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『追憶file.柏木孝治⑶─沙織の戦い─』

 ──午後三時 廃倉庫。


 沙織は吉川と合流したものの、逃亡計画がバレていて、【SENSE】の追手から逃げていた。


 沙織は倉庫内の中二階にある貨物に隠れ、吉川と共に息を潜めていた。

 

 沙織は下階の方をチラッと見ると吉川に小声で問い質した。


「あいつらはいったい何者?

 あなたを追って尾行してきたの?」


 一階には四人の男たちが見えた。

 

 先頭にまだ18歳くらいであろう少年が沙織たちを探していた。

 

 その後方10m辺りで、白衣を着た30代の男とスーツを着た50代の男が二人、笑いながら何かを話していた。


「あの後ろにいる三人のうち、白衣を着ている男がいるでしょう、あの男の名前は"一ノ瀬"」

 

「私がいた研究部署の同僚よ」

 

「研究者としては優秀だけど、人間を物みたいに扱うような最低の人間だったわ……」

 

「ごめんなさい、あとの二人は私にも誰だか分からないわ」


 沙織が一ノ瀬に目を向け、耳を澄ませると、微かに声が聞こえてきた。


「今回の運用テストは急遽決まったもので、どのお客様にも情報は伝えておりません」

 

「御得意様である、御社にだけ特別に視察を許可されましたので、くれぐれもオフレコでお願い致します」


「一ノ瀬は丁寧な言葉遣いではあったが、その目はどこか相手を見下しているように感じた。


「分かっておる。

 最近、日増しに公安の目が厳しくなってきておるからな」

 

「【SENSE】の今後の新商品は是非見ておきたいのだよ」


 恰幅のいい男が一ノ瀬の背中を軽く叩き笑った。


「はあ、そうですか。

 でもこちらはまだ試験段階で、いつ商品として出荷されるかは全く分かりませんよ」


「それで構わないよ」

 

「どのようなものを開発しているか、他の連中より先に見れるだけでもこちらとしてはアドバンテージになる……」


「それが価値あるものならば高い金を払ったかいもあるよ」


 もう一人の細身の男が一ノ瀬に説明した。


「分かりました。

 でしたら私から言うことは何もありません。

 どうぞご覧になってください」


 一ノ瀬はそう言って一歩前に出ると、少年に言った。


「"V-053番"、始めなさい」


 一ノ瀬の言葉を聞いた少年の"眼"が、突如として赤く光り出した。


 次の瞬間、少年は周囲を見渡すと銃を手に取り、沙織たちが身を潜めている木製コンテナへ向かって、いきなり発砲した。


「きゃっ……!」


 突然の出来事に吉川が思わず声を上げる。


 沙織は咄嗟に吉川の手を掴み、その場から駆け出した。


「吉川さん、こっち!走るわよ!」


 二人は奥へと逃げ込み、一階へ降りた。


 沙織は吉川を物陰へ押し込むと、自らは銃を構え、息を潜めて待ち構える。


 やがて少年が姿を現した。


 沙織は迷わず足を狙い、引き金を引く。


 しかし少年は、まるで沙織が狙う場所を予測していたかのように、軽々と身を捻って躱した。


 二発、三発と続けざまに撃ち込む。


 だが弾丸は一発たりとも命中しない。


「何で……」


 焦りを滲ませた沙織の声。


 その時だった。


 少年の背後から、白衣を揺らしながら一ノ瀬が姿を現した。


 口元を歪め、愉快そうに笑う。


「くっくっく……あんた、警察の人間かい?」

 

「吉川なんかと手を組んだのが運の尽きだね。

 あんたらの計画は全部、お見通しだよ」


 一ノ瀬の言葉に、吉川は黙っていられず物陰から飛び出した。


「そんなの嘘よ!」

 

「私は研究所内では一切、彼女と連絡なんて取っていないし、研究所の外でも盗聴器や尾行には細心の注意を払っていた!」


 取り乱したようにまくし立てたその瞬間、少年が吉川へ銃口を向ける。


「まだ撃たなくていいよ。"V-053番"。少し彼女たちと話をさせてくれ」


 一ノ瀬がそう言うと、少年は銃口を向けたまま静止した。


「という訳だから、少し話をしようか」

 

「ああ、言っておくが、何か妙な真似をすれば彼がすぐに撃つ。下手な行動はしないことだね」


 一ノ瀬は愉快そうに笑いながら続ける。


「さて、さっきの君の質問だが、答えは簡単さ」

 

「研究所の外にいる君を監視していたんだよ──"彼を使ってね"」


 その言葉を聞いた瞬間、吉川の表情がみるみる青ざめていく。


「まさか……『アイズ』を……?」

 

「でも次の被検体は未定だったはず……」

 

「しかも次の番号は"V-060番"の予定だった……」

 

「一ノ瀬さん、あなた今、彼を"V-053番"と言ったわね……?それって、どういうこと……?」


 吉川の反応を見て、一ノ瀬は満足そうに口元を歪めた。


「ふふっ、元々"V-053番"は私が主導していた研究だからね」

 

「特別に上の許可をもらって、破棄された後も個人的に改良を続けていたのさ」

 

「そして彼の『アイズ』を使い、君が気づかないほど遠くから監視していたという訳だ」


 二人の会話を聞いていた沙織は、どうしても納得できなかった。


「遠くから監視……?」

 

「たったそれだけで、こんなにも正確に情報が漏れるなんてあり得ないわ!」

 

「それに、『アイズ』っていったい何なの?」


 沙織が吉川を見ると、吉川は俯いたまま答えた。


「沙織さん……『アイズ』は、人間の第一感覚である視覚機能を著しく向上させるために、【SENSE】が開発した『バイオナノマシン』のことなの」


「視覚機能を向上……?バイオナノマシン……?」


 聞き慣れない言葉に沙織が困惑していると、一ノ瀬が苛立ったように割って入る。


「はぁ……無知は黙っていてくれないかな」

 

「まあ、馬鹿でも分かるように言えば──『アイズ』があれば、色んなものを見通せるんだよ」

 

「さっき君たちを見つけたのはサーモグラフィーで体温を検知したからだ」

 

「銃弾を躱したのは、君の動きを見て弾道を予測したから……」


「そして──電話で話している相手の唇を見れば、読唇術だってできてしまう」


 一ノ瀬はニヤリと笑った。


 その瞬間、沙織はハッと何かに気付いたように吉川を見る。


「ごめんなさい……」


「屋内は盗聴される可能性を考えて、あなたとの電話はいつも外でしていたわ……」


 一ノ瀬は満足そうに話を続けた。


「そういうことさ」

 

「さすがに電話越しのあんたの声までは聞こえないが、それでも十分な情報は手に入ったよ」

 

「で、裏切り者を始末するついでに、ゲストを招待して『アイズ』の運用テストも兼ねさせてもらったのさ」


 すると、一ノ瀬の背後から二人の男が歩み寄ってきた。


「一ノ瀬さん、今回は実にいいものを見せてもらったよ。

 実用段階に入った際には、ぜひ購入させていただきたい」


「そうとも!金なら言い値で払おう!

 『アイズ』だったか?

 またとんでもないものを作ったな!」


 上機嫌な二人をよそに、一ノ瀬は心底どうでもよさそうに肩を竦めた。


「まあ、正式に『アイズ』と呼ばれる存在は一人しかいませんが……それはお二人には関係ないですね」

 

「私は研究者ですので、金や取引の話は事業部にでもどうぞ」

 

「もっとも、実用化はまだまだ先になると思いますがね……」


 三人が談笑していた、その時だった。


 ──パァン!!


 銃声が倉庫内に響いた。


 逃げ出そうとした沙織たちを察知したのか、少年が威嚇するように発砲したのだ。


 一ノ瀬は手首の腕時計へ視線を落とした。


 時刻は三時半を指していた。


「さて……そろそろいい時間だ」


 一ノ瀬は口元を吊り上げる。


「話はこれでおしまいだ。

 "V-053番"、そいつらを殺せ」


 一ノ瀬が命じると、少年は再び銃を構えた。


 その時だった。


 『アイズ』の広い視野が、横の窓の外を走る一台のバイクを捉える。


 少年が咄嗟に窓へ銃口を向けた、その瞬間──


 バリンッ!!


 激しい破砕音と共に、一台のバイクが窓ガラスを突き破り、そのまま倉庫内へ飛び込んできた。


 バイクに乗った男は着地と同時に何かを投げる。

 次の瞬間、白煙が一気に広がった。


「沙織っ!無事か!?」


 ヘルメットを外した男の声に、沙織は目を見開いた。


「孝治!?何であなたがここに!?」


 驚きながらも、沙織は転んで座り込んでいた吉川へ手を差し伸べる。


「話は後だ!さっさとここから脱出するぞ!」


 吉川が沙織の手を借りて立ち上がった、その時だった。


「危ない!」


 吉川の叫び声が響く。


 柏木は咄嗟にバイクの陰へ飛び込む。


 次の瞬間──銃弾が飛来し、タイヤを撃ち抜いた。


 パンッ!!


 空気の抜ける音と共に、タイヤが潰れる。


「ちっ……!

 沙織!そっちから逃げるぞ!

 彼女は俺が連れていく!先導を頼む!」


「分かったわ!こっちよ!」


 三人は出口を目指し、一目散に駆け出した。



 

 ──柏木が倉庫へ突入した頃。


 山崎は公安第一課の課員を引き連れて、パトカーで沙織のいる廃倉庫へと向かっていた。


「沙織君、柏木君、頼むから無事でいてくれ……」


 山崎はそう呟くと車の中から祈るように空を見ていた。


 


 ──廃倉庫 出入口付近。


 銃弾が逃げる柏木たちのすぐ脇を掠めていく。


 柏木は吉川に肩を貸しながら走っていたが、吉川は足をもつれさせ、その場に転んでしまった。


 三人は咄嗟に物陰へ飛び込み、追撃を凌ぐ。


「はぁ……はぁ……。何なんだよ、あいつは……」

 

「何で俺たちのいる場所が分かるんだ?

 それに、あの赤い目……気色悪すぎるだろ……」


 息を切らしながら文句を言いつつ、柏木は牽制射撃を放つ。


 そんな柏木に沙織も頷いた。


「ええ、私も同感よ!

 少し話は聞いたけど、何が何だか全然理解できなかったわ!」


 今度は沙織が牽制射撃を行い、敵の足を止める。


 柏木が吉川へ視線を向けると、呼吸は乱れ切っていた。


 肩が激しく上下し、もはや会話をする余裕すらない。


 体力は限界だった。


「沙織……。

 このままじゃジリ貧だ。すぐ追いつかれる」

 

「一か八か、出口まで一気に走るぞ」

 

「外に出られれば車で離脱できる。

 それに山崎さんたちも来ているはずだ」


 沙織が弾を撃ち切ると、再び柏木が牽制射撃を始めた。


 その間に、沙織は素早く弾倉を交換する。


「課長たちもここに……」

 

「でも、そんなの無理よ。

 吉川さんはもう、ほとんど走れないのよ」


 沙織が顔を上げると、柏木は笑っていた。


「ああ、このままじゃ無理だ。

 だから、これを使う」


 柏木はポケットからスタングレネードを取り出した。


「こいつを奴らの足元へ投げて、一瞬硬直した隙に出口まで走り切るんだ」

 

「吉川さんには俺が肩を貸すから大丈夫だ」


 その間も沙織は牽制射撃を続ける。

 柏木は安全ピンへ指を掛けた。


「……分かった。あなたを信じるわ」


 沙織の言葉に柏木は頷く。


「3……2……1……今だ!」


 カラン、と転がった次の瞬間──


 閃光が弾けた。


 続いて轟音が倉庫内を揺らす。


 三人は一斉に駆け出した。


 その時だった。


 バンッ! バンッ!


 銃声が響く。


 次の瞬間、柏木の肩に回されていた吉川の腕が力なく落ちた。


「……え?」


 吉川の身体がゆっくりと崩れ落ちる。

 鮮血が床へ滴っていた。


 沙織と柏木は咄嗟に後ろを振り返り、倒れた吉川へ駆け寄った。


 銃弾の飛んできた先を見る。


 そこには、先ほどの閃光などまるで意に介さなかったかのように、銃口を向けたまま立つ少年の姿があった。


 そして、その背後から一ノ瀬が拍手をしながら現れる。


 パチ……パチ……パチ。


「あー……まだ目がチカチカするよ。

 まさかスタングレネードまで持っていたとはね」

 

「でも残念。彼の"眼"には効かなかったみたいだ」


 一ノ瀬が愉快そうに笑っている、その時だった。


 ドサッ──。


 突然、少年の身体がその場へ崩れ落ちる。

 指先が微かに痙攣し、白目を剥いていた。


「あ?……何だよ、もう限界か」


 一ノ瀬は面倒そうに眉をひそめた。


「少しは期待してたんだが……結局こいつも失敗作か……」

 

「まあ、スタングレネードに対するデータも取れたし、それで十分だな」


 まるで壊れた道具でも見るような目だった。

 

 一ノ瀬は倒れた少年の耳元で何かを囁くと、そのまま倉庫の奥へ消えていった。


「待て……!」


 沙織が立ち上がる。


 だが柏木が咄嗟に腕を掴んだ。


「待て沙織!……もう奴のことはいい!」


 沙織は悔しそうに唇を噛んだ後、静かに頷く。


 二人は再び吉川の元へ戻り、急いで止血を続けた。


 しばらくして応急処置を終えた頃──外からパトカーのサイレンが聞こえてきた。


 柏木と沙織は顔を見合わせる。


 そして、張り詰めていた糸が切れたように笑った。


 助かった。


 そう思った。


 柏木が出口へ向かって歩き出した、その時だった。


 パァン!!


 銃声が響いた。


 柏木は反射的に振り返る。


 視界に映ったのは──


 自分を守るように両腕を広げた沙織の姿だった。


 胸元がゆっくりと赤く染まっていく。


 柏木は何が起こったのか理解できなかった──


 

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