Ep.16 選択肢
「はあ……」
私は執務室で深い溜め息を吐いた。
強い疲労感のせいか、体が重く感じる。
この疲労感の原因は分かっている——アマーリエだ……。
昨夜の夜会は私の婚約披露という名の、実質はアマーリエの顔繋ぎの為だった。
貴族の支持を得られない王族など、あり得ない。
だからこそ父上と母上が、その機会を与えてくれたのだ。
……だが夜会までのアマーリエは、ドレスのデザインに自分の意見が反映されなかったことで明らかに不貞腐れていた。
本人は『自分が軽んじられているからだ』と考えているのだろうが、事実はそうではない。
王族は必ず『相応しい』ということが重視される。
それは当然のことだ。
何故なら王族は全ての臣民の上に立ってはいるが、決して独裁的であってはならないのだから。
人々の上に立つからこそ自分を律し、周囲の支持を得て円滑に物事を回す————それが王族に求められることなのだ。
確かにアマーリエには、出自のことや私を略奪したということで悪印象がある。
だからこそ、その印象を払拭する為にも王族として相応しい『堅実さ』や『誠実さ』を見せなければならなかった……。
しかし昨夜のアマーリエは、広間へ入場した瞬間に貴族たちが跪いている光景を前に目を輝かせ、終いには『足が痛いから休みたい』と言い出した。
何とか宥めて重要な貴族家当主たちに紹介して回ったが、足が痛むせいか終始上の空で、相手から話し掛けられても的外れな返答を繰り返していた。
相手の貴族たちの目が冷めていくのを目の当たりにし、私は胸の中が凍り付いていった。
アマーリエも足を痛めたまま無理に連れ回されたことに思うことがあったのだろう——ろくに話もせずに私室へと下がって行った。
そのまま話し合ったところで互いに納得出来る結果になるとは思えず、私も特に声を掛けることなく自室へ戻った。
こんな時、アンネリーゼなら————。
夜会の間、何度もそんな言葉が脳裏を過った。
アンネリーゼなら——自分の立場を弁えて、ドレスのデザインに拘り主張することなどなかっただろう。
アンネリーゼなら——貴族家当主、夫人、その子の名前を全て完璧に把握した上で、相手の話にきちんと受け答えが出来ただろう。
アンネリーゼなら——足が痛いからと休憩を願い出るのではなく、応急処置をするなり我慢するなりして己の責務を放棄しようとすることなどなかっただろう。
そもそも、そうならないように対策をしていたかもしれない————。
アンネリーゼなら、アンネリーゼなら……アマーリエと彼女を比べてはならない——そんなことは分かっていても、どうしても比べてしまう。
そしてその都度、心のどこかでアマーリエに失望してしまう……。
自分で婚約破棄を宣告したというのに……何て勝手なのだろうと、自分でも嫌になる。
だが今更、アマーリエを投げ出すことは許されない……。
どうにかしてアンネリーゼと同じくらいに、とは言わない。
ただ自分がどの立場に立っているのかを理解し、相応しくあろうと努力している姿勢を見せて欲しいだけだ。
今のアマーリエは、『出来ないこと』『理解出来ないこと』『嫌なこと』——全てに言い訳を並べ立て、幼子のように逃げようとしているようにしか見えない。
……そんな風に考えてはいけない——そう言い聞かせるが、一度湧いた考えはなかなか消えず、事ある毎に再び湧き出て来る。
しかも、更に膨らんだ形で————。
「殿下、国王陛下がお呼びです」
次々に浮かんでは消える考えのせいで、目の前の書類の処理がなかなか進まずにいるとダリウスが淡々と告げた。
————恐らく、昨夜の夜会のことだろう……。
すぐに予測が付いてしまい、気も体も重くなる。
重い足取りで父上の執務室へ向かい中へ入ると、そこには母上の姿もあった。
「……来たか。そこに座れ」
父上から母上の向かい側のソファへ促され、私は静かに腰を下ろした。
「……言いたいことは分かるな?」
気付かない内に視線が自然と下へ落ちており、その様子を見ていた父上がしばらく沈黙した後、重く口を開いた。
「……はい。申し訳、ありませんでした……」
何に対して謝罪をしているのか?
せっかくの場を無駄にしたこと。
アマーリエを上手く御せなかったこと。
詫びなければならないことは山のようにあり、最早どれに対して謝罪をしたらいいのか分からない————。
「……貴方は、アマーリエ嬢の何を見ていたのかしら?」
もたもたと重い頭を上げて母上へ視線を向けると、そこには母としてではなく、王妃として厳しい表情を浮かべた姿があった。
「アルバ公爵令嬢と比べて、とは言いません。そもそも彼女と同等の能力を求めることはアマーリエ嬢には酷ですから。……ですが、彼女はそれ以前の問題です」
やはり母上にも見えていたのだ……。
当然だな——私は心の中で自嘲気味に笑う。
「……昨夜、アマーリエ嬢を婚約者として公表した。既にお前はアルバ公爵令嬢と婚約破棄をしている。さすがに二度目は許されない」
まだアマーリエを婚約者として正式に公表していなければ、どうにかなったのかもしれない……。
……いや、卒業パーティーの際に婚約者でもないアマーリエを隣に立たせた時点で、もう後には引けなかったかもしれない……。
あの夜に、全て決まってしまったのだ————。
「……お前に情けで選択肢をやろう」
俯いたまま顔を上げられない私に対し、父上は深い溜め息を吐いた後、そう告げた。
一つは当初の約束通り、このままアマーリエに妃教育を施し、王太子妃として貴族たちにも認められるようになること。
もう一つは王太子の地位をシルヴァンへ譲り、一王子もしくは臣籍降下をして貴族として生きること。
ただしいずれの場合も、アマーリエを娶ることは変わらない————そういう選択肢だった。
『王太子の地位を譲る』
アンネリーゼと婚約した時に立太子してから約十年——まさか王太子ではなくなるかもしれないという状況になることなど、考えたことすらなかった……。
……だが、これが父上と母上の温情だということも分かる。
このままアマーリエに王太子妃教育を施し続けても、いつ身に付くか……いや、身に付く気がしない。
もし王太子妃に立てたとしても、廃位されるのが目に見えている。
————分かっている、分かっているのに……。
今まで当然だと思っていた『王太子』という地位への執着なのか、自分の選択が誤りだったということを認めたくないプライドの問題なのか……。
自分でも自分の気持ちが分からない。
「……少し、考えさせて頂いても、よろしいですか……?」
「ああ……いいだろう。一週間やる。アマーリエ嬢とも話し合ってみるといい」
アマーリエと話し合う————そんなことが出来るのだろうか?という感情が湧き上がり、思わず鼻で笑いたくなった。
最早私は、アマーリエに期待していないようだ————。
だが、彼女にも話さなければならない……。
父上の執務室を辞し、自分の執務室へ戻りながら、どこか足元がふわふわしているように感じ、現実感がなかった。
執務室へ戻った後は、無心で書類を処理した。
————現実逃避なのは分かっていたが、何も考えたくなかった。
側ではダリウスが書類の仕分けを黙々としている。
私の様子がおかしいことに気付いているだろうが、全く気にすることもなく自分の仕事を淡々とこなしている。
ダリウスは父上が私へ話した内容を知っているのだろうか?
その表情からは読み取ることが出来なかった。
今日の執務が終わり、独りでロックグラスに酒を注いだ。
月光が部屋の中を優しく照らし、手元のグラスを煌めかせている。
それに口を付けて琥珀色の液体を一気に流し込むと、喉の中を冷たい感触が伝っていった。
体が火照った気もするが、酔いたいのに全く酔えない。
取るべき選択肢は分かっている——それでもどうしても踏ん切りがつかず、夜はどんどん更けていった。
誤字報告ありがとうございます┏○ペコッ




