『追憶file.柏木孝治⑻─山崎と千石─』
柏木はアイズと協力関係を築いて以降、今後どのように【SENSE】を追うべきか悩んでいた。
アイズは確かに【SENSE】に所属していた。
だが、あくまで被験者という立場だったため、各地のアジトを転々としていたらしい。
本拠地の場所は分からない。
組織のトップが誰なのかも知らない。
つまり、ようやく手掛かりを掴んだと思ったにも関わらず、その先へ進む道が見えなくなっていたのだ。
そんな時だった。
柏木の脳裏に、一通の手紙が浮かんだ。
山崎から渡された手紙だった。
柏木は机の引き出しからそれを取り出し、改めて目を通した。
『柏木君へ
この手紙を読んでいるということは、きっと君は立ち直り、未来へ進む決意をしていることだろう。
だが、その進むべき道が分からなくなった時。
あるいは困難な壁にぶつかった時は、警察庁次長の千石さんを頼ってほしい。
彼には君のことは全て伝えてある。
私から紹介されたと言えば、面会できるよう話も通してある。
きっと君の助けになってくれるだろう。
柏木君。
君がどんな選択をしようが、私は君を信じているよ』
読み終えた柏木は、しばらく手紙を見つめていた。
山崎はずっと、自分を信じてくれていた。
自分が立ち直れる日を。
もう一度前へ進める日を。
ずっと待っていてくれていたのだ。
「……山崎さん」
柏木は小さく呟いた。
そして決意する。
警察庁次長"千石鋼太郎"に会うことを。
アイズの存在を打ち明け、協力を仰ぐことを。
当然、アイズは猛反対した。
「正気か?警察庁の人間に俺の存在を教えるなんて、自殺行為にもほどがあるだろ」
だが柏木は諦めなかった。
警察庁という巨大組織の情報網。
そして支援を受けられる可能性。
それらは今の二人にとって、あまりにも大きかった。
何より柏木自身が、山崎が託した千石という男を信じたかった。
結局、最後は柏木の熱意に押し切られる形で、アイズも渋々了承した。
──翌日。
柏木はさっそく千石のもとを訪れた。
すると不思議なことに、受付で名前を告げた途端、何の手続きもなく部屋へ案内された。
まるで最初から来ることを知っていたかのように。
柏木がこれまでの経緯を説明すると、千石は黙って最後まで話を聞いていた。
そして静かに頷く。
「なるほど……事情は分かりました」
一拍置いて、千石は柏木を見た。
「そのアイズという青年に、一度会わせてもらえないかな?」
──カツ、カツ、カツ。
柏木はアイズを連れて、警察庁別館の地下フロアを歩いていた。
千石から指定された部屋へ向かっている最中だった。
アイズが怪しまれないよう、柏木は事前に警察関係者用の服を用意していた。
「へぇ……警察庁にもこんな隠し部屋みたいな場所があるんだな」
周囲を見回しながらアイズが言う。
「まあ別館だからな。本庁舎ほど人の出入りは多くねぇ」
柏木も辺りを見回した。
「……とはいえ、この地下フロアの存在は俺も知らなかったけどな」
そう話しているうちに目的の部屋へ辿り着く。
コンコン。
「失礼します」
扉を開けると、部屋の奥のデスクには千石が座っていた。
二人の姿を確認すると静かに立ち上がる。
その視線は真っ直ぐアイズへ向いていた。
「初めまして。警察庁次長の千石だ」
「君がアイズ君で間違いないかな?」
穏やかな口調だった。
だが、その瞳には強い意志が宿っていた。
「ああ、そうだ」
アイズも視線を逸らさない。
「警察庁ナンバー2のお偉いさんが、俺なんかに何の用だ?」
「おい……言葉遣い気を付けろって言っただろ」
柏木が小声で慌てる。
すると千石は小さく笑った。
「構わないよ。柏木君から話は聞いている」
「一度、君たち二人と直接話がしたかったんだ」
そして表情を引き締める。
「前置きはこのくらいにして、本題に入ろうか」
「先日、柏木君から話は聞いた」
「君たち二人の目的は【SENSE】を捕まえ、壊滅させること」
「間違いないかな?」
「はい」
「ああ」
二人が答えると、千石は静かに立ち上がった。
そして部屋の奥にある書類室の扉へ向かう。
ガチャッ。
「この部屋はね……まだ私が若かった頃、山崎さんと一緒に過ごしていた場所なんだ」
「本庁舎が新しくなってから、この別館地下はほとんど使われなくなった」
「だが、この部屋だけは今も私が管理している」
そう言ってポケットから鍵を取り出す。
その鍵には長い年月を感じさせる傷がついていた。
「柏木君……。
奥さんが殉職したあと、山崎さんが異動になったことは覚えているかい?」
「……はい」
柏木は俯いた。
「あの頃の俺は自暴自棄でした」
「山崎さんにも何も伝えられなかった……今でも後悔しています」
千石は静かに書類室の中へ視線を向ける。
そこには大量のファイルが並んでいた。
「ここにある資料はね……山崎さんが異動後も、一人で【SENSE】を追い続けていた記録なんだよ」
「……え?」
柏木の目が見開かれる。
アイズは近くの資料を一冊手に取った。
ページをめくる音だけが静かな部屋に響く。
「……本当だ」
「俺が知ってるアジトの情報まで載ってる」
アイズは驚いた顔で千石を見る。
「その山崎って人……ずっと一人で調べてたのか?」
「ああ」
千石は頷いた。
「異動の日、山崎さんは私に二つのお願いをした」
「一つは、捜査禁止命令が出ても極秘で調査を続けさせてほしいということ」
「だから私は、この部屋を貸した」
そして柏木を見る。
「もう一つは……もう分かるだろう」
「柏木君」
「いつか君が立ち上がった時、助けになってあげてほしい、とね」
柏木は何も言えなかった。
自分が立ち止まっていた間も、山崎はずっと戦い続けていた。
たった一人で。
「……すいません、山崎さん」
声が震える。
「そんなことも知らずに、俺は……」
「定年の日でさえ……俺は自分のことばかりだった……」
千石は何も言わず、柏木の肩を軽く叩いた。
そして再びデスクへ戻る。
「気に病む必要はない」
「君には時間が必要だったんだ」
千石は優しく笑った。
「結果として、君は立ち直り、こうしてここへ来た」
「それだけで……山崎さんは十分喜んでいるはずだよ」
千石は静かに目を伏せた。
その表情には、どこか懐かしさが滲んでいた。
おそらく山崎のことを思い出しているのだろう。
数秒後。
部屋は再び静寂に包まれた。
そして千石はゆっくりと顔を上げる。
今度の眼差しは先ほどまでとは違っていた。
穏やかさの中に、鋭さが宿っている。
「さて、アイズ君」
「私は山崎さんや柏木君のことは知っているが、君のことは何も知らない」
「柏木君から大まかな話は聞いているが……当然、私はまだ君を信用してはいない」
静かな口調だった。
だが空気が一変する。
「君は、どれほどの覚悟で柏木君の力となり、【SENSE】を追うつもりなのかな?」
柏木は思わず息を飲んだ。
ここへ来る前は、もしもの時は自分がアイズをフォローしようと思っていた。
だが今の千石の迫力に、言葉が出てこなかった。
アイズは小さく息を吐いた。
「あんた相手に下手な駆け引きや言い訳は逆効果みたいだな……」
そう言うと千石を真っ直ぐ見た。
その瞬間だった。
アイズの"眼"がゆっくりと赤く染まっていく。
「……それが《アイズ》かい?」
「ああ、そうだ」
赤い瞳がさらに輝きを増す。
「この"眼"はあらゆるものを見通す」
「その気になれば銃弾だって簡単に躱せる」
「だが当然、代償もある」
アイズの表情が曇る。
「《アイズ》に順応できず、拒絶反応で死んだ奴」
「精神が壊れて廃人になった奴」
「そんな連中を嫌になるほど見てきた」
拳を握る。
「組織の中じゃ、人間がゴミみたいに処分されていくんだ……」
部屋が静まり返る。
「別に組織を壊滅させて、正義の味方になりたいわけじゃない」
「俺は俺自身のために、奴らと決着をつけなきゃならない」
「そうじゃないと、この先の人生を納得して生きていけない」
そして一度柏木を見る。
「それと柏木の力にはなるが、駒になるつもりはない」
「俺と柏木は、あくまで対等な関係だ」
千石は何も言わず、最後まで聞いていた。
そして静かに問いかける。
「……その言葉を信じる根拠は?」
アイズは一切迷わなかった。
「ない。俺の言葉だけだ」
数秒の沈黙。
千石はアイズの赤い瞳を見つめ続けていた。
やがて静かに立ち上がる。
そして微笑んだ。
「十分だよ」
柏木とアイズが同時に顔を見合せる。
「不思議だね」
「君のその"眼"は、言葉以上に想いを伝えてくれる」
「《アイズ》には、そんな力もあるのかい?」
アイズが能力を解除すると、赤かった瞳は元の黒へ戻った。
「……いや、そんな能力はないはずなんだが……」
珍しく困惑した顔をしていた。
そんなアイズを見て、千石は小さく笑う。
そして二人を見渡した。
「決めたよ。君たちを信じよう」
一拍置く。
「そして私から提案がある」
千石は真っ直ぐアイズを見た。
「アイズ君──君も警察官になりなさい」
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