『護衛MISSION ⑾─伝説の殺し屋"ジョーカー"─』
──玲依が囚われている十階建てビル五階。
相津とアリスは、玲依が監禁されている部屋の前までたどり着いていた。
アリスは変装用の制服を脱ぎ捨てると、その下から泥棒時代より愛用している黒いボディスーツ姿を現した。
さらに長いブロンドの髪を手際よくまとめ、後頭部で一つに束ねる。
最後にヘアバンドを軽く弾く。
パチンッ。
「これで良し」
アリスは満足そうに頷き、相津へ振り返った。
「翔との通信は聞いてたわ。
アンタが"眼"になってアタシを誘導するってことは分かったけど……実際どうなの?」
アリスは何もない通路へ視線を向ける。
「アタシには、ただの廊下にしか見えないんだけど」
相津は黙って通路へ視線を移した。
──《アイズ》発動。
赤い光が瞳に宿る。
相津は息を潜めるように通路全体を見渡した。
数秒後、小さく息を吐く。
「ああ……見える」
低く呟くと、さらに慎重に視線を巡らせた。
「お前なら通れる隙間はある。
だが……思っていた以上に厄介だ」
一拍置き、相津は静かに尋ねる。
「……アリス。俺の指示を信じられるか?」
その言葉に、アリスは少しだけ目を丸くした。
「あら……。アンタがそんなこと聞くなんて珍しいじゃない?」
口元に小さな笑みを浮かべる。
「いつもの自信過剰は、どこへ行ったのかしら?」
軽口を叩いたあと、アリスの表情がふっと引き締まる。
「安心しなさい」
真っ直ぐ相津を見つめながら続けた。
「アタシが【Zero】に来てから、アンタの言葉を疑ったことはあっても、信じなかったことは一度もないわ」
一歩、通路へ歩み寄る。
「まして玲依を助けるためだもの。
必要なら──悪魔の言葉だって信じてあげる」
相津は何も言わなかった。
ただ、その言葉が嬉しかったのか、静かに微笑む。
その視線に気付いたアリスは、照れ隠しのようにそっぽを向いた。
「……なによ。そんな顔で見ないで」
そして再び通路へ向き直る。
深く息を吸い込み、小さく吐く。
「さあ──始めるわよ」
再び相津の瞳が深紅に染まる。
レーザーが張り巡らされた通路を見据えながら、相津は静かにアリスの背中へ声を送った。
「行くぞ。俺の声だけを信じろ」
──施設の向かいにある高層マンションの一室。
柏木と心春のヘリ参戦により、もはや狙撃支援は不要となっていた。
電気の消えた真っ暗な部屋で、レオは静かにスナイパーライフルを分解し、近接戦闘用の装備へと切り替えていく。
──ピンポーン。
インターホンが鳴る。
しかしレオは動かない。
呼吸すら消すように、闇へ溶け込んでいた。
──ピンポーン。
二度目のチャイム。
レオがわずかに玄関へ視線を向けた、その瞬間だった。
ガシャァン!
窓ガラスが砕け散り、一人の男が室内へ飛び込む。
同時に玄関のドアが蹴破られ、もう一人が銃を乱射しながら突入した。
二人とも中国マフィア。
この高さまで外壁をよじ登れるほどの身軽さを持つ精鋭だった。
姿を捉えた瞬間、躊躇なく引き金を引く。
パンッ!
だが──
パリンッ。
砕けたのはレオではなく、一枚の鏡だった。
「残念。それは鏡に映っていた私だ」
静かな声。
「──本物は、こっちさ」
次の瞬間。
パン、パンッ。
二発。
二人は糸が切れた人形のように崩れ落ち、そのまま眠るように意識を失った。
レオは玄関へ目を向ける。
そして洗面所の閉じた扉へ向かって静かに声を掛けた。
「……そこにいるんだろう?榊悠馬」
「わざわざ私に会いに来たんだ。
姿くらい見せたらどうだい?」
数秒の沈黙。
やがて、
キィ……。
洗面所の扉がゆっくり開いた。
中から榊悠馬が姿を現す。
「クフフ……。
さすが"ジョーカー"と呼ばれた伝説の殺し屋だ」
「鏡を囮にして敵を誘い込み、返り討ちにするとはね」
「しかもボクの存在にまで気付いていたとは……」
榊は獲物を値踏みするような視線をレオへ向ける。
「褒めてもらえて光栄だよ。
……だが、仲間を捨て駒にして様子を見る君のやり方は、あまり趣味じゃないな」
レオも一歩も引かず、その視線を受け止める。
「おやおや。
"殺し"を生業にしてきたあなたが、そんな綺麗事を口にするとは驚きですよ」
「伝説だ何だと持ち上げられているだけの偽善者でしたか」
「結局あなたも、あの無能なゴリラと同類というわけですね」
空気が揺れた。
レオの表情は変わらない。
「……それは、どういう意味かな?」
榊は楽しそうに笑う。
「あの筋肉ゴリラ。
ボクにやられて意識を失うまで、小娘の名前を呼び続けていたよ」
「地面を這いつくばって、本当に滑稽だった。
ぜひあなたにも見せてあげたかったですねぇ」
部屋の空気が、一気に冷え込む。
レオは静かに口を開いた。
「私から君へ言いたいことは三つある
まず一つ。
伝説だ何だという肩書には興味がない。
私が言ったのは綺麗事ではなく──"美学"の話だ。
君は仲間を使わなければ何もできないと、自分で証明しているようなものだよ」
榊の笑みが僅かに引きつる。
「二つ目。
君はジョージを甘く見過ぎている。
聞くが、もし虎や狼、熊が人間と同じように武器や防具を扱い始めたら、人は勝てると思うかい?」
榊は怪訝そうに眉をひそめる。
レオは淡々と続けた。
「前回君が勝てたのは、ジョージが平和ボケし過ぎていただけさ。
結果は結果。
だが今回で、あいつは本来の感覚を取り戻した。
今のジョージは野生の獣そのものだ。
正直……私でも勝てる保証はない。
断言しよう。
君はもう二度とジョージには勝てない」
榊の額に青筋が浮かぶ。
レオはわずかに笑みを浮かべた。
「そして最後、三つ目。
今から少しだけ──君を教育してあげよう」
その瞬間だった。
レオの姿が消える。
「──なっ!?」
気付いた時には、レオは懐へ潜り込んでいた。
ドンッ!!
鋭い正拳突きが鳩尾へ突き刺さる。
榊は反射的に発砲する。
パンッ!
しかし弾丸は空を切る。
呼吸を奪われた隙に銃は叩き落とされ、一方的な猛攻を受けた。
辛うじて転がって距離を取ると、足首に隠していた予備の拳銃を抜く。
「はぁ……はぁ……」
「貴様ァ……!!
殺し屋のくせに殴り合いとは猿みたいな真似を……
"ジョーカー"としての誇りはないのか!」
レオは銃口を向けられても微動だにしない。
「意味が分からないね。
殺しに必要なのは"引き出しの多さ"だ。
相手も状況も、手段も条件も毎回違う。
だから対応力こそが一番の武器になる。
一つのことだけを極めても、それは殺し屋として大した意味はない。
基本、一人で何でもできること。
それが一流だ。
だから他人を使った君は──
私から見れば、まだ三流だよ」
「黙れぇぇぇぇ!!」
パン! パン! パン!
狂ったように銃を乱射する榊。
その直後。
「ぐぁぁっ!」
左腕へ一本のナイフが深々と突き刺さった。
レオは肩をすくめる。
「ナイフ投げもできるのさ。
なかなか上手いだろう?」
さらにもう一本。
ヒュッ!
刃が榊の頬を紙一重でかすめる。
「これで分かっただろう。
君では私には届かない。
消えるなら今のうちだ。
これ以上続けるなら──
今度は本当に命をもらう」
最後の一本が榊の頬を浅く裂いた。
榊は歯を食いしばると、そのまま部屋を飛び出し、闇の中へ姿を消した。
「やれやれ。
真一には榊をここで止めろと言われていたけど……」
「ジョージも、やられっぱなしでは格好がつかないだろう」
「今回は一つ、"貸し"ということにしておこうか」
レオは苦笑しながら窓際へ歩く。
「もっとも今の私は殺し屋じゃないからね。
だから遠慮なく仲間を頼らせてもらうよ」
窓の外では、激しい銃声と爆発が夜を揺らしていた。
レオは静かにその光景を眺め、小さく微笑む。
「さて、少し休憩だ。
あとは頼んだよ──みんな」
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