『追憶file.柏木孝治⑷─永遠の愛─』
パァン!
柏木の思考は真っ白になった。
何が起きたのか理解できない。
──なぜ沙織の体から血が飛び散っているのか。
──なぜ沙織が撃たれたのか。
──なぜ沙織が自分を庇ったのか。
周囲の景色はスローモーションのようにゆっくりと流れていく。
そして柏木の脳裏に、いつか沙織が口にした花言葉が蘇った。
──私は『先見の明』をもって、あなたを選んだ。
あなたはこんな男勝りでガサツな私のことを『勇敢』にも好きになって、『永遠の愛』を誓ってくれた。
だから私はあなたを『保護』する守護者になるの──
「沙織っ!!」
柏木は我に返ると、倒れた沙織の元へ駆け寄り、その体を抱き寄せた。
抱えた腕から伝わる温もりと、生暖かい血の感触。
気付けば柏木の手は、沙織の血で赤く染まっていた。
「だい……じょう……ぶ……?」
沙織が掠れた声で言った。
「ああ、俺は大丈夫だ。待ってろ、すぐに止血する」
柏木は先ほど吉川を手当てした応急キットを掴み、必死に止血を始めた。
「よかった……あなたが……無事で……。ゴホッ……ゴホッ!」
「喋るな! そのままジッとしてろ!」
(クソッ……!)
柏木の表情が歪む。
(どこか臓器を傷つけたのか……出血がひどい……!)
(止まれ……止まれよ……!)
しかし柏木の願いとは裏腹に、赤い血は指の隙間から滲み出し続けていた。
柏木が顔を上げる。
沙織を撃った"V-053番"と呼ばれていた少年は、すでに微動だにしていなかった。
その時だった。
後方から大勢の足音が聞こえてくる。
「全員、突入しろっ!一人残らず捕まえるんだ!」
山崎の号令を皮切りに、公安の仲間たちが次々と廃倉庫内へ突入していく。
柏木の姿を見つけた山崎は、すぐに駆け寄った。
「柏木君、大丈夫か!?沙織君には会えたのか!?」
そして山崎は柏木の腕の中を覗き込み──その表情を凍りつかせた。
そこには、血塗れになった沙織の姿があった。
──救急車内。
山崎たちの通報を受け、ほどなくして二台の救急車が廃倉庫へ到着した。
沙織と吉川をそれぞれ搬送すると、現場の処理は山崎たちに任せ、柏木は沙織が乗せられた救急車へ同乗した。
車内では救急隊員たちが懸命な処置を続けていた。
慌ただしく飛び交う指示。
「血圧低下しています!」
「酸素濃度落ちています!」
「急げ!」
その声の中で柏木は、ずっと沙織の手を握り締めていた。
「沙織……絶対助かるからな……!
死ぬんじゃねぇぞ……!」
震える声で必死に言葉を繋ぐ。
「……一緒に新婚旅行に行く約束しただろ……?」
「……年末年始じゃ、まだ完治してないだろうから……夏休みに長期休暇を取ろう」
「……ハワイ辺りで、二人でゆっくり過ごそう」
「……いや、沙織はアクティブだから、色々遊びたいかもな……」
「……仕事は大丈夫だ。山崎さんも新婚旅行に行けって言ってくれてるんだ……みんなだって、きっと許してくれる」
「……沙織」
「……沙織」
「……沙織……すまない……」
柏木の声が震える。
「俺がもっと早く気付いていれば……こんなことには……」
大粒の涙が次々と零れ落ちた。
柏木は握り締めた沙織の手を、自分の頬へそっと当てた。
「……そんなこと……言わないで」
か細い声に、柏木は勢いよく顔を上げた。
沙織はゆっくりと酸素マスクを外す。
そして、とても綺麗な笑顔を柏木へ向けた。
隊員の一人が慌ててマスクを戻そうとした。
だが隣にいた隊長は、その腕を静かに掴み、首を横に振った。
その表情は苦しそうに歪んでいた。
「孝治……あなたは……これっぽっちも悪くないわ……」
「だって……誰よりも早く……私のところに来てくれたもの……」
涙が沙織の目尻からこぼれる。
「やっぱりあなたは……とても『勇敢』……」
「そんな花言葉……やめてくれよ……!」
柏木は顔を歪める。
「"沙織が俺を『保護』する守護者だ"って言うんだろ……?」
「沙織がこんな目に遭うくらいなら……俺なんか守る必要なんてねぇよ……!」
沙織はゆっくりと首を横に振った。
そして、優しく微笑む。
「いいえ……そうじゃないわ……忘れたの?」
「私は結婚して……"柊"から"柏木"になったのよ……」
「私も孝治みたいに……『勇敢』に立ち向かっただけ……だから……あなたのせいじゃないわ……」
柏木は沙織の手を両手で包み込んだ。
流れる涙を拭うこともできず、ただ彼女の言葉を聞いていた。
沙織はそんな柏木を見つめ、小さく笑った。
「ふふっ……それともう一つ……」
「私も……あなたに『永遠の愛』を誓います」
一呼吸置いて、沙織は言った。
「孝治……世界の誰よりも……あなたのことを愛してる」
「あなたと出会えたこと……あなたと過ごした時間……その全てが……私にとっては……かけがえのない宝物」
「ありがとう……私は……とっても……幸せ……よ……」
満足そうに笑ったまま、沙織は静かに目を閉じた。
──救急車のサイレンが鳴り響く。
次の瞬間。
「沙織ィィィィィッ!!」
柏木の悲痛な叫びが車内に響いた。
『永遠の愛』を誓い合った二人。
その幸せな時間は、あまりにも短く、あまりにも儚かった──
──二週間後。
山崎は静かに自分のデスクを整理していた。
数日前、"辞令"を言い渡された。
異動先は別部署。
だが誰が見ても、それは事実上の左遷だった。
沙織の殉職に関する責任を、一身に背負った結果だった。
救急車を見送ったあと、廃倉庫に残った山崎たちは、一人の少年の遺体と二人の男を発見し、身柄を確保した。
後から聞いた話では、あの白衣の男──"一ノ瀬"の姿は、どこにもなかったらしい。
沙織の葬儀には、多くの警察関係者が弔問に訪れた。
涙を流す者。
言葉を失う者。
ただ静かに手を合わせる者。
山崎は改めて実感していた。
生前の沙織が、どれほど多くの人に愛されていたのかを。
そして時は流れ、一週間が過ぎようとしていた頃だった。
公安第一課、第二課へ上層部から通達が下る。
【SENSE】に対する捜査を──今後一切禁止する。
当然、課員たちは激怒した。
沙織の仇討ちを掲げていた者たちは反発し、山崎もまた上層部へ掛け合った。
だが結果は変わらなかった。
そして山崎に言い渡されたのが、今回の"辞令"だった。
「ふう……こんなものかな」
荷物を段ボールへまとめ終えると、山崎は公安第二課の部屋を覗いた。
そこに柏木の姿はなかった。
柏木は捜査禁止命令が下されたあと激昂し、暴れてしまったため、現在は謹慎処分となっていた。
「……柏木君」
山崎は小さく呟いた。
そして最後の挨拶をするため、警備局長室へ向かった。
コンコン。
「失礼します」
中へ入ると、警備局長の"千石鋼太郎"が待っていた。
「来てくれましたか、山崎課長……」
「もう私は課長ではありません」
山崎は苦笑する。
「この度はお手数をお掛けして、誠に申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げる山崎。
「頭を上げてください、山崎さん」
「ここには誰もいません。二人きりですので敬語も不要です」
千石は山崎より上の役職にいた。
だが年齢は十歳ほど下だった。
そして昔、山崎に世話になった一人でもある。
「……本当にありがとう、千石君」
「君のおかげで部下たちを守ることができた」
捜査禁止命令が下された時、上層部は課員全員に対する処分を検討していた。
その情報を掴んだ千石は、秘密裏に山崎と話し合いを行った。
山崎は言った。
責任は課長である自分にある。
全ての責任を背負う代わりに、部下たちだけは守ってほしい、と。
千石は最後まで反対した。
しかし山崎の懇願に折れ、その提案を受け入れた。
結果として課員たちは、自分たちも知らないところで山崎に守られていた。
そして、この進言の功績もあり、千石には『警察庁次長』への昇進が内定していた。
「そんな……」
千石は視線を落とした。
「元々この提案は山崎さんから頂いたものです」
「私は……山崎さんを犠牲にして出世したようなものです」
「こちらこそ、申し訳ありません」
千石が頭を下げる。
山崎はそんな彼を見て、静かに笑った。
「千石君」
その目は真っ直ぐだった。
「私は君が、警察を変えられる男だと信じている」
「だからこそ君は、何を犠牲にしてでも上へ行くべきだ」
「私のことなど、気にしなくていい」
そして山崎は、少しだけ表情を和らげた。
「ただ……二つだけ」
「君にしか頼めない"お願い"があるんだ──」
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