『護衛MISSION ⑿─《アイズ》視野拡大─』
──玲依が囚われている十階建てビル
一階正面入口前。
ビルへ退避していく連合軍を追い、ジョージも正面入口までたどり着いていた。
ザザッ。
「こちらジョージ。孝治!心春!『ポイントB』に屋内戦用装備のバッグを頼む!」
〈〈了解!〉〉
無線が返ると同時に、上空を旋回していたブラックホークがゆっくりと高度を下げる。
そして正面入口の目前へ、大型の装備バッグが投下された。
敵兵たちが一斉にバッグへ駆け寄る。
だが──
ダダダダダダッ!
ジョージの機関銃が火を噴き、敵を容赦なく薙ぎ払った。
誰一人、バッグへ近づくことはできない。
ザザッ。
〈ジョージ……。建物へ入ったら、俺たちもレオも援護はできねぇ。ここから先は、本当に一人だ。十分気を付けろよ〉
柏木の落ち着いた声が無線越しに響く。
続いて、心春の声が飛び込んできた。
〈ジョージさん!絶対に死んじゃ駄目ですからね!
玲依ちゃんとの約束……絶対に守ってください!〉
ジョージはバッグを開き、屋内戦用の装備へ手際よく換装していく。
その様子を、ヘリから柏木と心春が固唾を飲んで見守っていた。
準備を終えたジョージはゆっくりと立ち上がる。
そして夜空を見上げると、頭上を旋回するヘリへ向かって静かに拳を突き上げた。
ザザッ。
「ああ……。
お前らがいなかったら、俺はきっとここまで来られなかった」
「本当に十分すぎるくらい助けてもらった。
……ありがとう」
一拍置き、ジョージは静かに笑う。
「──あとは、俺が約束を果たす番だ」
無線が切れる。
ジョージは一度だけビルを見据えると、迷うことなく正面入口をくぐり、闇の中へと姿を消した。
その背中には、迷いも焦りもない。
あるのはただ一つ──
玲依を必ず救い出す。
その揺るぎない覚悟だけだった。
──五階 玲依の監禁部屋前 通路。
アリスは、監禁部屋へ続く通路の半分ほどまで到達していた。
「十時の方向、上方にレーザー。
右へ二歩。……そこで止まれ。
腰の高さまで身体を落として、一歩前進」
相津は《アイズ》で赤外線レーザーを捉えながら、インカム越しに一つひとつ指示を送る。
アリスもまた、極限まで研ぎ澄まされた集中力で、その声だけを頼りに見えない罠をかいくぐっていく。
一歩。
また一歩。
慎重に距離を縮めていく。
「……あと少しね」
その時だった。
廊下の奥から、複数の足音が響く。
同時に翔から通信が入った。
ザザッ。
〈相津、まずいよ。
柏木さんたちのヘリ攻撃が予想以上に効いた〉
〈敵が予定より早くビル内へ退避してきてる。
現在、相津の左右から二人ずつ、計四人。
五階へ向かって移動中だ〉
「真一……!もう敵が来てるの!?」
思わずアリスが振り返ろうとした瞬間──
「動くな!」
鋭い一喝が飛ぶ。
アリスの身体がビクリと止まった。
数秒後、相津の落ち着いた声がインカムから聞こえてくる。
「いいか、アリス。
何が聞こえても絶対に振り返るな。
俺の指示だけを聞いて動け」
「敵は……俺が止める」
アリスは微動だにしないまま、小さく答えた。
「止めるって……。
レーザーを見ながら指示を出して、それで両側から敵まで来るのよ?」
「そんな状況、いくらアンタでもどうしようもないじゃない」
「アタシのことはいいから、一度片方だけでも──」
震えを抑えるように囁く。
すると相津は、小さく笑った。
「バカ言うな。
俺がここを離れたとき、敵がお前を見つけたら終わりだぞ」
「今のお前はまともに動けない。
そんな状態じゃ、一瞬でやられる」
一拍置き、少しだけ口元を緩める。
「……それに、さっき言ってくれたじゃねぇか。
『アンタの言葉を信じなかったことは一度もない』ってな」
アリスは目を丸くする。
「その想いには、ちゃんと応えないとな」
「そ、そんなつもりで言ったんじゃ──」
慌てて否定しようとしたアリスを、相津は笑って遮った。
「分かってる。冗談だよ」
その笑みはすぐに消える。
「でも、対処できるっていうのは本当だ。
だから心配するな。お前は目の前だけを見ろ」
「玲依を助ける役目は、お前に任せたからな」
そう言って相津は一歩だけ後ろへ下がる。
廊下の中央に静かに立ち、両手に拳銃を構えた。
その視線は敵へ向けられている。
だが《アイズ》はなおも赤外線レーザーを捉え続け、口からは絶え間なくアリスへの指示が紡がれる。
「そのまま半歩前。
……止まれ。右足だけをゆっくり上げろ」
敵が迫る。
アリスも止まれない。
そして相津は、そのどちらからも目を逸らすことはなかった。
この廊下は全長およそ五十メートル。
玲依が監禁されている部屋へ続く通路は、その中央に位置していた。
廊下の両端には階段があり、翔の予測どおり、敵が左右から上がってきた瞬間、相津の姿は否応なく見つかってしまう。
アリスが通路の終点まであとわずかというところで──ついに敵が五階へ到達した。
「なんだあいつ?俺たちと同じスーツを着てるが、仲間じゃないよな?」
「ああ、見たことのない顔だ」
その直後、反対側の階段からも二人が駆け上がってくる。
「そいつは侵入者だ!下で気絶していた連中が目を覚まして知らせてきた!」
「殺せ!」
だが、左右から同時に突撃したことで、敵はすぐには発砲できなかった。
誤射すれば、味方を撃ち抜く危険があったからだ。
その一瞬の躊躇を、相津は逃さない。
《アイズ》の能力の一つ──"視野拡大"。
通常、人間の視野角は両眼で約200度。さらに、はっきり認識できる範囲は約60度に限られる。
しかし《アイズ》の視野拡大を使えば、視野は最大270度まで広がり、その範囲すべてを鮮明に認識できる。
相津は正面を向いたまま、左右へ銃口を向けた。
バンッ! バンッ!
乾いた銃声が響く。
左右それぞれの先頭にいた敵が、ほぼ同時に崩れ落ちた。
「この野郎!」
残る二人が味方ごと構わず引き金を引く。
相津はアリスへの指示を一旦止め、《アイズ》を使い弾道の"軌跡"を捉えた。
体を最小限だけ捻って銃弾をかわす。
バンッ! バンッ!
反撃は一瞬だった。
相津の服を一発の銃弾が掠める。しかし、その頃には残る二人も床へ倒れていた。
「……な?だから言っただろ?」
「……バカ」
アリスは少しだけ頬を膨らませる。
その表情には呆れと安堵が入り混じっていた。
再び前を向き、一歩ずつ慎重に進む。
そして、最後のレーザーの前で足を止めた。
「アリス、これが最後だ。
肩の高さから下へ等間隔に五本。
隙間は約三十センチ……お前なら通れるはずだ」
「どこを抜ける?」
相津が問いかける。
しかし、アリスはその場でくるりと振り返り、相津へ笑みを向けた。
「……アリス?どうした──」
次の瞬間だった。
アリスは何の躊躇もなく、その場から真後ろへ跳んだ。
大きく背中を反らせる。
まるで棒高跳びの背面跳びのような美しい軌道。
しなやかな身体が宙を舞い、五本並ぶレーザーの上を一気に飛び越えていく。
そして──
トンッ。
音もなく着地した。
「どう?少しは見直した?」
アリスは得意げに微笑む。
「このくらいの高さなら飛び越えるほうが早いわ。
あんまり泥棒を舐めないでほしいわね」
相津は思わず笑みを浮かべた。
「ああ……。お見逸れしたよ」
その言葉に、アリスも満足そうに微笑み返した。
気を取り直したアリスは、最後の扉の前へ歩み寄った。
一方、相津は周囲への警戒を強める。
アリスは潜入中に入手していた指紋データを認証装置にかざした。
ピッ──。
電子音とともにロックが解除され、重い扉がゆっくりと開く。
部屋の中には、一人の少女がベッドの上で小さく膝を抱えてうずくまっていた。
「玲依っ!」
思わずアリスは駆け出した。
その声に反応して少女がゆっくりと顔を上げる。
虚ろだった瞳に、少しずつ光が戻っていく。
「……アリ……ス……?
え……アリス……?
……本当に、アリスなの……?」
夢でも見ているかのように玲依は呟く。
そして次の瞬間、堰を切ったように言葉が溢れ出した。
「……ごめんなさい……。
わたしが……わたしのせいで……
ジョージが……ジョージが、ひどい目に……」
玲依は混乱したまま、自分を責め続ける。
アリスは何も言わず、その小さな身体を優しく抱き寄せ、力強く抱きしめた。
「遅くなってごめんね。もう大丈夫よ」
「ジョージも無事。
むしろ前より元気なくらいなんだから」
アリスは少しだけ笑みを浮かべる。
「……みんなで玲依を迎えに来たの。
本当に、ごめんね。
こんなにつらい思いをさせちゃって……」
その言葉を聞いた瞬間だった。
玲依の張り詰めていた心が、音を立ててほどけていく。
「ひぐっ……ひっく……
よかった……
ジョージが……無事で……
生きてて……」
涙が次から次へと頬を伝う。
「わたし……
ジョージが死んじゃうんじゃないかって……
ずっと……ずっと怖かったぁ……」
アリスは何も言わず、玲依の頭を優しく撫で続けた。
その泣き声はインカムを通じて、廊下で警戒に当たる相津の耳にも届いていた。
相津は静かに目を閉じる。
そして、何も言わず小さく微笑んだ。
その表情は、普段の彼からは想像もできないほど穏やかで、優しかった。
「……来てくれてありがとう……アリス……。
ひっく……
みんな……ありがとう……。
ジョージ……
生きててくれて……
ありがとう……」
玲依は涙で声を震わせながら、一人ひとりへの感謝を口にした。
その言葉を聞いたアリスは、抱き締める腕にそっと力を込めるのだった。
──囚われていた獣の"子"は、大粒の涙を流しながら、ようやく心から安堵した。
その涙は、自らが救われたことへの安堵だけではない。
大切な仲間たちが誰一人欠けることなく、再び会いに来てくれたことへの喜びと感謝。
その優しさが溢れ出した、温かな涙だった──。




