『争奪MISSION ⒀─おかえり─』
──アリスが屋上から飛び降りる数分前。
建物へ侵入した相津は七階へ到達すると、インカムに向かって同じ言葉を繰り返していた。
『俺を信じて、海の方へ飛び降りるんだ』
返事はない。
それでも相津は、一度も言葉を止めなかった。
やがて笠井の部屋へ辿り着き、窓際まで駆け寄った、その時──。
ザザッ。
〈……アンタのこと……信じてる〉
インカム越しに、アリスの声が届く。
相津は静かに息を吐き、天井を見上げた。
その表情には、わずかな安堵が浮かんでいた。
「アリス、状況は把握している」
「だから手短に伝える」
「さっき言った通りだ」
「俺を信じて、海の方へ飛び降りろ」
相津の瞳が赤く輝く。
《アイズ》──。
【Zero】専用のインカムは一定範囲内であれば、壁や天井といった遮蔽物が存在していても《アイズ》の能力によって、その位置を正確に視認することができる。
相津は島へ侵入してから、その"眼"でずっとアリスを追っていた。
赤い瞳が、屋上に立つアリスの位置を捉える。
「俺が笠井の部屋からタイミングを合わせて飛び出す」
「だから、お前は迷わず飛べ」
「必ず俺がお前を受け止める!」
──現在。
パラシュートに揺られながら、相津とアリスはゆっくりと海へ降下していた。
ふと、アリスが顔を上げる。
「そうだ、真一!まだセリーナが屋上に──」
慌てるアリスに、相津は穏やかに笑って空の一点を指差した。
「心配するな。あれを見てみろ」
アリスが視線を向ける。
そこには、大きく翼を広げたハングライダーが青空を滑るように飛んでいた。
飛んでいるのは──セリーナ。
「いつの間に……」
アリスは思わず目を見開く。
相津は小さく笑った。
「ははっ。俺たちも、まんまと騙されたな」
その言葉に、アリスも自然と笑みをこぼす。
「ふふっ……そうね」
「あの子も、もう立派な怪盗だもの」
遠ざかっていくハングライダーを見つめながら、アリスは小さく呟いた。
「……今度会った時は、容赦しないからね」
「セリーナ」
青空を滑る白い翼は、やがて水平線の彼方へと消えていく。
アリスはその姿が見えなくなるまで、いつまでも静かに見つめ続けていた。
海面が近づいてくる。
その時、一隻のボートが勢いよくこちらへ近づいてきた。
ボートの上では、ジョージと翔が大きく手を振っている。
柏木とレオの姿もあった。
そして操縦席には、心春がいた。
相津とアリスは静かに海へ着水する。
すぐにボートが横付けされ、ジョージとレオが二人を力強く引き上げた。
「二人とも、無事でよかった」
柏木が安堵したように声をかける。
「こっちは全員ピンピンしてるぜ!」
ジョージは豪快に笑い、力こぶを見せつけた。
「誰かさんのせいで、僕は何回も死ぬかと思ったけどね……」
翔が呆れたように肩を落とす。
「ははっ、それも含めて無事なら上出来さ」
レオは大きく背伸びをし、空を見上げた。
穏やかな空気がボートを包む。
すると、操縦席から心春が立ち上がり、二人の前まで歩いてきた。
にっこりと微笑み、優しく口を開く。
「おかえりなさい……」
その一言に、相津とアリスは顔を見合わせた。
そして、どちらからともなく笑みを浮かべる。
「「ただいま」」
青く澄み渡る空の下。
仲間たちを乗せたボートは、静かな波を切りながら島を後にした。
──数日後 【Zero】オフィス。
データチップを奪還した【Zero】は、東京へ戻るとすぐに防衛省へチップを届けた。
現在、柏木と相津は警察庁長官へ任務完了の報告のため、本庁舎にいる。
その間、残るメンバーはオフィスでお茶を飲みながら、のんびりと二人の帰りを待っていた。
「すげぇな、この小さなケース!」
ジョージは手にしたコンパクトケースをあちこち眺める。
「叩いても殴っても、びくともしねぇぞ!」
「ちょっと!」
アリスが慌ててケースを取り返す。
「アンタが触ると、本当に壊れそうだからやめてくれない?」
それは、ファンデーションのコンパクトケースに偽装された、小さなケースだった。
外側には、猫のシールがいくつも貼られている。
「しかし、よくこの中にデータチップが入ってるって分かったね」
レオはケースを手に取り、不思議そうに眺めた。
「屋上じゃライトも使えなかったんだろう?」
アリスはふっと笑う。
「これと同じコンパクトケースを、アタシも持ってるのよ」
「師匠からもらった特別製」
「耐久性、耐水性、耐熱性──全て兼ね備えたハイパーコンパクトケースよ」
「怪盗をやってた頃から、小さくて壊れやすい物を運ぶ時は、いつもこれを使ってたの」
「もちろん、セリーナもね」
あの後──。
帰還するボートの上で、アリスは柏木へこのケースを手渡した。
ケースからチップを取り出しライトを当てると、『Defense』の文字が浮かび上がり、それが本物だと判明したのだった。
「それだけで本物が入ってるって決めつけたの?」
翔は呆れたように肩をすくめる。
「やっぱり知能が胸に吸い取られてるんじゃない?」
バシッ!
「いたっ!」
アリスの手刀が翔の頭に炸裂した。
「減らず口を叩くんじゃないわよ」
翔が頭を押さえながら抗議し、アリスが得意げに笑う。
そんな二人を見て、ジョージたちは声を上げて笑っていた。
ちょうどその時だった。
ガチャリ。
オフィスの扉が開き、柏木と相津が戻ってきた。
「あ、お帰りなさい。柏木さん、相津さん」
心春が笑顔で二人を迎える。
柏木と相津も軽く手を上げて応えると、それぞれ席に着いた。
柏木はゆっくりと立ち上がると、メンバー全員を見渡した。
「みんな、お疲れさん!」
その一言に、自然と全員の視線が柏木へ集まる。
「今回の任務は、これで無事完了だ」
「防衛省でもチップの解析は終わった。
中身にも異常はなかったそうだ」
「みんな、本当によくやってくれた」
その言葉に、オフィスの空気がふっと和らぐ。
誰もが安堵の笑みを浮かべていた。
そんな中、心春がふと首を傾げた。
「でも、お二人ともずいぶん報告が長かったですね」
「怒られてるんじゃないかって、ちょっとヒヤヒヤしてましたよ……」
その一言で、柏木と相津は静かに視線を交わした。
さっきまでの穏やかな空気が、わずかに張り詰める。
やがて相津が口を開いた。
「……少し、気になることがあってな」
「今回、チップを狙ってきた組織の一つ──『サーペント』」
「奴らは本来、過激派の武装勢力だ」
「つまり今回の件、依頼人が別にいるということになる」
相津は柏木へ視線を向ける。
その意図を受け取り、柏木が話を引き継いだ。
「警察庁で極秘に調査を進めてもらった結果、一つの組織が浮かび上がった」
柏木は一拍置いて、その名を告げる。
「──【SENSE】だ」
その瞬間、オフィスから笑みが消えた。
ジョージ、レオ、アリス、翔。
四人は無言のまま顔を見合わせる。
【SENSE】。
それは、かつて相津が所属し、柏木の妻・沙織の命を奪った因縁の組織だった。
重苦しい沈黙が部屋を包む。
ただ一人、その空気についていけない者がいた。
心春だけがきょとんと首を傾げる。
「あの……【SENSE】って、何ですか?」
その何気ない一言が、止まっていた時間を再び動かした。
──とある港の倉庫。
数人の男たちが集まり、『サーペント』の生き残りの男から報告を受けていた。
「──これが、あの島で起きたことの全てだ」
ジョージのロケットランチャーでボートを爆破されながらも、辛うじて生還した男だった。
「兄貴も【Zero】の連中にやられた……!」
「あいつらさえいなければ、チップは俺たちのものだったんだ!」
男が悔しさを滲ませて叫ぶ。
しかし、その言葉に耳を貸す者はいなかった。
部屋の中央では、一人の若い男が無言でモニターを見つめていた。
短く整えられた灰色の髪。
二十代前半ほどの青年。
この場で最も若く、そして誰よりも強い男だった。
「……お前の言葉などどうでもいい」
「この"眼"で見たものだけが真実だ」
冷たく言い放つと、男は戦闘映像を無表情で見続ける。
やがて、ある場面で口を開いた。
「止めろ」
部下が慌てて映像を停止させる。
「少し戻せ。ミサイルを撃ち落とした場面だ」
映像が巻き戻される。
そこには、ボートの上からミサイルを正確に撃ち落とす相津の姿が映し出されていた。
「顔を拡大しろ」
部下が指示どおり映像を拡大する。
画面いっぱいに映った相津の瞳は、鮮やかな赤色に輝いていた。
その瞬間──
男の口元がゆっくりと歪む。
「……ふふっ」
「はははっ……はっはっはっ!」
静かな笑いは次第に狂気を帯びていく。
「なるほど……警察組織に身を隠していたとは」
「通りで今まで見つからなかったわけだ……」
男は笑みを浮かべたまま、『サーペント』の生き残りへ視線を向けた。
「この映像は、まだどこにも報告していないな?」
「えっ……?あ、ああ。まだだけど……」
男は質問の意図が分からず戸惑いながら答えた。
次の瞬間だった。
パンッ!
乾いた銃声が倉庫に響く。
ドサッ。
男は眉間を撃ち抜かれ、その場に崩れ落ちた。
誰一人、声を上げる者はいない。
青年は銃口から立ち上る硝煙を眺めながら、小さく呟いた。
「……くっくっく。あの騒動から七年……」
「まさか生きていたとはな」
「お前は俺の獲物だ」
「誰にも渡さない」
「『オリジナルセンス』の一人──"アイズ"」
そう言った青年の瞳は妖しく青く輝いていた。
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