『追憶file.柏木孝治⑹─【SENSE】から来た男─』
──柏木家 自宅マンション。
十二月二十五日 午前八時。
チュンチュン。
小鳥のさえずりと共に、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。
青年はゆっくりと目を開ける。
見慣れない天井だった。
「……どこだ、ここは」
頭を押さえながら身体を起こす。
ぼんやりしていた意識が徐々に鮮明になり、昨夜の記憶が少しずつ蘇ってきた。
「確か俺は……あいつに殴られて……気を失ったのか……?」
「ってことは……組織に連れ戻された……?」
青年は周囲を見回し、状況を整理し始めた。
頭はすでに普段通り働いていた。
(体に手当てがしてある……)
(傷の回復具合から見て、気を失っていたのは半日から一日程度か)
(それに窓の位置、家具の配置、生活感……)
(こんな逃げやすそうな場所を使うとは思えない)
(ここは組織じゃない……おそらく──)
考え込んでいた、その時だった。
ガチャ。
部屋の扉が開いた。
「おっ、やっと起きたか」
入ってきたのは柏木だった。
頬には大きな湿布が貼られ、腫れた顔を冷やしている。
「気分はどうだ?」
青年はしばらく柏木を見つめる。
そして小さくため息を吐いた。
「……はぁ、状況は大体理解した」
「昨日は話も聞かず殴って悪かったな」
「こっちにも事情があって……余裕がなかった」
そう言って、青年はベッドから起き上がり頭を下げた。
「お、おう……」
柏木は少し拍子抜けした顔をする。
「まあ俺も殴っちまったし、お互い様ってことで」
「それにしても、ずいぶん大人しいじゃねぇか」
「起きた瞬間また暴れるかと思ってたぜ」
柏木は笑いながら青年をリビングへ案内した。
キッチンでコーヒーを淹れ、マグカップを差し出す。
青年は受け取ると口を開いた。
「少し考えれば分かる」
「傷の手当てがしてある」
「目を覚ましたら一般家庭のベッド」
「そして昨日出会った男が現れて『気分はどうだ?』だ」
青年は柏木を見た。
「あの後、お前がここまで運んで手当てしてくれたんだろ?」
「……まあ、その通りだよ」
柏木は頭を掻いた。
「ん?」
「あっ、もしかしてミルクとか砂糖欲しかったか?」
「悪ぃ、うちブラックしか飲まねぇんだ」
「いや、ブラックで大丈夫だ」
青年はゆっくりカップを口元へ運ぶ。
一口飲んだ瞬間、少しだけ目を閉じた。
久しぶりに落ち着いて飲むコーヒーの味が、妙に胸に染みた。
「……ありがとう」
「うまい」
そう言って青年は、静かに微笑んだ。
コトッ。
柏木もコーヒーを飲み終えると、カップをテーブルに置いた。
そして改めて青年の顔を真っ直ぐ見つめる。
「そんじゃ、色々話を聞かせてもらおうか」
「まず昨日も言ったが、俺は警察官だ」
「公安第二課所属。名前は柏木孝治、33歳」
「昨日は亡くなった妻の命日で、墓参りに来てた。そこでたまたま、お前に出くわしたってわけだ」
柏木がふと視線を横へ向ける。
青年もつられるようにその先を見た。
棚の上には、一枚の写真が飾られていた。
亡き妻との結婚式の写真だった。
柏木はその写真を見て少しだけ笑うと、青年へ向き直る。
そして片手を軽く差し出した。
"今度はお前の番だ"
そう言っているようだった。
青年はしばらく黙り込んだ。
少し考えたあと、静かに口を開く。
「……すまない、あんたの話が本当だってことは分かった」
「だが、一つだけ先に教えてくれないか」
青年の表情が変わる。
「なぜあんたは、この"眼"や【SENSE】のことを知っていた?」
その瞬間、青年の瞳が昨夜のように赤く染まっていった。
柏木は慌てることなく息を吐く。
「……少し長くなるぞ」
そして順を追って話し始めた。
三年前の事件。
【SENSE】が関わっていたこと。
沙織が命を落としたこと。
捜査禁止命令が下されたこと。
何も掴めないまま、時間だけが過ぎていったこと。
そして、自分自身も少しずつ腐っていったこと。
そんな中で青年と出会ったこと。
全てを話し終えた柏木は、静かに息を吐いた。
「──そんな訳で、俺としては、何としてもお前から情報を聞き出したい」
「もちろん警察にはお前のことは話してねぇ」
「過去に捜査禁止命令まで出たんだ」
「せっかく掴んだ【SENSE】の尻尾を逃したくねぇからな」
柏木は笑ってみせる。
だがその笑顔は少しだけ引きつっていた。
「落ち着いてるように見えるかもしれねぇけどさ……」
「こう見えて今も、お前に飛びかかって全部吐かせたいのを必死に我慢してるんだぜ」
青年が視線を落とす。
テーブルの上。
そこに置かれた柏木の手は、わずかに震えていた。
数秒の沈黙。
そして──青年は小さく笑った。
「ふふっ……そうだろうな」
「正直に話してくれてありがとう」
青年は真っ直ぐ柏木を見た。
「俺は……あんたを信じるよ」
「……は?」
柏木は思わず間抜けな声を漏らした。
あまりにもあっさりと信じられたことに、逆に戸惑ってしまっていた。
「いや、信じてくれるのは嬉しいし、実際、本当のことを話してるんだが……」
「なんていうか……俺が言うのも変だけど、こんな簡単に信じていいのか?」
「ああ、問題ない」
青年は迷いなく答えた。
「それも含めて、今度は俺が説明しよう」
そう言った瞬間だった。
青年の"眼"が、再び赤く染まる。
昨夜見た時よりも静かに、そして鮮明に輝いていた。
「俺の"眼"は《アイズ》という特殊能力を持っている」
「簡単に言えば……あらゆるものを見通す力だ」
柏木の眉がピクリと動く。
「さっき、俺があんたを"信じる"と言ったのも、その《アイズ》を使ったからだ」
「言葉のわずかな違和感、視線、表情、呼吸、身体の反応……そういうものを総合して、嘘か真実かを見分けている」
「もちろん、普通に聞けば信じ難い話だろうがな」
青年は一度言葉を切った。
「【SENSE】という組織は、表向きは製薬会社向けの抗原体を研究する施設だ」
「だがその実態は違う」
その声が少し低くなる。
「裏では非人道的な人体実験を行っている」
柏木の表情から笑みが消えた。
「【SENSE】は、人間の遺伝子と機械を融合させた《バイオナノマシン》という技術を使い、《アイズ》を生み出した」
「そして俺は……その被験者の一人だった」
数秒、部屋に沈黙が落ちた。
柏木は深く息を吐き、自分を落ち着かせるように呼吸を整える。
「……【SENSE】が孤児院から子供を攫っていたのは、そのためか?」
「お前も孤児で攫われたのか?」
「あと、過激派に武器を流してたのは何のためだ?」
青年は静かに柏木を見た。
「……攫うって言い方は少し違う」
「俺も幼い頃は孤児院にいた」
「だが【SENSE】は、養子縁組、売買、裏ルート……色んな手段を使って被験者を集めている」
青年の目が少しだけ曇る。
「俺の場合は養子として引き取られた」
「だが、その相手が組織の研究者だった」
柏木の表情が険しくなる。
「……攫うなんて、足がつきやすい真似をするのは下手な奴だけだ」
「相当雑な調達担当だったんだろうな」
そして続ける。
「武器の横流しは、資金集めとスポンサー探しだ」
「研究、開発、被験者の確保……全部金がかかる」
青年はそこで目を閉じた。
赤かった瞳が、ゆっくり元の色へ戻っていく。
柏木は顎へ手を当て、考え込んだ。
「なるほどな……行動理由は分かった」
「だが目的が分からねぇ」
「【SENSE】は最終的に何をしようとしてるんだ?」
青年は小さく首を横に振る。
「……正直、そこは俺にも分からない」
「私設軍隊を作りたいのか」
「研究成果で大金を得たいのか」
「あるいは国家を裏から支配したいのか……」
「どれも推測でしかない」
柏木はソファへ深くもたれかかった。
そして天井を見上げる。
「はぁ~……なんて話だよ」
「《バイオナノマシン》に《アイズ》?」
「何が何だかさっぱりだ……」
しばらくして柏木は青年を見た。
「で、お前は昨日、あんな場所で何やってたんだよ?」
半ば投げやりに尋ねる。
すると青年はあっさり答えた。
「俺は数人の同志と共に組織へ反旗を翻した」
「アジトの一つを壊滅させて、そのまま逃亡していたんだ」
「追手を倒しながら逃げていたが、訳あって途中で仲間とも散り散りになった」
「それで逃げ疲れて寺で休んでいたところに……」
青年は柏木を見る。
「お前が現れた」
「追手かと思って殴った……」
柏木は口を開いたまま固まった。
「……おい待て。今、なんて言った?」
何気ない一言にしつしか二人は互いに笑い合っていた。
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