『追憶file.二階堂翔⑶─汚い大人たち─』
──二階堂翔の連行翌日 午後四時。
柏木と相津は、翔と改めて話をするため、取調室へ呼び出した。
机を挟んで柏木と翔が向かい合い、相津は柏木の後ろ、壁にもたれながら静かに様子を見守っている。
「わざわざ来てもらって悪いね、二階堂翔君。
君と少し話がしたくて呼ばせてもらった」
「安心してくれ。この部屋には録音も記録員もいない。今ここにいるのは、俺たち三人だけだ」
翔は柏木をじっと見つめると、小さく鼻で笑った。
「安心?」
「むしろ逆でしょ。三人しかいないなら、拷問されたって誰にもバレない」
「それだけ皮肉が言えるなら元気そうだな」
柏木も苦笑しながら皮肉で返す。
翔は少しだけ不機嫌そうに眉をひそめた。
その反応を見届けると、柏木は表情を引き締める。
「単刀直入に言おう。
君のその才能を、犯罪者を捕まえるために貸してほしい」
「俺たちの仲間として──警察に入ってくれないか」
翔は驚く様子もなく、小さく相づちを打った。
「……ふーん」
「もちろん協力してくれるなら、今回の事件は不問にする」
「過去の犯罪歴も、すべて白紙にできるよう手を回す」
柏木は、事前に用意していた切り札を静かに差し出した。
翔はしばらく黙って資料を見つめる。
そして、不意に顔を上げた。
「……おじさん、役職は?」
「ん?一応、警視長だけど」
「へぇ……。見た目によらず偉い人なんだ」
「『見た目によらず』は余計だけどな」
柏木が苦笑すると、翔は淡々と続けた。
「……じゃあ、僕のことも全部調べたんだよね」
「ああ。大体は知ってる」
取調室に静かな沈黙が落ちる。
やがて翔は、小さな声で尋ねた。
「……父さんは、何て言ってた?」
「…………」
柏木は言葉を失った。
親子関係は冷え切っているとは思っていた。
それでも、この質問だけは予想していなかった。
重苦しい空気の中、相津が静かに口を開く。
「『息子は十八歳で成人しています。
今回の件はすべて本人の責任であり、私は一切関係ありません。
息子とは絶縁しますので、どうぞお好きにしてください』
……だそうだ」
柏木は思わず振り返り、相津を睨みつけた。
(そのまま言うなよ……)
そんな心の声が表情に滲んでいた。
「……そう」
翔はそれだけ呟き、静かに俯く。
慌てて柏木が口を開いた。
「いや、ほら……。
あれだ。過干渉にならないよう遠くから見守る、みたいな意味かもしれないしさ」
言いながら、自分でも苦しい言い訳だと思っていた。
柏木は頭をかき、気まずそうに笑う。
「……でも、この機会に過去を清算してさ。
今度は俺たちと一緒に、世界を救ってみないか」
ピクリ──。
その一言に、ずっと俯いていた翔の顔がゆっくりと上がった。
「……世界を救う?」
その瞳には、冷え切った光が宿っていた。
「僕にとって、この世界は救う価値なんてない」
声は静かだった。
だが、その奥には抑え続けてきた怒りが滲んでいた。
「学校の連中だって、都合のいい時だけ僕に近寄ってきた」
「父さんだってそうだ。
母さんと会う口実に僕を利用していただけだ」
「あんな奴……親でも何でもない!」
翔は堰を切ったように叫んだ。
「不正送金だって同じだ!
あいつらも僕を"道具"としてしか見てなかった!」
「アンタたちだって結局同じじゃないか!
どうせ僕を利用したいだけなんだろ!」
怒声が取調室に響き渡る。
「……汚い大人が作る世界なんて、滅べばいいんだよ!」
叫び終えた翔は肩で息をしながら俯いた。
静まり返った取調室。
柏木も相津も、何も言わなかった。
二人はただ、翔の心の叫びを静かに受け止めていた。
──【Zero】オフィス 午後六時。
相津と柏木がオフィスへ戻ると、先に任務を終えたジョージがソファに腰掛けて待っていた。
「おう、お前ら。どこ行ってたんだ?」
いつもの調子で声を掛けるジョージ。
「あー……今は、その何も考えてなさそうな顔が妙に癒やされるぜ……ジョージ」
柏木は疲れ切った様子でジョージの肩にもたれ掛かった。
「お、おい真一。孝治はどうしちまったんだ?」
困惑するジョージを横目に、相津は何も言わず給湯室へ向かい、三人分のコーヒーを淹れ始める。
湯気の立つマグカップをテーブルに並べると、柏木が今日の出来事を語り始めた。
「──と、まあ、こんな感じだ」
一通り話を聞き終えたジョージは腕を組み、鼻を鳴らした。
「けっ。難しく考えすぎなんだよ、あのガキは」
「ガキなんだから、ガキらしく誰かに助けてもらえばいいじゃねぇか」
あまりにも単純明快な答えに、柏木は思わず苦笑する。
「まあ、お前の言う通りなんだけどな」
「その"素直になる"ってのが、一番難しいんだろうさ」
「しかも何だか俺、思いっきり地雷踏んじまったみたいでさぁ……」
柏木は頭を抱え、大きくため息をついた。
コーヒーを一口飲んだ相津が、静かに口を開く。
「確かに地雷ではあったが、結果としては悪くない」
二人の視線が相津へ向く。
「今まで一切感情を表に出さなかった少年が、あれほど怒りを露わにした」
「少なくとも、心の扉は少し開いたということだ」
「でもよ、もう打つ手なんてないだろ?」
柏木が首をかしげる。
相津は自信ありげに微笑み、コーヒーをもう一口飲んだ。
「……大丈夫だ」
その一言には、揺るぎない確信が込められていた。
この場面は、とても良いです。
──午後十一時 留置場 二階堂翔の独房。
消灯時間を過ぎた留置場。
薄暗い廊下を、相津はパイプ椅子を片手にゆっくりと歩いていた。
カッ、カッ、カッ──。
翔の独房の前で足を止めると、鉄格子の前に椅子を広げて腰を下ろす。
「……まだ起きてるか?」
ベッドで横になっていた翔が、ゆっくりと身体を起こした。
「もう消灯時間過ぎてるけど……。
アンタ、こんなところにいていいの?」
「巡回を代わってもらった。
寝る前の世間話だと思って、少し付き合えよ」
相津は翔を見つめ、小さく息をつく。
「……まだ昼間のこと、引きずってるのか?」
翔は視線を逸らし、静かに口を開いた。
「アンタもか……。
今さら僕に何をしろって言うんだよ。
今まで何もしてくれなかったくせに……。
利用したい時だけ耳障りのいいことを言って、必要なくなれば捨てる。
どうせ、大人なんてみんな同じだ」
相津は何も言わず、その言葉を受け止める。
「僕を見つけられなかった奴らが……」
「僕を見ようともしなかった奴らが……」
「今さら───」
翔はシーツを強く握り締めた。
その手は、小さく震えている。
しばらくの沈黙のあと、相津が静かに口を開いた。
「……何言ってんだ」
翔が顔を上げる。
「俺は見つけたじゃねぇか」
「どれだけ巧妙に隠れようが、どこへ逃げようが。
俺はお前を見つけて、捕まえた」
「……えっ」
思いもよらない言葉だった。
翔の瞳が揺れる。
「そして今も──」
相津は翔を真っすぐ指差した。
「俺は、お前を見ている」
「……そ、それは詭弁だ!
アンタだって汚い大人の一人じゃないか!」
「そんなに汚い大人が嫌いか?」
「ああ、嫌いだ……」
迷いのない即答だった。
相津は背もたれに身体を預け、足を組む。
「そうか」
「でもな、俺がお前なら、その力で汚い大人を利用する」
翔は怪訝そうな表情を浮かべる。
「……どういう意味?」
「お前の腕があれば、それくらい簡単だろ。
柏木なんて、逆に利用してやればいい」
「何を言って──」
言葉に詰まる翔。
相津はゆっくり立ち上がり、鉄格子に手を掛けた。
「……今のお前の目は、昔の俺によく似てる。
だから放っておけないんだ……」
一拍置いて、静かに続ける。
「いいか。一度しか言わないからよく聞け」
赤い瞳が真っすぐ翔を射抜く。
「俺のこの"眼"は特別だ。
だから、お前を見落とすことは絶対にない。
この先、お前がどこへ逃げようが、何を背負おうが……
必ず見つけ出して、必ず捕まえる。
そして──必ず救う」
相津は穏やかに笑った。
「俺たちのところへ来い」
「言っとくが、お前が俺たちを捨てたくなっても、俺は逃がさないからな」
翔は呆然と相津を見つめた。
気づけば頬を涙が伝っていた。
慌てて俯き、涙を隠すように鼻をすすりながら強がる。
「……っ、何言ってるんだよ。
全然意味分かんないし……」
「自意識過剰じゃね?」
「それに……アンタの言葉には何の根拠もない」
相津は肩をすくめ、笑った。
「分からなくていいさ」
「それに───」
自信満々に笑う。
「『この俺が言ってるんだ。これ以上の根拠はねぇだろ』」
一瞬の沈黙。
そして翔は、思わず吹き出した。
「あははっ……!
本当に頭おかしいんじゃないの?」
涙を拭いながら笑う。
「……なんか、全部バカらしくなってきた。
アンタに一生追い回されるのも嫌だし……」
「しょうがないから、その誘い受けてあげるよ」
その瞳から、もう涙は消えていた。
相津は静かにパイプ椅子を畳み、立ち上がる。
「ああ、そうだ。
さっき一つだけ言い忘れた」
翔が顔を上げる。
「大人を利用しろとは言ったが……
俺だけは、どうやってもコントロールできないからな」
そう言って軽く手を挙げる。
「……じゃあ、またな」
相津は背を向け、静かに独房を後にした。
残された翔は、小さく笑って呟く。
「ちぇっ……やっぱり汚い大人じゃないか」
少し間を置き、誰にも聞こえないほど小さな声で続けた。
「……こんな僕でも……居場所、できるかな」
静かな独房。
翔は天井を見上げる。
一筋の涙が、頬をゆっくりと伝い落ちた。
それが悲しみではなく、安堵からこぼれた涙だと気づくまで、そう時間はかからなかった。
誰も信じず、誰にも心を開かずに生きてきた孤独な少年。
その夜、彼は久しく忘れていた穏やかな表情を浮かべながら、深い眠りへと落ちていくのだった──。
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