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『追憶file.柏木孝治⑴─"柏"と"柊"─』

 ──八月下旬 午後九時。


 柏木は行きつけのお店である、BAR Velvetベルベットに一人で飲みに来ていた。


 今日は木曜日で、店もそこまで混んではいなかった為、この店のマスターである山崎もカウンターに座り、柏木と一緒にお酒を飲んでいた。


「マスター、まだ営業中ですよ」


 チーフである響京香は山崎に注意するとカウンター内へ入っていった。


 今日のシフトはサブマスターの『白州一徳』と『響京香』の二人とバイトが一人だった。


 他のお客さんが帰り、柏木だけになると京香が柏木と山崎の前に来て、お酒を注いだ。


「ありがとう、京香ちゃん」

 

「ほっほっ、今日は二人がいるから安心して店を任せられるよ」


 京香は38歳で柏木と年も近く、柏木がこの店の開店当時からの常連客だったこともあり、今ではフランクに話せる間柄だった。


「もう、マスターはいつもお客さんが少なくなると働かなくなるんだから!」

 

「柏木さんもマスターに言ってやってくださいよ」


「いや、山崎さんは俺の相手してくれてるわけだしさ」


「それに昔世話になった人にそんなこと言えないよ……」


 柏木はそう言うと酒を一口飲んだ。

 京香はマスターを横目に柏木にも注意した。


「柏木さんもお店に来てくれるのはありがたいですが、あんまり来すぎると、奥さんに怒られますよ」


 京香の言葉を聞いて柏木が少し微笑んで返事した。


「ははっ、残念ながら今の俺は独り身だよ……」


 京香は少し驚くと柏木に尋ねた。


「えっ……?」


「前にマスターから、昔、マスターの部下だった人と結婚されたって聞いてたから……てっきり……」


「それは本当だよ。

 結婚当時は山崎さんの部下で、俺の同期だったんだよ」

 

「十年前のある事件で亡くなったんだ……」


 京香は申し訳なさそうな顔をして柏木に謝った。


「ごめんなさい、知らなかったとはいえ、無神経なことを言ってしまって……」


 そんな京香に対して柏木は「全然気にしないで」と言い、京香にも一杯お酒を勧めた。

 

 そんな二人を見ていたマスターがふいに口を開いた。


「沙織君が亡くなってからもう十年か……」

 

「時が過ぎるのは早いね……」


 山崎はグラスを両手に持って少しの間、目を閉じた。


「今でも昨日のことのように鮮明に思い出す……」

 

「柏木君の前でこんなこと言うのもすまないが、私にとっても忘れ難い事件だった」


 山崎が酒を一口飲むと、柏木の方を見た。

 

 柏木は微笑むとグラスを回し、昔のことを思い出した───



  ◆


  ────今から十年前────


 まだまだ暑い日が続く、八月下旬。

 

 この頃の柏木は公安第二課のエースとして働いていた。

 

 また、同期の『柊 沙織』《ひいらぎ さおり》も柏木と同様に公安第一課のエースとして働いていた。

 

 二人はキャリア組の中でも特に優秀で、お互い30歳にして共に階級は『警視』まで昇級していた。

 

 そんな二人が電撃結婚し、先月行われた結婚式では公安一課、二課の総出となり、式場もほぼ身内ばかりでお祭り騒ぎとなって祝福された。


「あ、柊君……じゃなかった、今は柏木君か……」


 沙織の上司である山崎は公安第一課の課長だった。

 

 ノンキャリアで公安の責任者を任せられるほど出世することは珍しかったが、山崎は人望が厚く、誰もが納得の人選だった。


「山崎課長、無理しないで"柊"のままでも大丈夫ですよ」


「いや、それは柏木君に申し訳ないというか……」


「はぁ、じゃあ"沙織"でいいですよ」


 黒髪のショートヘアに、キリッとした顔立ちをした沙織は、男勝りでさっぱりした性格も相まって、女性警官たちの憧れの存在だった。

 

 一方で男性警官たちからの人気も高かった。

 裏表のない性格で誰に対しても気さくに接するため、階級や年齢を問わず多くの人間に慕われていたのだ。

 

 沙織は柏木と話し合って、結婚後も退職はせず、今のまま変わらず働くことを望み、柏木も理解してくれた。

 

 このことはもちろん上司である山崎も了承済みである。


「沙織君、先日も聞いたが新婚旅行は本当に行かなくていいのかね?」

 

「普段から人一倍働いているんだから、こんな時くらい二人とも休んだっていいんだよ」


 山崎が心配そうに尋ねると、いつもの強気な声で沙織は言った。


「大丈夫ですよ。

 旅行なんていつでも行けますから」

 

「それよりも今、私と孝治が二人同時にいなくなったらみんなに迷惑がかかりますよ」


 山崎はエースである二人の力が大きいのは重々分かっていたため、反論できずにいた。


「はぁ、確かにその通りだし、君がそう言ってくれるなら正直ありがたい……」

 

「でも仕事のキリがついたときなどは気にせず休んでいいからね。遠慮せず、私に言ってきなさい」


 山崎がそう伝えると沙織は笑って、デスクに向かった。


 


 ──柏木家 自宅マンション。


「ただいま〜、今日も疲れたわ〜」

 

 沙織が仕事から帰ってくると柏木が夕飯の支度に取り掛かろうとしていた。


「おかえり沙織。

 今から夕飯作り始めるから先に風呂入ってこいよ」


 料理の苦手な沙織は、家事は主に掃除、洗濯を担当することが多く、料理は柏木の担当だった。


「うん、ありがとう。じゃあ先にお風呂入ってくるね」



 二人は夕飯を食べ終えると食後のコーヒーを飲みながら結婚式の写真を見ていた。


「ねぇ、見てこの写真。

 孝治すっごい変な顔してる!」


「うわっ、ホントだ。そいつはお蔵入りで頼むわ」


「ダメよ。こういうのも思い出なんだから」


 沙織は丁寧に写真を選ぶとボードに貼っていった。

 柏木は楽しそうな沙織を見て尋ねた。


「電子フォトフレームがあるんだし、データを入れておけばすぐ終わるんじゃないか?」


 沙織はムッとして柏木に答えた。


「バカね、こういうお手製なのがいいんじゃないの!」

 

「全くロマンがないわね、孝治は……」


 柏木は「へいへい」と素直に従うと結婚式の新婦スピーチを思い出した。


「ロマンで思い出したが、沙織があんなに花言葉に詳しいなんて思わなかったよ。

 ロマンチストなのは知ってたけど……」


「なによ、私が花言葉が好きなロマンチストじゃ似合わないって言いたいの?」


 柏木は慌てて否定した。


「いやいや、そうじゃなくて……。

 素直にいい言葉だったからちょっと驚いたというか……。ほら、お前の名字の"柊"の話し!」


 柏木の言葉に沙織は嬉しそうに笑った。


「ふふっ、実は結婚式のスピーチで驚かせようと内緒にしてたのよ。いい花言葉でしょ」


 沙織は自慢気な顔をするとスピーチの時の言葉を再び柏木に話した。


「"柊"の花言葉は『先見の明』と『保護』。

 

 古来より魔除けとされてきた柊は、先見の明を持っているとされていたわ。

 

 さらに葉にはトゲがあり、外敵から身を守って保護してくれるの」

 

「実際、警察で働いているお前にぴったりだよな」


 柏木が感心していると、含みのある言い方で沙織は柏木に言った。

  

「うん、私とあなたにぴったり……」

 

「俺も?」


「恥ずかしくて結婚式では言わなかったけど、"柏"の花言葉は『勇敢』と『永遠の愛』。

 

 過酷な環境でも変わらず成長することから勇敢とされ、大きな葉が冬になっても落ちずにずっと残り続けるから、永遠の愛と言われているの……」

 

 沙織は柏木の顔をジッと見つめると微笑んだ。

  

「私は『先見の明』をもって、あなたを選んだ。

 

 あなたはこんな男勝りでガサツな私のことを『勇敢』にも好きになって、『永遠の愛』を誓ってくれた。

 

 だから私はあなたを『保護』する守護者になるの。

 ……とってもロマンチックじゃない?」

 

 沙織は目をキラキラさせて柏木に語って聞かせた。

 

 柏木は頭をかきながら言った。

 

「えっと、とても良いお話なのですが、俺が守られる側ってのは男としてどうなの?」

 

「『勇敢』と『保護』の使い方、間違ってませんか?」


 沙織は「もうっ台無し!」と頬を膨らませると「これでいいの!」と言って少し不貞腐れた顔をした。


 柏木は「ごめん、ごめん」と言って立ち上がると、沙織の方へ行き、そっと肩を抱き寄せた。



 

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