『護衛MISSION ⑸─ジョージの決意─』
国家公安委員会の審問会を終えた柏木は、長官室を後にし、静かな廊下を歩いてエレベーターホールへ向かった。
チン──。
ホールへ辿り着くと、壁にもたれ掛かる一人の男の姿があった。
相津だった。
腕を組み、無言のまま柏木を待っていた。
柏木はその表情を見た瞬間、普段よりもわずかに強張っていることに気付く。
何も聞かなくても分かった。
相津は、自分以上にこの結果を気に掛けていたのだ。
柏木は苦笑し、小さく息を吐いてから口を開く。
「……なんて顔してるんだよ、相津」
少し間を置き、優しく続けた。
「心配するな。
これは俺の仕事なんだからさ」
そう言うと、柏木はエレベーターの呼び出しボタンを押した。
静かな電子音がホールに響く。
「それに長官も委員長も、ちゃんと言ってくれた」
柏木は相津を見て笑う。
「期限内に全部取り返せば問題なし。
つまり──全部解決、オールクリアだ」
いつもの調子で、あえて明るく言い切る。
その笑顔を見て、相津もようやく口元を緩めた。
「……なら」
静かに壁から体を起こす。
「ここからは、俺の仕事だ」
その一言には、絶対に玲依を取り戻すという揺るぎない決意が込められていた。
柏木は何も言わず、小さく笑って頷く。
二人は並んでエレベーターへ乗り込み、静かに扉が閉まった。
反撃の時が、始まる。
──玲依奪還期限まで、あと五日。
午前十一時。
【Zero】の作戦指令室には、ジョージと心春を除く全メンバーが集まっていた。
モニターには事件資料が映し出され、室内には重苦しい空気が漂っている。
柏木は国家公安委員会での審問内容を一通り説明し終えると、深く息を吐いた。
「──以上が審問会での内容だ」
その言葉を受け、最初に口を開いたのはレオだった。
「結局のところ、玲依を取り戻せばいいだけの話だろう?」
レオは椅子に腰掛けたまま肩をすくめる。
「オール・オア・ナッシング──。
非常に単純で分かりやすいじゃないか」
そして、わずかに目を細めた。
「それに私が目を付けた未来のレディを攫ったんだ……」
「上の事情など関係ない。必ず取り返すさ」
普段と変わらない穏やかな口調。
しかし、その瞳の奥には静かな怒りが宿っていた。
「その通りよ」
アリスも腕を組みながら頷く。
「アタシ、玲依にお化粧を教えてあげる約束してるんだから」
ギリッ──。
拳を握る音が聞こえそうなほど力が入る。
「泥棒であるアタシの"もの"に手を出すなんてね。
絶対に許さないわ」
「僕も困るんだよね……」
翔がモニターを操作しながら口を挟む。
「玲依が帰ってこないと、一緒にやってるゲームが進まないじゃん」
軽い口調だった。
だが、その指はいつも以上の速度でキーボードを叩いている。
それが彼なりの苛立ちだった。
レオ、アリス、翔。
三人とも表現の仕方こそ違うが、玲依を仲間として心配していることは明らかだった。
やがて翔が手を止める。
椅子をくるりと回転させ、相津へ視線を向けた。
「で──」
「ジョージは今どうなってるの?」
その一言に、レオとアリスも同じように相津を見る。
相津は静かに答えた。
「命に別状はない」
全員が少しだけ安堵する。
「現在は警察病院に入院中だ」
「一度に大量の麻酔弾を撃ち込まれた影響で、まだ意識が戻らない」
「だが医者の話では、そろそろ目を覚ましてもおかしくないそうだ」
相津は続ける。
「心春には毎日見舞いへ行ってもらっている。
今も病院にいるはずだ」
説明が終わると、部屋に静寂が訪れた。
誰も言葉を発しない。
やがて翔が再びキーボードへ手を置きながら呟く。
「……ふーん」
数秒の沈黙。
「でもさ……」
「話を聞く限り、相手はジョージに正面から勝てないから不意打ちしたんでしょ?」
翔はモニターを見たまま言った。
「いくら脳筋ゴリラでも、それじゃどうしようもないじゃん」
ぶっきらぼうな言い方だった。
だが相津には分かっていた。
翔はジョージが負けたこと自体を受け入れられていないのだ。
それほどまでに、ジョージという男を信頼している。
柏木も小さく頷いた。
「……俺はジョージが目を覚ました後の方が心配だな」
全員の視線が柏木へ向く。
「身体じゃない。精神面だ……」
柏木は苦い表情を浮かべた。
「玲依と一番仲が良かったのはジョージだったからな。その玲依を、目の前で攫われた……」
「相当なショックを受けていてもおかしくないだろう……」
その瞬間だった。
プルルルルル──。
静寂を切り裂くように、相津の携帯電話が鳴った。
全員の視線が一斉に集まる。
相津が画面を見る。
表示されていた名前は──【立花心春】
嫌な予感がした。
相津はすぐに通話ボタンを押す。
「もしもし」
すると受話器の向こうから、焦り切った声が飛び込んできた。
〈あっ、相津さん!?〉
〈大変です!!〉
心春の声は震えていた。
〈ジョージさんが──〉
〈病院からいなくなりました!!〉
その一言に、作戦指令室の空気が凍り付いた。
──その日の夜 午後十一時。
【Zero】オフィス。
作戦指令室奥、医務室兼仮眠室。
室内には簡易ベッドが三台と医療用品が並び、奥には非常用の出入口が設けられている。
その先の階段は地上へと続き、非常時の脱出口であると同時に、武器の搬入にも使われる非正規ルートだった。
相津は、その階段の途中に腰を下ろし、一人静かに待っていた。
心春から連絡を受けたあと、全員で警察病院へ向かったものの、ジョージの姿はどこにもなかった。
柏木は「ジョージのことは相津に任せる」とだけ告げ、それぞれに玲依奪還の準備へ戻るよう指示を出していた。
静まり返った地下に、金属の階段を踏みしめる音が響く。
カン……カン……カン……。
ゆっくりと近づいてくる足音に、相津は目を閉じたまま口を開いた。
「遅かったな……ジョージ」
「真一……。やっぱり、お前にはお見通しか」
ジョージは苦笑混じりに息を吐き、最後の一段を降りた。
その歩き方を見て、相津は内心ほっと胸をなで下ろす。
(身体の方は、思ったより動けるようだな)
「正面玄関じゃなく非常用脱出口から来たってことは……武器を持って、一人で敵地へ乗り込むつもりだったのか?」
静かな問いかけだった。
しかしジョージは即座に言い返した。
「当たり前だろ!」
地下室に怒声が響く。
「俺の目の前で玲依は連れて行かれたんだ!
あいつは俺を信じて、俺の言うことをちゃんと守った!」
「俺が『車から出るな』って言ったから、最後まで出なかった……!」
拳を強く握り締める。
「それなのに俺は……。
人形なんかに気を取られて、一瞬、本物と見間違えた」
「その一瞬のせいで玲依は──」
言葉が詰まる。
ジョージは唇を噛み締めた。
「……全部、俺のせいなんだよ」
悔しさを押し殺すような低い声が漏れる。
「だから一刻も早く助けに行かなきゃならねぇ」
「人質だから今すぐ殺されることはねぇだろうが……」
「あいつの心が、いつまで耐えられるか分からねぇんだよ」
叫ぶたび、感情は抑えきれなくなっていく。
それとは対照的に、相津は静かだった。
「……だから一人で行くのか?」
短い問い。
「確かに、お前なら一人でも玲依を救い出せるかもしれない」
「だが、その代わりにお前は重傷を負うか……あるいは死ぬ」
淡々とした口調。
だが、その一言一言には重みがあった。
「構いやしねぇ!」
ジョージが一歩踏み出す。
「こんなの軍人だった頃から日常茶飯事だ!」
「何もできず仲間を見捨てるくらいなら、特攻して死んだ方がマシだ!」
鋭い眼光で相津を睨みつける。
「言っとくが俺を止めようとしても無駄だぞ。
命令なんざクソ食らえだ!」
「処分したけりゃ好きにしろ!」
地下室に沈黙が落ちた。
数秒後──。
相津は小さく息を吐いた。
「……別に、"俺は"止めねぇよ」
予想外の返答に、ジョージが目を見開く。
相津はポケットから、小さなICレコーダーを取り出した。
「これが何か分かるか?」
ジョージの視線が、その機械へ向く。
「お前が玲依に渡したインカム。
『何かあったら、これに向かって話せ』
……そう言ったのは、お前だったよな」
「まさか……」
ジョージの表情が変わる。
相津は何も言わず、ICレコーダーの再生ボタンを押した。
玲依の、小さな声が静かに流れ始めた。
ザザッ──。
〈……ジョージ、聞こえる……?
……ごめんなさい。
わたしのせいで、ひどい目に遭わせちゃって……ごめんなさい。
わたし、素直じゃないから……ちゃんと言えなかったけど……。
みんなと一緒にいた時間、本当に楽しかったの。
だから……だから……。
ごめんなさい……うまく話せないや……。
ジョージ……生きていてね。
絶対……絶対に死んじゃダメだから。
……ママみたいにいなくなったら、許さないから。
……ジョージ……みんな……会いたいよ……〉
ザザッ──。
音声が途切れた。
地下通路に静寂が落ちる。
ジョージは微動だにしなかった。
握り締めた拳は震え、視線は虚空を見つめたまま動かない。
そんな彼へ、相津は静かに語りかけた。
「ジョージ……。
お前が何を考えていたのかも、何を背負い込んでいたのかも……俺だけじゃない……」
「【Zero】のみんな、もう分かってる」
ゆっくりと一歩近づく。
「だからジョージ。俺たちの作戦に加われ」
「お前が加われば──」
相津は真っ直ぐジョージを見据えた。
「100%、玲依を助け出せる」
その言葉で、止まっていた時間が動き出した。
「100%……だと?」
ジョージの瞳に、再び感情が宿る。
「玲依は自分が攫われたってのに……!
俺の心配なんかして……。
あんな優しい奴を……!」
声が震える。
「そんな奴を……!
これ以上、一秒だって待たせられるかよ!」
ジョージは涙も拭かず叫んだ。
「何を根拠に100%なんて言ってんだ!」
地下に響く怒声。
だが相津は微動だにしなかった。
「玲依は、お前が思っているほど弱い子じゃない」
静かな声だった。
「一番近くで見てきたお前なら分かるはずだ。
"愛人の子"として九条家で肩身の狭い思いをしながらも……。
あの子は殻に閉じこもらなかった。
自分は"九条玲依"だと胸を張って生きてきた」
一呼吸置く。
「あの年なら、まだ甘えたっていい。
泣きわめいたって誰も責めやしない。
それでも玲依は、前を向き続けた。
……誰にでもできることじゃない」
相津の目が優しく細くなる。
「だから俺たちは、あいつの願いを全部叶える。
玲依を助ける。
そして、お前も生きて帰る。
全員で迎えに行くんだ!」
「……そんなこと……」
ジョージは言葉を失う。
すると相津は、小さく笑った。
「前にも言っただろ?」
口元に笑みを浮かべる。
「『この俺が言ってるんだ。これ以上の根拠はねぇだろ』」
その瞬間。
ジョージの脳裏に、かつて相津と拳を交えた日の記憶がよみがえった。
思わず苦笑が漏れる。
「……あの時と、まったく同じこと言いやがって」
怒りは消え去っていた。
その代わりに宿ったのは──必ず玲依を助け出すという、揺るぎない決意だった。
相津がニヤリと笑う。
「で?
どっちを選ぶんだ、ジョージ」
ジョージはゆっくりとうなずいた。
「ああ……。
根拠は、お前のその一言だけで十分だ」
一歩前へ出る。
「俺も作戦に参加する。
頼む。
あいつを……玲依を助けるために、お前たちの力を貸してくれ」
そう言って、深く頭を下げた。
相津は何も言わず近づき、小さなものをジョージの手のひらへ置く。
赤いリボンだった。
玲依が母から受け継ぎ、命よりも大切にしていた宝物。
「それは、お前が持ってるべきだ」
ジョージはそっとリボンを握り締める。
相津は軽く笑った。
「頭を上げろ。
仲間に『力を貸してくれ』なんて頼む必要はない……」
「そんなの、当たり前のことだからな」
そして静かに前を向く。
「……さあ。
全員で玲依を迎えに行こうか!」
ジョージは大きくうなずいた。
二人は非常口から地上へ出ると、そのまま【Zero】のオフィスへ歩き出す。
ふと、ジョージは足を止めた。
何気なく見上げた夜空には、丸い月が静かに浮かび、その周りでは無数の星々が優しく瞬いている。
ほんの少し前まで、その景色に気づく余裕すら失っていた。
だが今は違う。
ジョージの胸には、再び仲間とともに戦う覚悟という光が灯っていた。
──玲依を迎えに行く。
その決意は、夜空に輝く星々にも負けないほど、強く揺るぎないものとなっていた。
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