『追憶file.二階堂翔⑵─孤独なハッカー─』
──東京駅近郊 午後四時。
相津と柏木は、東京駅近郊のビル二階にあるカフェで向かい合って座っていた。
相津はショーウィンドウ越しに、人の流れを静かに見つめている。
「ここまでは予定通りだな。あとはターゲットが現れるかどうか……」
柏木はコーヒーを口に運びながら、この数日間を思い返していた。
数日前、相津がサイバー犯罪対策課へ提案した作戦はこうだった。
今回の不正送金には、実行犯であるハッカーと、背後で指示を出す犯罪組織が存在する──。
相津はそう推測していた。
理由は二つ。
実行犯が学生と思われること。
そして、過去の愉快犯的な軽犯罪とは異なり、今回は金銭だけを狙った極めて計画的な犯行へ変化していたことだった。
そこで相津たちは、まず"指示役の組織"を狙うことにした。
不正送金先として利用されていた架空会社を辿れば、組織の特定は難しくない。
すぐに関係者一人の身柄を確保し、《アイズ》で供述の真偽を見極めながら尋問を進めた結果、組織の規模や連絡手段までは判明した。
だが、肝心のハッカーについては、ほとんど情報を持っていなかった。
唯一分かったのは、報酬は毎回コインロッカーへ現金で置かれ、連絡はメールのみということ。
だからこそ相津たちは、その受け渡しの瞬間を待ち伏せしていた。
「必ず来る」
相津は視線を動かさずに答える。
「来るのは間違いねぇ。ただ問題はタイミングだ」
柏木は苦笑した。
「ロッカーを開けた後じゃ現行犯になる。
あの人混みの中で逮捕するしかなくなるからな」
「ああ。だからこそ、この作戦なんだ」
相津は静かに続ける。
「指示役と違って、ハッカーはまだ少年の可能性が高い。事情を確認してから処遇を決めても遅くはない」
少年が誰かに利用されているだけ──。
その可能性も十分に考えられた。
だから相津は、犯罪者としてではなく、一人の少年として話を聞きたかった。
「しかし、よく課長も了承したな」
柏木は肩をすくめる。
「向こうからすれば、現行犯で逮捕した方が手っ取り早いだろ」
「俺たちが協力する条件だったからな」
相津は短く答え、再び駅前を行き交う人々へ視線を戻した。
三十分ほどが過ぎた。
相津は微動だにせず、ショーウィンドウ越しに人の流れを見つめ続けている。
その時だった。
パーカー姿の高校生くらいの少年が、一人、コインロッカーへ歩み寄った。
「来た……。おそらく、あいつだ」
柏木はすぐさまインカムへ手を伸ばす。
「こちら柏木。ターゲットを確認」
少年はロッカーの前で立ち止まると、スマートフォンを取り出し、何かを打ち始めた。
その瞬間──
相津の"眼"、《アイズ》が赤く輝く。
少年の指先を一切見逃さないように視線を固定したまま、相津はインカムへ静かに手を添えた。
数秒後。
インカムから聞こえてきた声を聞いた相津が、口元を吊り上げる。
「──ビンゴだ」
直後、無線へ叫ぶ。
「ジョージ!」
相津は席を蹴るように立ち上がると、一目散に少年のもとへ駆け出した。
柏木もその後を追う。
実はこの時、サイバー犯罪対策課では、確保した組織構成員のスマートフォンから少年へメールを送信していた。
相津は《アイズ》で少年の指の動きを読み取り、入力している文章をその場で読み解いていたのだ。
そして、少年が送信ボタンを押した直後。
課長のもとへ届いたメールの内容が、インカム越しに伝えられる。
相津が読み取った文章と、一字一句違わない。
その瞬間、少年こそが目的のハッカーであることが証明されたのだった。
──コインロッカー前。
「あー……何番のロッカーだったっけな?」
ジョージは頭をかきながら、ロッカーの前をうろうろする。
「こっちだったか?いや、違うな……。あっちか?」
わざとらしく首をかしげ、その巨体で通路を塞いだ。
「悪ぃな、坊主。ちょっとだけ待っててくれや」
少年は大きくため息をつき、不機嫌そうに眉をひそめる。
「ねぇ、僕、急いでるんだけど。早くしてくれない?」
その時だった。
ポン──。
後ろから、誰かの手が少年の肩にそっと置かれる。
「君に、ハッキングによる不正送金の嫌疑が掛かっている」
静かな声が耳元で響く。
「事情を伺いたい。署までご同行願えますか」
少年はゆっくりと振り返る。
そこで初めて、相津と"眼"が合った。
数秒──。
二人は無言のまま互いを見つめ合う。
やがて少年は、小さく息を吐いた。
「……そう」
どこか諦めたような声だった。
「思ったより、早かったね」
そして抵抗することなく、小さく頷く。
「……うん、いいよ」
少年は静かに歩き出し、そのままパトカーへ乗り込んだ。
逃げようともしない。
暴れようともしない。
あまりにもあっけない幕切れだった。
相津は最後まで少年の"眼"を見つめていた。
そこに映っていたのは、恐怖でも、怒りでもない。
──まるで、この世界に何一つ期待していないような"眼"だった。
──翌日 【Zero】オフィス 午前十時。
休憩室で相津が新聞を読んでいると、柏木が部屋へ戻ってきた。
「お疲れさん。組織の方はどうなった?」
新聞をたたみながら相津が尋ねる。
「今朝、捜査一課が隠れ家へ踏み込んだよ。ジョージも同行してる。あいつがいる以上、抵抗しても無駄だろう。大人しく捕まるさ」
昨日、少年は事情聴取で不正送金への関与をあっさり認めた。
その供述をもとに、組織の捜査は捜査一課へ引き継がれている。
万が一に備え、ジョージも現場へ同行させた。
一方、少年は本来なら不正送金の実行犯だったが、相津の判断で任意同行という形を取った。
その後、自らの犯行についても包み隠さず供述したため、現在は留置場で身柄を保護されている。
「そうか……」
相津は小さく頷く。
「それで、あいつの身元は分かったのか?」
柏木はタブレットへ資料を送り、相津へ差し出した。
「ああ」
相津は画面へ目を落とす。
「名前は二階堂翔。18歳。現在は××高校三年生だ。受験シーズンで自由登校中。そこはお前の読み通りだった」
柏木は資料を見ながら続ける。
「12歳の時に両親が離婚。父親に引き取られたが、海外勤務でほとんど家に帰らない。生活費だけは十分に送られていたらしく、それ以来ずっとマンションで一人暮らしだったそうだ」
相津の表情がわずかに曇る。
「その環境もあってか、中学ではいじめの標的になった。三年になる頃には不登校になり、その頃からハッキングによる軽犯罪を繰り返すようになったらしい。……憂さ晴らしもあったんだろうな」
柏木は一度言葉を切る。
「高校には進学したが、学校にも家庭にも居場所はなかった」
「現実で孤独を抱えた結果、ネットの世界だけが、あいつの居場所になってしまったんだ」
静かな口調でそう締めくくる。
「その腕を犯罪組織に目を付けられ、報酬と引き換えにハッキングを請け負うようになった。そして今回の不正送金事件へと繋がった……というわけだ」
部屋に静かな空気が流れる。
相津はタブレットに映る少年の顔写真を、しばらく無言で見つめていた。
話し終えた柏木は冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出し、一口飲んだ。
「父親は何て言ってる?
放っておいても、一応は保護者なんだろ」
相津が静かに尋ねる。
柏木は言いづらそうに頭をかき、苦い表情を浮かべた。
「ああ……それなんだがな」
一度言葉を切り、小さく息を吐く。
「『息子は18歳で成人しています。この件はすべて本人の責任であり、私は一切関係ありません』
──それと」
柏木はしばらく黙り込み、重い口を開いた。
「『息子とは絶縁しますので、どうぞお好きにしてください』……だそうだ」
「ここまでくると、さすがに同情しちまうよ」
深いため息が部屋に落ちる。
「……そうか」
相津はタブレットへ視線を落としたまま、小さく呟いた。
「こうなると、お前が現行犯で逮捕しなかった意味も薄くなっちまったな」
「あの少年の将来や、親子関係への影響を考えての判断だったんだろ?」
しばらく沈黙が流れる。
相津は画面に映る少年の資料を静かに見つめ続けていた。
そして、不意に顔を上げる。
「……なあ柏木」
「ん?」
「──あいつを【Zero】の仲間にしないか?」
「ブハッ!」
柏木は飲んでいたお茶を盛大に吹き出した。
「……いきなり何を言い出すんだ、お前は」
───相津は、二階堂翔という少年を“見て”、何かを感じ取っていた。
果たして柏木と相津は、この孤独なハッカーを仲間にすることができるのだろうか───。




