Ep.35 底なし沼〜アマーリエside
「……っ!! フェリクス様!!」
久しぶりに見た愛しい人の姿に、私は思わず駆け寄って抱き着いた。
——————
王城でお母様と一緒に国王陛下たちに謁見した後、私は茫然としていた。
周囲が何か話しているのは分かる。
けれど、それが言葉として頭に入って来ない————。
気付けば私は馬車に乗せられ、この北の辺境にある修道院にいた。
周囲を見回してもフェリクス様だけでなく、お母様の姿さえ見えない……。
「…………ここ、は…………?」
「あら? 正気に戻りましたか? シスター・アマーリエ」
シスター……? このお婆さんは何を言っているの?
修道服を着たこの初老の女の人は『マザー・イスメルダ』と名乗り、ここは北の辺境にある『ヴォラス修道院』だと言った。
ヴォラス修道院————令嬢たちの噂話で聞いたことがある。
一度入ったら二度と出ることが出来ない、『訳あり』の者が入る所だ…………。
何で、私がここに?
「貴女は色々やり過ぎたので、国王陛下の命令でこちらに来たのですよ」
穏やかな微笑みを浮かべて、マザー・イスメルダは言った。
色々…………それはアンネリーゼのこと?それとも勝手に王都から抜け出したこと?
王城へ戻されたあの日のことを思い出すと、最早どうでもいい、と思った。
けれどここでの生活は、それまでの私の暮らしとは全く違った。
アイヒェン侯爵領にいた時でさえ、メイドたちが私とお母様の世話をしてくれて、食事の用意も、掃除も、着替えも、何一つ自分でやらされたことなどなかった。
「お母様は今…………」
辛い生活が続き、ふとお母様のことを思い出して瞼が熱くなり、涙が浮かんできた。
「貴女、自分の母親がどうなったか知りませんの?」
私の呟きに反応したのは、シスター・アリアだった。
彼女は元々伯爵令嬢で、婚約者以外の子息と不貞を働き、『病の療養』という体でここに送られたと聞いた。
「…………どういうこと?」
私よりも身分が低いくせに、伯爵令嬢だった時の癖が抜けないのか、いつも見下したような目で見てくる。
「貴女と貴女の母親はアルバ公爵家に喧嘩を売ったのでしょう? いくらわたくしでもアルバに楯突くことは、貴族としても人としても終わりだということくらい分かっておりましてよ」
片方の口角を上げて蔑むように、フンッと鼻で笑いながらそう言い放った。
「貴女の母親は、わたくしと同じ『病で療養』で前侯爵夫妻と領地に行かれたそうよ。でも、本当は王家に何かされたんでしょうね」
「何で貴女にそんなことが分かるのよ!!」
彼女の言葉にカッとなって、つい大きな声を上げてしまい、周囲にいた他のシスターたちが「何事か」とこちらに視線を向ける。
「当然でしょう? だって、貴女はここにいるじゃない。なら、貴女の母親だってここに送られても良かったはずですわ。けれどここにはいない…………」
「それってここに送るだけじゃ足りない、ってことでしょう?」 と続けた。
「そもそも貴女の母親は社交界だけではなく、平民たちの間でも有名じゃない? 何をとち狂ったのかアルバ公爵夫人の座を捨てて、ホーエン伯爵の子である貴女を身篭ったわけでしょう? わたくしなら、そんなこと絶対にしないわ」
彼女は見下すような視線を向けながら、ペラペラと話し続けている。
「…………さい…………うるさい! 煩い!!」
ついに我慢の限界を超え、私は彼女に飛び掛かり修道服の襟元を握り締めた。
首が締まった彼女は焦ったように藻掻いている。
「貴女に何が分かるのよ!! 私がアルバ公爵の子に生まれられなかったのは、私のせいじゃないわ!!」
他にも色々叫びながら彼女を揺さぶっていたけれど、周囲が私たちを引き離し、そのまま『懲罰房』へ入れられた————。
ここには『懲罰房』だけじゃない、『地下牢』もある。
『訳あり』の人間ばかり集められているせいで、それなりにトラブルが起きる。
暴れたりすることも多く、そういう人はいくつかある懲罰房に入れられ、管理している修道女へ大人しく従う者は『懺悔室』という名の『隔離室』へ入れられる————。
その為、施設自体は古びて見えても、院内の一部は新しく、そして重厚に作られていた。
当然、私とシスター・アリアは懲罰房へ入れられ、五日間もそこで過ごすしかなかった。
真っ白な壁に囲まれたその部屋にあるのは、簡素な寝台と簡易的な机と椅子だけ。
そこにいる間は罰として、聖書をひたすら書き写さなければならない。
何もない、ただただ真っ白な壁に囲まれた閉鎖的なそこで過ごしていると、何もかもがどうでも良くなってくる。
ようやくそこから出られたとしても、再び同じ日々の繰り返し…………。
そんな時だった————マザー・イスメルダから部屋の移動を告げられた。
何でか分からないまま、僅かな荷物を布に包んでマザーの後に付いていくと、そこには————。
——————
私はフェリクス様のシャツを握り締め、ポロポロと涙を零しながら泣いた。
だんだん落ち着いてくると、何だか違和感を覚えた。
以前なら、いつも私が泣いていたらフェリクス様は優しく抱き締めてくれた。
それなのに————今は、私の肩に手を置いているだけ…………。
訝しげにフェリクス様の顔を見上げると、無表情に私を見下ろしていた。
…………なんで……こんな、表情…………?
「フェ、フェリクス様…………?」
「…………敬称は、もう必要ない……私はもう王族ではない」
「え?」
王族ではない? どういうこと?
私が混乱しているのを見て一つ溜め息を吐いてから、フェリクス様はあの後のことを話してくれた。
私たちの処罰が終わった後、アルバ公爵家が独立しようとしたこと。
でも、ルクスフォード王国はアルバ公爵家がいなくなったら、国を維持出来るほどの力がなかったこと。
その為、アルバ公爵へ『譲位』しようとしたけれど断られ、国そのものを差し出すことになったこと。
そして————私とフェリクス様は婚約前から『添い遂げるように』とアルバ公爵から言われていたせいで、私と『婚約破棄』することが許されず、国王陛下の裁可で既に『婚姻』していること————。
え、何で? アルバ公爵家に国を差し出したってことは、アンネリーゼは『王女』になるということ?
フェリクス様まで王族じゃなくなったのに、何でアンネリーゼだけ…………!!
てっきり、フェリクス様が私を助けに来てくれたんだと思った。
でも、違った————よく見れば、フェリクス様の服装は平民と変わらない質の悪い生地で————嘘でも冗談でもなく、本当のことなんだと分かった…………。
夫婦となったのだから、この狭い部屋で二人で過ごすことになる。
けれどフェリクス様は王城を出る前に『断種』させられ、子を作ることも出来ないという。
つまり将来的に子どもが生まれることもなく、王族として王都へ戻ることも出来ない————。
せっかく希望が見えたと思ったのに、更に底なし沼に沈んだ気分だった。
「…………私がここに送られたのは、恐らく君の監視の意味もあるのだろう…………余計なことを考えず、ただ『普通』に暮らすんだ。それが私たちに科された罰だ」
…………何それ……『普通』……? これのどこが『普通』なの?
私にとっての普通は、アイヒェン侯爵家や王城で過ごしていたあの時よ…………。
その日からフェリクス様との暮らしが始まった。
以前と変わらない日々の繰り返しに加え、部屋の中で過ごしている時はあまり会話もなく、寝る時は同じ寝台だけれどフェリクス様は私に背を向けて寝る…………。
そして私は静かに毎夜涙を流して、また朝を迎えるのだ————。
誤字報告ありがとうございます┏○ペコッ




