょ!」
「いや、そうは言っても、カナはまだ"女の子"というより赤ちゃんだよ」
レオも困惑しながら、それでも何とかしようとカナを高い高いしてみたり、優しく声をかけたりする。
「ほーら、カナ。怖くないよ」
「うわぁぁぁん!」
「……すまない。私では力不足のようだ」
レオは申し訳なさそうにカナをジョージへ預けた。
「ジョージ!」
「えっ!?俺!?」
「女の子の扱いといったら、お前だろ?玲依のお世話をした実績があるじゃないか」
「いや、玲依はもっと大きかったけど……」
ジョージは困りながらも、必死にカナをあやす。
「ほら、カナ!俺だぞー!」
変顔をしたり、舌を出したり、ありとあらゆる方法を試してみる。
しかし──。
「うわぁぁぁぁん!」
「おいおい、余計に泣いてるぞ」
「ゴリラの顔だから怖いんじゃないの?」
翔が呆れたように言う。
「わりぃ……俺にはこれが限界みたいだ」
ジョージは諦めると、翔へカナを差し出した。
「翔!」
「ぼ、僕!?」
「ああ。お前もカナと似たような赤ちゃんだから大丈夫だろ?」
「それ僕を馬鹿にしてるだけじゃん!」
「はっ倒すぞ!このクソゴリラがぁぁぁぁ!」
翔がブチ切れて叫ぶ。
その様子を見ていたレオとアリスが、堪えきれずに吹き出した。
「ぷっ……あはははは!」
「はははっ!ジョージ、それは言い過ぎだろ!」
すると──。
今まで大声で泣いていたカナが、突然ピタリと泣き止んだ。
「……え?」
四人が一斉にカナを見る。
するとカナは、翔の怒鳴り声と三人の慌てふためく姿がよほど面白かったのか──。
「きゃっ、きゃっ、きゃははは!」
今度は楽しそうに笑い始めた。
「「「「…………」」」」
四人は呆然とカナを見つめる。
「……もしかして」
翔が恐る恐る呟く。
「僕が一番、赤ちゃんを笑わせるの上手いんじゃない?」
「「「それはない」」」
「なんでだよ!!」
四人が言い合っていると、入口のドアが開いた。
ガチャリ。
「ただいまでーす!」
元気な声とともに、心春が戻ってくる。
その後ろから同期の女性も顔を覗かせた。
「すみません、みなさん。本当にありがとうございました」
女性がカナを抱き上げると、四人へ改めて礼を述べる。
「カナちゃん、お兄ちゃんお姉ちゃんたちにいっぱい遊んでもらったみたいですね」
「だぁ……」
カナはすっかり機嫌を直し、笑顔を浮かべていた。
その様子を見て、四人は力なく笑う。
「はは……まあ、何とかなってよかったわ……」
「うん……本当にね……」
「これで任務完了ってことでいいだろ……」
「……同感だ」
四人はそれぞれ疲れ切った様子で呟いた。
そして──。
女性と心春がカナを連れてオフィスを後にした。
──その日の夕方 【Zero】オフィス。
心春の同期の女性が、お礼として持ってきてくれたケーキを、相津、柏木、心春の三人で食べていた。
「うまいな、これ」
「本当ですね。
"美味しかったです"って伝えておきますね」
柏木と心春がケーキを食べていると、ふと柏木が休憩室の方へ目を向ける。
「あれ?そういや、あいつらは食べないのか?」
「せっかく頂いたケーキなのに」
心春が苦笑する。
「あはは……。なんか、どっと疲れたから後でいいって言ってました」
「情けねぇなぁ。赤ん坊の世話くらいでへたりやがって」
相津がわざと休憩室に聞こえるよう、大きな声で言った。
すると──。
「……聞こえてるわよ、真一」
休憩室からアリスの弱々しい声が返ってきた。
「でも、もう怒る気力もないわ……」
「同感だね……。暗殺の仕事でも、こんなに疲れたことはないよ……」
レオもソファーに横たわったまま答える。
「僕なんて徹夜で仕事したときと同じくらいの疲労感があるよ……」
翔もぐったりとした様子で呟いた。
そして最後に──。
「……最強の相手だったぜ……」
ジョージが天井を見つめながら、遠い目をしていた。
四人は誰一人としてケーキを取りに来ようとはしない。
どうやら今日一日で、完全に力を使い果たしたらしい。
──こうして最強の相手との戦いを終えた四人は、その日しばらくの間、休憩室から立ち上がることができなかった──
おしまい
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