閑話〜ライナルトside
ライナルト・フォン・アルバ————それがアルバ公爵家嫡男である私の名前だ。
宰相補佐を辞した後、父上と屋敷へ戻り準備を終えると、さっさと領地へと向かった。
王都からアルバ公爵領まで約五日はかかる道のりだ。
父上と同じ馬車に乗り、アンネリーゼは専属侍女と別の馬車に乗っている。
黒くて重厚な作りの四頭立ての馬車が二台、そして使用人や荷物を載せた馬車が何台か続いている為、さぞかし目立っているだろう。
アルバの馬車は特殊仕様だ。
領地までの道中、愚かな野盗やそれを装った者が稀に襲撃してくることもある。
その為、馬車の扉などは普通よりも硬めの木材で作られており、火矢を放ったところで簡単に刺さりもしなければ、火が上がることもない。
アルバの方針で私もアンネも多少護身術を身に付けている。
それ故、そうそう簡単にやられることもない。
今頃、愚かな王太子と侯爵令嬢擬きのせいで王城は大騒ぎだろう。
アルバにとって、アイヒェン侯爵家——特に母ゾフィーとアマーリエという娘は、決して触れてはならない『領域』だ。
まともな貴族家ならば、そのことを十分に理解している。
だが、それが分かっていなかったのが当の本人たちと王太子だった。
————あれは私が五歳、アンネが二歳の頃。
あの日は、激しく雨風が吹き荒れる嵐の夜だった。
まるでアルバ邸内の空気そのものを写し出したかのように時折雷も轟き、私はその音に怯えていたアンネを慰めていた。
「アンネ。 父上の所へ行ってみないか?」
「……いいの? おしごと、ない?」
耳を塞ぎながらひっくひっくと泣き止まない幼い妹を励ます為に提案すると、アンネは涙をポロポロと零しながら私の顔を見上げた。
「大丈夫だよ。 父上は強いから、きっとアンネのことも雷から守ってくれるよ」
私の言葉に涙を拭いて、いつもより薄暗く感じる廊下を二人で手を繋ぎながら歩き、父上の執務室の前で歩みを止める。
まだ小さな手でその重厚な扉を叩こうとした、その瞬間————室内から女の人の悲痛な叫び声が響いた。
「違うのっ!! あなた! これは何かの間違いなのよ!!」
「……間違いだと? それでその腹を誤魔化せるとでも思っているのか? だとしたら私も随分と甘く見られていたようだ」
中から漏れ聞こえた声に、振り上げた腕をピタリと止めてしまう。
「にいさま?」
「しぃー。 アンネ、少しの間静かに出来るか?」
不思議そうに見上げてくるアンネへ、私は人差し指を口元に当て、小声で優しく言い聞かせた。
妹はそれを見て、最近覚えた内緒話だと思ったのだろう——満面の笑みで同じく人差し指を口元に当て、「しぃー」と真似をしてみせた。
その愛らしさに小さく笑みをこぼした後、私は扉へ向き直り、慎重にハンドルを握ると扉をゆっくりと押し開け、こっそりと中の様子を探る。
僅かな隙間からは、父上がいつも通り執務椅子に座っている姿と、その背後に控えているゴードンの姿が見えた。
だが二人の表情は険しく、目の前の人物へ厳しい視線を向けている。
そしてその視線の先に立っていたのは——他でもない、母上だった。
「君と閨を共にしたのは一年近く前だ。 医師に確認したところ、お前の腹の子はおよそ六月だそうだ。 私の子だとすれば、既に生まれていなければおかしいだろう?」
「そ、それはっ……!」
「相手も既に調査済みだ。 ホーエン伯爵だとはな……全く、恐れいる」
ホーエン伯爵と言えば、容姿が整い物腰も柔らかく、若い頃から令嬢たちの憧れの的だったと聞く。
当時三十代となっていた彼を慕う女性は絶えず、正式な妻がいるのにも拘わらず浮名を流していた。
母上は仮面舞踏会で伯爵と密会を重ね、そのまま関係を持っていたらしい。
————そして、その証が腹の中に宿っていた。
「公爵夫人たる者が不貞を働き、他人の子を身篭るなど……托卵でもするつもりだったか? ————まあ、いい。 君とは離縁する。 生家のアイヒェン侯爵家にも既に連絡を入れた。 迎えが到着次第、さっさと出て行くがいい」
「そんなっ!! ほんの出来心だったのよ! お願い、許してちょうだい!!」
「連れて行け」
父上は母上から顔を背け、これ以上聞くに堪えないとばかりに会話を切り上げ、手を払う仕草と共に冷えた声で淡々と退室を命じた。
ゴードンに促され執務室の扉が開かれたその瞬間————父上と、そこから動けずにいた私たちの視線が、真正面からぶつかった。
「お前たち……っ! 何故……!」
まさか私たちがいるとは思っていなかった父上が思わず立ち上がると——突如、母上から両肩を強く掴まれた。
「ライナルト!! お父様にお願いして! 貴方たちにはわたくしが必要だと!!」
血走った瞳で捲し立てられ、見たこともない母上の形相に、私たちの顔は恐怖でみるみる青ざめていく————。
「何をしている!! 誰か!! この女を連れ出せ!!」
「いや!! いやよ!! ライナルト! アンネリーゼ! 早く! 早く、お父様に……っ!!」
「黙れ!! これ以上、子どもたちに醜態を晒すな!!」
いつも穏やかな父上が激怒する姿を目の当たりにしたアンネは、ガタガタと小刻みに体を震わせていた。
既に物心のついていた私は、この状況が何を意味するのか——朧げながら、けれど確かに理解した。
母上は屈強な下男たちに両脇を抱えられ、引きずられるようにして何処かへ連れて行かれてしまった。
その後ろ姿を見送り父上は一つ溜め息を吐くと、私たちへ視線を向けて目線の高さを合わせる為に膝を突いた。
「ライナルト、アンネ——すまない……怖がらせてしまったな」
「……いいえ。 父上は悪くありません。 悪いのは母上です」
私の答えに父上は目を見開いたが、すぐに目尻を下げて困ったように微笑み、頭を優しく撫でてくれた。
「……そうか。 お前は賢いな。 ——アンネも、怖かったな」
父上はアンネをすっぽりと腕の中に包み込み、背中をポンポンと叩く。
その温もりにようやく落ち着きを取り戻したアンネは、少しずつ体の強張りを解いていった。
「……おとうさま……おかあさま、どうしたの?」
「……うん、お母様は悪いことをしてしまったんだ。 だから、アイヒェンのお祖父様の所へ行くんだよ」
二歳のアンネにはまだ状況が理解出来ず、不安そうに父上に問い掛けた。
父上の言葉を聞いても、やはりよく分かっていないようだったが——ただ、母上は良くないことをして、もう帰って来ない。
それだけは、何となく感じていたようだった。
「お父様はまだ少し用があるから、二人で待っていてくれるか?」
いつもと変わらない優しい声で問い掛けられ、私たちはこくりと頷いて、迎えに来た乳母と共に別室へ移動した。
——————
ふっと意識を引き戻し周囲を見回すと、そこは領地邸にある私の執務室だった。
どうやら、少しうたた寝をしていたようだ。
アイヒェン侯爵令嬢がアルバから出て行ったあの日の夢を、久しぶりに見た。
あの日以来、母がいなくなったアンネに寂しい思いをさせないように、兄である自分が守るのだと固く誓ったのだ。
ふとデスクの手元にある手紙が視界に入る。
————ああ、あの時の夢を見たのはこれのせいか。
領地邸へ到着してしばらくした頃、アイヒェン侯爵令嬢から私宛に手紙が届いた。
まるで母親ごっこでもしているかのように、気まぐれに誕生日や節目にたまに手紙が届くが、一度も返信を送ったことはない。
今回の用件は何かと目を通し、要約すれば『自分を助けろ』ということだった。
『アマーリエがお祖父様と伯父様を怒らせてしまったの。 アマーリエが嫁いだ後に代替わりをするから、お母様は跡取りを生む必要のない家か修道院に行かされてしまうわ。 ライナルト、お母様を助けてちょうだい。 アマーリエも悪気があったわけではないのよ? ただ、兄姉と仲良くなりたかっただけなの。 アンネリーゼの誤解を解いて、アマーリエのことも助けてあげて』
目を通しながら、母は変わっていないのだな、と心が冷えていった。
ビリビリに破いて燃やしてやりたいが、これは証拠になる。
このまま父上に渡そう。
窓の下を見れば、日傘を差しながら庭を散歩しているアンネの姿が見えた。
その光景に自然と頬と口元が緩む。
父上へ手紙を届けるついでに、三人でのティータイムを提案しよう————。
私は鼻歌を歌いながら、執務室を後にした。




