Ep.27 独立
少しずつ寒さも和らぎ、春の息吹を感じ始めた頃————。
その知らせは、午後のティータイム時にやって来た。
「アイヒェン侯爵令嬢……ですと、分かりづらいですわね。『あの方』とアマーリエ嬢がですか?」
「うん、さっき寄子から連絡が来たんだ」
たっぷりミルクとお砂糖を入れた紅茶に口を付けたお兄様が、にっこりと微笑んだ。
どうやらお母様とアマーリエ嬢が、アイヒェン侯爵家と共に王家から『処罰』されたらしい。
アイヒェン侯爵家は子爵位へ降爵され、アマーリエ嬢は北の辺境にある修道院へ移送されたそう。
そして、『あの方』に至っては、王家の『秘薬』を使用されたと————。
あれを使われるなんて……一体、何をしたのか。
「どうやら、『あの人』とアマーリエ嬢は『アルバ公爵領』へ向かう為に、勝手に王都を出たようだよ」
「ここへ……ですか? 何の為にでしょう?」
「何でもアンネに『謝罪』をして、周囲に口を利いて欲しかったらしいね」
「全く理解不能だよ」と、お兄様はテーブルに片肘を突いて頬杖を突き、眉尻を下げている。
わたくしに『口を利いて欲しかった』————ということは余程、追い詰められていたのだろう。
アマーリエにとって、わたくしに頭を下げるということはとても屈辱的なはずだ。
それでもそうしなければ、最早保たないところまできていたのかもしれない。
そんなことを考えていると、お兄様がわたくしをジッと心配そうに見つめていることに気付いた。
「……どうかなさいまして?」
「いや……その、アンネは『あの人』が……母上が『秘薬』を賜ったことを、どう思ったかな? と思って……」
問い掛けると、お兄様は言い淀みながらポツポツと話してくれた。
…………ああ、わたくしが『あの方』の顛末に悲しんでいないか心配しているのだ。
「そうですわね……。正直、よく分かりませんの。最後にお会いしたのが二歳の頃なのでしょう? その頃の記憶はあまりございませんし……ただ何となく、恐ろしい顔をしたご夫人の記憶が薄らとある程度で……」
そう。お父様とお兄様いわく、わたくしと『あの方』は殆どの時間を共有していなかったらしい。
わたくしが生まれて二月が経った頃には、『あの方』は社交界へ復帰していた。
華やかで自分を誇れる場を好む人だったようだから、妊娠出産で人前に立てなかったのが苦痛だったのだろう。
出歩けるようになるとお茶会や夜会などの社交に勤しみ、屋敷にいても夫人として最低限の屋敷の采配や帳簿の管理、もしくは商会を呼び付けて買い物をしたり————その上で更に『お遊び』に勤しんでいた。
…………こうして挙げてみると、殆ど顔を覚えていないのも仕方がないのでは? と自分でも思ってしまう。
薄らと記憶の奥底に残っている——お兄様と二人で手を繋いでいる時に現れた一人の女性の血走った瞳と恐怖、そしてお父様の怒鳴り声————。
その女の顔まではちゃんと思い出せず、以前お兄様に話したところ、それが最後に会った『あの方』の記憶だった。
「……あの時、うっかりアンネを『あの人』の前に立たせてしまった事を後悔したよ……」
幼すぎるわたくしに残された唯一の『あの方』の記憶は、決して良いものではない。
「お気になさらないで。どちらにしても、『あの方』に思い入れなど一欠片もありませんもの。今回こうなってしまった事も、あちらの皆様方が『お心のままに動かれた結果』でしかありませんわ」
わたくしは一度口を付けたカップをソーサーの上に戻し、にっこりと微笑みかけると、お兄様はどこかホッとしたように穏やな笑みを浮かべた。
「……しかしこうなると、今後の為に我が家も動かないといけないなあ」
お兄様は少し考えるように遠くへ目線を向けると、椅子の背もたれに寄りかかりながら頭の後ろで手を組んだ。
以前話した時、わたくしが留学しようかと漏らしただけで『他国へ行こうか』と半ば本気で考えていたけれど、正直それは現実的ではない。
アルバが他国へ移るとなると、寄子たちもそれに倣おうとするだろう。
けれどアルバ公爵領は広大な上、そして寄子の領地も全ての家門が近くにあるわけではない————。
領地ごと移ることが出来るなら良いけれど、そうでないなら『領地や領民たちを置いていく』という無責任な事は出来ない。
仮に置いていった所で、次の領主となる者がアルバ以上——とは言わずとも、アルバと同等程度に治められるか?と問われると、そんな家門はそうはないのだから。
その日の夕食後のティータイムは、お父様の執務室で摂ることとなった。
一人掛けのソファにはお父様、その両脇に置かれている長椅子にわたくしとお兄様が向かい合わせに座ると、ハーブティーが入ったカップが三つ、ローテーブルの上に置かれた。
「アンネ……アイヒェン子爵家の事は聞いたな?」
「はい、お父様」
わたくしがしっかりと答えると、お父様は静かに頷いた。
「これ以上、あの女たちに煩わされることはないだろう……それ故、これからアルバをどうするかを考えなければならん」
それは『アルバは現王家を完全に見限る』——そういう意味だった。
「今回はあの愚か者たちへまともな処罰を下せたと言えど、あの第一王子の失態は消えん。それに新たな王太子となる第二王子は、どうも気概が見えない。何か判断に迷うことがあれば、周りに流されないとも限らん。その際に再びアルバを頼ろうとするのが目に見える」
第二王子シルヴァン殿下は、幼い頃から兄であるフェリクス殿下の陰に隠れているような方だった。
それは第二王子として、将来国王となった兄の支えになりたいという思いもあってのことだろう。
そういう意味では、他国へ留学するという選択を取ったことは意外だと思っていた。
ただそれでも、シルヴァン殿下は王太子として多くの臣民の上に立ち『その責を負う』ということを、本当の意味で理解していないと思う。
今までとは違い、『兄を支えたらいい』という立場から変わってしまったのだから仕方がない面もある。
王家の立場、フェリクス殿下の失態、アマーリエの不評——これらをカバーしなければならない立場に立ったのだ。
しかし、学園で同じクラスだったにも関わらず、シルヴァン殿下はアマーリエが学園を抜け出したことにも気付かず、不在を確認することもなかった。
彼がアマーリエの存在をもう少し気に掛け、姿が見えない時点で周囲に確認し、王城へ報告していたら……王都を出ることは防げていたかもしれない。
シルヴァン殿下は、どこか他人事だったのだと思う。
アマーリエのことは、『兄上がやるだろう』『兄上の責任だろう』と————。
もう、そんな段階はとうに過ぎているというのに……。
「そうですね。まあ、これが王太子として教育されてたきたかどうかの違いなのかもしれませんが」
お兄様はどこか呆れたように眉尻を下げて、カップに口を付けた。
「……アンネ、お前は今後どうしたい?」
「そうですわね……。留学してみたい、というのは嘘ではありませんが、他国へ移るということは現実的ではありませんわ」
「うん、そうだね。別にこの国に未練はないけれど、領地や領民たちには思い入れがあるからね」と、わたくしの言葉にお兄様が穏やかな顔で続けた。
「うむ。それなら、『独立』するか……」
「そうですね。それが一番早いですし、楽です」
アルバの力があれば、独立することなど難しいことではない。
わたくしも頷き、アルバの『独立』がこの時、決定された————。
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