『護衛MISSION ⒂─玲依の居場所─』
──玲依がいる十階建てビル 最上階。
玲依誘拐の首謀者にして皇城インフラ開発社長──権藤武は、最上階に設けられた社長専用のモニタールームで戦況を眺めながら、優雅にグラスを傾けていた。
この部屋は外敵から身を守るために造られたシェルタールームだった。
窓は一切なく、壁も天井も堅牢な特殊構造。
外の様子を知る術は、室内に設置されたモニターだけである。
だからこそ、翔のハッキングによって映し出されている映像が"偽物"であることなど、権藤は微塵も疑わなかった。
ビーッ。
静かな室内に来訪者用インターホンが鳴る。
権藤は面倒くさそうに受話ボタンを押した。
ピッ。
『誰だ?榊や幹部はどうした』
「榊さんと幹部の方は賊の排除へ向かわれました。代わって私が報告に参りました」
「……そうか」
権藤は気怠そうに立ち上がると、ロックを解除した。
電子音とともに重厚な扉が開く。
「失礼いたします」
サングラスを掛けた男が静かに部屋へ入ってきた。
権藤は再びソファへ腰を下ろし、男へ視線も向けず口を開く。
「で、賊は始末したのか?」
「幹部の奴も最初の爆撃で飛び出して以来戻らんし、榊もどこで何をしているやら……」
「まあ、この映像を見る限り、もうほとんど片付いているのだろうがな」
モニターには【Zero】の隊員たちが倒され、拘束されている映像が映し出されていた。
もちろん、それは翔が事前に用意し、《アイギス》によって生成されたAIフェイク映像である。
権藤はその事実を知る由もなく、下卑た笑みを浮かべた。
「まあいい。
捕らえた女だけは殺すなよ。動けなくして閉じ込めておけ」
「……グフッ、グフフフ」
男は権藤の笑い声を意にも介さず、淡々と報告を始めた。
「報告します。
このビルを除く施設内の建物は、ほぼ壊滅。
弊社構成員、中国マフィアともに戦闘不能。
幹部、中国マフィアのリーダー、そして榊悠馬も敗北しました。
現在、戦闘可能な者は一人も存在しません」
男は静かにサングラスを外すと強い口調で告げた。
「残るは権藤、──お前一人だけだ」
パリンッ。
権藤の手からグラスが滑り落ち、床で砕け散った。
「……は?」
何を言われたのか理解できない。
呆然と立ち尽くす権藤を見据え、男は続けた。
「分かるように言ってやる」
男の眼光が鋭く光る。
「俺は特殊警備部隊公安第零課──相津真一」
相津は真っ直ぐ権藤を指差した。
「権藤武──」
「お前を未成年者略取・誘拐、および監禁罪の現行犯で逮捕する」
「……馬鹿な!」
権藤は怒声を上げた。
「こんなふざけた話があってたまるか!
こちらには千人の戦力がいたんだぞ!」
「それほどの戦力を倒せる大部隊が来れば、必ず報告が入るはずだ!」
「いったい何をした!」
相津は慌てる様子もなくインカムへ語りかける。
「翔……」
その一言で、モニターの映像が一斉に切り替わった。
映し出されたのは、破壊された施設。
倒れ伏す構成員。
拘束された中国マフィア。
そして、二階で気絶している幹部たち。
「……これは……」
権藤の顔から血の気が引いていく。
相津はそんな様子を冷めた目で見つめた。
「突発的な襲撃があると、お前は真っ先にシェルタールームへ逃げ込む。
自分の安全しか考えていない奴ほど、そういう行動を取るものだ。
だから、その性格を利用させてもらった。
モニター映像を偽物に差し替え、お前自身をこの部屋へ閉じ込めたんだ」
相津は肩をすくめる。
「全部、何日も前から仕込んでいた作戦だ」
そして静かに笑った。
「ちなみに──」
相津は指を七本立てる。
「こちらの戦力は、たった七人だ」
権藤は歯を食いしばりながら、二階の映像を凝視していた。
そこには、自慢だった千人の戦力が、七人によって完全に壊滅させられた現実だけが映し出されていた。
「ば、馬鹿な……馬鹿なっ!!
たった七人だと……!?
あり得ん!そんなこと出来るわけがない!」
「たった七人で、千人もの部隊を壊滅させたというのか!?」
絶叫する権藤を見下ろし、相津は低く静かな声で言い放つ。
「それが出来るんだよ。
しかも、その千人をほとんど一人で潰した奴が、もうすぐここへ来る」
相津はわずかに口角を上げた。
「……お前、生きてこの部屋を出られるかな?」
「はっ!そんな化物がいるものか──」
その瞬間だった。
ボカァァァァン!!
轟音とともに背後の扉が内側へ吹き飛ぶ。
舞い上がる粉塵。
煙の向こうから、一つの巨体が姿を現した。
ジョージだった。
一直線に権藤へ駆け寄ると、胸ぐらを掴み、そのまま軽々と宙へ持ち上げる。
「てめぇが親玉だな。今すぐ玲依を解放しろ!!」
「ひっ……!」
権藤の顔が恐怖に引きつる。
それでも震える手で懐へ手を伸ばし、隠し持っていた拳銃を抜いた。
「離せ……!
この儂を誰だと思って──」
バンッ!!
銃声が密室に響き渡る。
硝煙が漂う。
しかし、ジョージには傷一つない。
権藤の拳銃は、相津が片手で押さえ込んでいた。
《アイズ》で権藤の動きを先読みし、発砲の瞬間に銃口を逸らしたのだ。
相津は淡々と権藤を見つめる。
「監禁部屋の防犯装置。
その解除スイッチを渡せ」
権藤はしばらく抵抗するように睨み返していたが、ジョージに首を締め上げられ、苦しそうにポケットへ手を伸ばした。
「こ……これだ……。
監禁部屋の前で押せば解除される……」
震える手でスイッチを差し出す。
ジョージはそれを受け取ると、権藤を床へ放り投げた。
「よし!これで玲依を──」
「待て、ジョージ」
部屋を飛び出そうとしたジョージを、相津が制した。
相津は床に尻もちをついた権藤の顔を無言で見つめる。
数秒。
次の瞬間だった。
ドゴッ!!
「ぶぎゃっ!」
容赦ない前蹴りが権藤の顔面を吹き飛ばした。
権藤は奇妙な悲鳴を上げ、床を転がる。
鼻血を流しながら顔を押さえる権藤へ、相津は銃口を突きつけた。
「……もう一度だけ言う」
赤く染まった《アイズ》が、権藤を射抜く。
「監禁部屋の防犯装置の解除スイッチを渡せ。
次に嘘をつけば──命はない」
その赤い眼を見た瞬間。
権藤の全身から血の気が引いた。
心臓を直接握り潰されたような圧迫感。
息が詰まり、身体の震えが止まらない。
「ひ……ひぃっ……!」
権藤は這うように部屋の奥へ向かう。
壁際に置かれた小箱を震える手で開き、その中からもう一つのスイッチを取り出した。
「こ……これが、本物だ……。
頼む……命だけは……」
権藤は涙と鼻水を流しながら、本物の解除スイッチを相津へ差し出した。
──二階 コンベンションホール。
レオ、心春、柏木の三人は五階へ向かう途中、廊下に倒れている榊を見つけた。
壁をぶち破って気絶しているその姿を見たレオは、思わず吹き出す。
「ふふっ……これはまた、ずいぶん派手にやられたものだね」
榊の惨状に三人が苦笑した、その時だった。
ザザッ──。
〈こちら相津。権藤の身柄を確保した〉
その一報を聞いた瞬間、三人の表情が一気に明るくなる。
「やった!」
心春が笑顔を見せ、柏木とレオも顔を見合わせる。
パンッ!
三人は自然とハイタッチを交わした。
その後、榊と幹部、中国マフィアのリーダーを拘束していると、柏木のスマートフォンが震えた。
「はい、柏木です」
電話の相手は、神奈川県警察本部長だった。
「ええ。たった今、権藤の身柄を確保しました。
予定通り、敵全員の身柄確保をお願い致します」
〈承知しました。
すでに先行部隊が施設内へ突入していますのでご安心ください〉
〈本隊もパトカーで現場へ急行させています〉
「最後までご協力いただき、本当にありがとうございました」
柏木は深々と頭を下げるような口調で礼を述べた。
本部長は小さく笑う。
〈これだけの騒動です。
正直、相手が悪党とはいえ、多数の死者は避けられないと覚悟していました。
ですが現場からの報告では、死者は全体の一割にも満たないそうです。
柏木警視長……今度はいったい、どんなマジックを使われたのですか?〉
その言葉に柏木は照れくさそうに笑った。
「ははは、マジックだなんて大げさですよ。
今回、我々が使用した弾丸は、【Zero】で開発した『高速鎮静弾』という特殊弾です。
命中すると微量の神経抑制剤が体内へ拡散し、一時的に神経伝達を阻害します。
個人差はありますが、対象を戦闘不能にし、できる限り命を奪わずに制圧することを目的とした装備です」
柏木は一拍置き、少しだけ真面目な声になる。
「もちろん、万能ではありません。
状況次第では死者が出る可能性もありますし、この弾丸の存在も現在は極秘扱いです。
どうか、この件はご内密にお願い致します」
本部長は静かに頷いた。
ここまで率直に説明してくれたのは、柏木なりの信頼と感謝の表れなのだろう。
その誠意に応えるように、本部長も力強く答えた。
〈承知しました。
この件は私の胸にしまっておきます。
敵の確保と護送は、我々神奈川県警にお任せください。
どうか皆さんは、人質の保護を最優先になさってください〉
「ありがとうございます」
短い返事だった。
しかし、その一言には柏木の感謝が込められていた。
通話が切れる。
三人は顔を見合わせ、小さく頷くと、玲依の待つ五階へ向けて再び走り出した。
──五階 玲依の監禁部屋前の廊下。
ジョージは解除スイッチを握りしめたまま、全速力で五階まで駆け上がってきた。
息を切らしながら装置の前へ辿り着くと、迷うことなくスイッチを押す。
ピッ。
ピーッ。
『解除信号を確認。全システムを解除します』
無機質な音声が流れる。
次の瞬間、廊下を照らしていた白い蛍光灯が一斉に消え、暖かな非常灯だけが静かに灯った。
ジョージはすぐさま走り出す。
その体は、すでに満身創痍だった。
全身には大小無数の傷。
衣服は裂け、血で赤黒く染まっている。
とりわけ右腕の傷は深く、止血のために幾重にも巻かれた包帯が痛々しかった。
それでも足は止まらない。
千人もの敵を相手に戦い続けた疲労も、激痛も、今のジョージには関係なかった。
玲依のもとへ──。
ジョージは監禁部屋の扉を勢いよく開いた。
「……はぁ……はぁ……。……玲依」
掠れた声で、その名を呼ぶ。
部屋の奥。
ベッドには玲依が座っていた。
その隣ではアリスが優しく寄り添っている。
玲依はゆっくりと顔を上げた。
「……ジョージ?」
一瞬、信じられないという表情を浮かべる。
次の瞬間、その瞳いっぱいに涙が溢れた。
「……ジョージ……。ジョージッ!!」
玲依は立ち上がると、一目散に駆け出した。
ジョージも力が抜けるように、その場へ膝をつく。
そして──。
玲依は迷うことなく、その胸へ飛び込んだ。
ドサッ。
小さな身体を受け止めたジョージは、傷だらけの左腕で玲依をそっと抱き寄せる。
壊れ物を扱うように。
失いたくない宝物を抱き締めるように。
その腕は震えていた。
だが、その震えは痛みではない。
ようやく守れたという、安堵の震えだった。
「ぐすっ……ジョージ……無事でよかった……。
わたしのせいで、ジョージが死んじゃうかもしれないって……。
それが……すごく怖かったの……。
ひっく……ごめんなさい……」
玲依の震える声を聞きながら、ジョージはその温もりを確かめるように静かに抱き締める。
ようやく助けられた。
ようやく、この腕で守れた。
その安堵に、ジョージの目からも自然と涙が溢れた。
「……なんで玲依が謝るんだよ。
謝るのは俺の方だろ……。
こんな目に遭わせちまって、本当に悪かった。
……守れなくて、ごめんな……」
玲依はジョージの胸の中で何度も首を横に振る。
「違う……そんなことない……」
涙を拭いながら顔を上げた玲依は、ジョージの全身に刻まれた傷を見つめ、小さく息を呑んだ。
「ジョージ……その傷……。
わたしを助けるために……?」
申し訳なさそうに顔を曇らせる玲依へ、ジョージはいつもの笑顔を浮かべると、優しく頭を撫でた。
「こんな傷、なんてことねぇよ。
ちょっと痛ぇだけだ。言っただろ?
俺は"天下無敵"のジョージ様だってな!」
そう言って豪快に力こぶを作る。
その姿に玲依の表情が少しだけ和らいだ。
ジョージはポケットへ手を入れると、小さなものを取り出して玲依へ差し出した。
「ほら、玲依。落とし物だ。
大事なもんなんだろ?」
ジョージの手のひらには、玲依のトレードマークでもある赤いリボンが乗っていた。
「これ……わたしの……」
玲依は目を丸くし、ジョージの顔を見つめる。
そして大切そうにリボンを受け取ると、自分の髪へ結び直した。
その姿を見たジョージは満足そうに笑う。
「ははっ!
やっぱり玲依には、そのリボンが一番似合うな!」
ジョージは玲依をそっと抱き上げ、振り返った。
扉の前には、柏木、相津、レオ、心春の四人が立っている。
そしてアリスが玲依の耳元へインカムを近づけた。
ザザッ。
〈僕もちゃんといるからねー〉
翔の明るい声が聞こえる。
その瞬間、玲依の瞳に再び涙が滲んだ。
ジョージは優しく笑いかける。
「玲依……。
"ごめんなさい"は、お互いもうなしにしよう。
……俺も、もう言わねぇ。
玲依……。
無事でいてくれて……"ありがとう"」
玲依は涙を拭うと、大きく頷いた。
「うんっ!
ジョージ……助けに来てくれてありがとう!
みんな……ここまで来てくれてありがとう!
…………本当に……
"ありがとう"……」
玲依のもとへ【Zero】の仲間たちが集まる。
誰もが笑い、誰もが安堵し、それぞれの無事を確かめ合いながら任務の完遂を喜び合った。
その光景を見つめていた相津は、ふっと柔らかな笑みを浮かべる。
「これでミッション……"100%"クリアだな」
ジョージと玲依は顔を見合わせ、自然と笑い合った。
「さあ、俺たちの家に帰ろうか。玲依」
「うんっ!」
──玲依は笑っていた。
頬を伝う涙をそのままに、大切な人たちの顔を一人ひとり見つめながら。
ようやく帰ってきたのだ。
自分が心から安心できる場所へ。
──大好きな家族の待つ、かけがえのない"居場所"へ。




