Ep.8 異母姉
「アイヒェン侯爵令嬢、ご機嫌麗しゅう存じますわ」
会話が少し落ち着き始めた頃——数人の令嬢と連れ立って現れたのは、四公爵家最後の一人、クライスト公爵令嬢だった。
「ご機嫌よう、クライスト公爵令嬢」
「まあ、わたくしのことご存知で? 嬉しいですわ」
礼儀は守っているけれど、どことなく見下されているような空気を感じる……。
彼女の左右にいる令嬢たちも六侯爵家のうちの二人で、後ろの方にいるもう一人の令嬢へ視線を向けた瞬間、ヒュッと息を吸い込んだ————。
「アイヒェン侯爵令嬢、ご機嫌麗しゅう存じますわ。 初めまして、ホーエン伯爵家、カタリーナ・フォン・ホーエンと申しますわ」
————ホーエン伯爵家。私の実父の家だ。
つまり……彼女は私の異母姉ということになる————。
「は、初めまし、て……アマーリエ・フォン・アイヒェンと申します」
「ええ、もちろん存じておりますわ……よくね」
私と同じ、父親譲りの『ミントグリーン』の瞳は、凍てつくほど冷たく見える。
「あら、『お姉様』とお呼びになりませんの? アンネリーゼ様とは少し違いますが、同じお父様であるカタリーナ様も『異母姉』でしょう?」
「……クライスト公爵令嬢、ご冗談を。 私とアルバ公爵令嬢を同列に扱われるなど烏滸がましいですわ……それに、アイヒェン侯爵令嬢も『伯爵家』の私を『姉』などとお思いにならないでしょう」
自分の顔から微笑みが完全に消えたのが分かった。
膝上のスカートをギュッと握り締めながら、全身から血の気が引いていく。
確かにホーエン伯爵令嬢——カタリーナ様を『お姉様』と呼んだことも、思ったこともない。
カタリーナ様が私よりも四つ上なこともあるけれど、社交界デビューをしていない私が会う機会など一度もなかった。
それに何より——ホーエン伯爵家からは『恨まれている』と思っていたのだ。
実父はホーエン伯爵家のたった一人の嫡男だった。
容姿の良さも相まって、前ホーエン伯爵夫妻が大層可愛がった影響なのか、女性問題をどこか『仕方がないこと』だと思っていたようだ。
実父へ嫁ぎたがる令嬢は多かったが、いくら能力が高くても後継問題が起きそうな家に娘を嫁がせたがる貴族家はそういない。
そこで、何があっても黙っていそうな夫人に白羽の矢が立ったそうだ。
没落気味だった生家への援助を条件に婚姻したが、予想通り女遊びを止めることはなかった。
それでも外で子を作るのは良くないという僅かな常識はあり、相手に避妊薬の服用を義務付け、本人も二重の用心として避妊薬を飲んでいたのだ。
避妊薬の品質はピンキリで、高品質な物は効果が現れるのに一週間ほどかかる。
逆に粗悪な物は二、三日で効果が現れるが、避妊効果はかなり落ちる。
実父はカタリーナの他に嫡男を望み、避妊薬を止めていたタイミングでお母様と関係を持ってしまった————。
実父は必ず相手に目の前で避妊薬を飲ませていたのだが、お母様はアルバ公爵が外交で隣国へ行っている間は高品質な物を用意することが出来た。
けれど公爵が帰国すると同じ品質の物を調達することが難しくなり、目を盗んで購入出来た物はだいぶ品質が落ちていたようだ。
お母様は、それを実父に黙ったまま関係を持った。
そのたった一、二度でお母様が身篭ることになるなど、予想もせずに……。
お母様との不貞行為により『托卵』の罪に問われた実父は、相当な慰謝料をアルバ公爵家へ支払うこととなったらしい。
それまで裕福だったホーエン伯爵家は傾き、夫人の生家も余波を受けた。
離縁も考えたようだったけれど、生家に戻ってもいつまで維持出来るか分からない……。
更に、カタリーナ様はホーエン伯爵家唯一の嫡子であった為、引き取ることも許されなかった。
結局、夫人はカタリーナ様の為に耐えるしかなかったのだ。
アルバ公爵家を追い出された後、お母様は一度ホーエン伯爵家へ押し掛けたらしい。
「避妊をするのは、私と関係するときの約束だった。 万が一、問題が起きても私は責任を負わない。 それは契約書にして署名もしてあるはずだ。 避妊薬を服用するのは確認したから怠ったとは言わないが、そんな薬を用意したのは貴女の責任なのだから契約通り、私が貴女と再婚することはない」
夫人と離縁して自分と再婚するように迫ると、そう返されたらしい。
只でさえアルバ公爵を怒らせているのに、お母様と再婚して更に目を付けられたくなかったのだろう、とお祖父様が言っていた。
それにお母様の口から出るのは、いつも『アルバ公爵家』の話だった。
アルバ公爵夫人となったことがお母様にとって誇りだったようで、『ライナルトとアンネリーゼという兄姉がいるのよ』と聞かされていた。
カタリーナ様の名前など、一度も出たことはなかった————。
「カタリーナ様は……その、お会いしたことがなかったので……」
「そうですわね。 ですがお会いしていたとしても、『侯爵令嬢』で『王太子妃』となられるアイヒェン侯爵令嬢の『姉』を名乗るなど、私には出来ませんわ」
言い淀みながら何とか言葉を紡いだけれど、それもカタリーナ様の痛烈な言葉で切り捨てられた。
彼女の言葉の意味は——『公爵令嬢』で『王太子妃候補』だったアンネリーゼを『姉』と呼んだ私への、皮肉なのだろう。
すぐに受け入れて貰えないかもしれない、という考えは少しはあった。
けれど、私の境遇に同情してフェリクス殿下のように『アンネリーゼは冷たい』『そんなに堅苦しく考えなくてもいいのに』という声が、もう少し上がると思っていた……。
その後のことは、よく覚えていない。
スカートをグシャッと強く握り締めたまま、俯いてしまった顔を上げることが出来ずに椅子に座っていただけ————。
気を利かせたエーレン女官長が、「アマーリエ様のご気分が優れないようなので」と理由を付けて、会場から連れ出してくれた。
私室に戻って、たまたま目についた鏡に映った自分の顔色は青白くなっていた。
フラフラとソファへ座り込むと、それまで気付かないうちに我慢していたのか、大粒の涙がポロポロと溢れてスカートを濡らしていく。
扉を叩く音がして、返事を返さずにいると、エーレン女官長と王妃殿下が入って来た。
立ち上がる気力などなかった。
「いつまで俯いて泣いているつもり?」
泣いたせいで化粧がぐちゃぐちゃになっているであろう顔を、ゆっくりと上げると——真っ直ぐに立っている王妃殿下の顔に、お茶会前に見た穏やかな微笑みはなかった。
むしろ、冷ややかな瞳でソファに座る私を見下ろしている。
「お、王妃、殿下……」
「貴女、本当に自分の身の程を考えていなかったのね」
掠れた声をようやく絞り出したけれど、王妃殿下は冷ややかに言い捨てた。
歓迎されているとは思っていなかった。
それでも今日までの私の努力をエーレン女官長から聞いて、少しは評価してくれているかも?と淡い期待を抱いていた。
だから、お茶会前に穏やかに微笑んでくれたのだと————。
その愚かな期待は今、粉々に砕かれてしまった。
「フェリクスも愚かだわ。 ただ『可哀想』というだけで、己の立場も責任も、貴族たちの関係性も——全てを無視して貴女に肩入れした。 確かに生まれただけの貴女に罪はない」
「その点はね?」と付け加え、王妃殿下はゆっくりと窓際まで歩いて私の方へ振り返った。
「けれどその後は、貴女の責任だわ。 アルバ公爵令嬢を『姉』と呼び続けたこと、彼女を貶めようとしたこと……そしてフェリクスの同情を買ったことも。 全て、貴女が心のままに動いた結果よ」
「わ、私はただ……お姉様と同じ娘なのに……」
「貴女とアンネリーゼ嬢は確かにゾフィー・フォン・アイヒェンの娘だわ。 けれど、アンネリーゼ嬢はアルバ公爵家で生まれ、貴女はアイヒェン侯爵家で生まれた。 その僅かに見える違いが、大きな違いなのよ」
王妃殿下の言葉が頭の中でぐるぐると回り続け、上手く呑み込めない。
母親は同じなのに、生まれた家の家格の差?
アンネリーゼには高貴な父親と兄がいて、最高位の家格もある。
王太子妃候補として築き上げた繋がりも、味方もたくさんいる。
————なら、その一つくらい私が貰ってもいいでしょう?と思ったことは、間違いだというの?




