Ep.11 残酷
学園と王城を往復するだけの日々の繰り返し————。
王太子妃教育では、今までの『私』を否定されているような気分になる。
声を上げて笑ってはなりません、周囲に感情を悟らせてはなりません、勝手に出歩いてはなりません……なりません、なりません……。
こんなの『人』だと言えるの?
——————
「えっ!!フェリクス様に会えますの!?」
エーレン女官長の言葉に思わず声を上げると、まだ室内に残っていた妃教育の先生の眉が僅かにピクッと動いたのが見えた。
焦って『淑女らしい』微笑みを浮かべて、エーレン女官長の話の続きを聞く。
「……王太子殿下の再教育が終わられたそうです。本日から執務に復帰なさいましたので、お時間があればお会い出来るかと思います」
いつも通り淡々と話しているけれど、今日はそんなことは気にならなかった。
再教育中は集中しなければならない上、私も妃教育を始めたばかりで覚えなければならないことが山のようにある。
とてもじゃないけれど、顔を合わせて話す時間など持てるはずがない————。
最低限フェリクス様の再教育が終わり、私も基礎的な部分を理解しなければ無理だと言われ、この三月頑張ってきた。
それがようやく報われる……そう、思った。
けれど一日経っても、三日経っても、一週間が経っても……フェリクス様が来てくれることはなかった。
「どうして……!?私がこんなに苦しんでるのに、どうしてフェリクス様は会いに来てくださらないのですか!?」
『もしかしたら、見捨てられたのではないか?』という焦りと、『いつまでこんな辛い王太子妃教育が続くのか?』という不安が混ざり合い、もう発狂しそうだった。
「……殿下は学園をご卒業され成人となりましたので、今まで免除されていた執務と公務が増えております。そして本来であれば、王太子妃の執務と公務も王妃殿下と手分けして処理なさらなければなりません」
「学園在学中は、アルバ公爵令嬢が通常より早く王太子妃教育を修めましたので、あのお方が処理しておりました」と、エーレン女官長が淡々と告げた。
それは暗に『お前が妃教育を修めていないから、王太子殿下のご負担が増えているのだ』と言われたように聞こえた……。
「そ、そんなこと……私はまだ王太子妃教育を始めて三月ほどですわ……お、お姉……アルバ公爵令嬢は十年ほどかけて修められたのですから、それと比べられても……」
「比べてはおりません。事実を申し上げました。仰る通り、アルバ公爵令嬢が妃教育を修めるまで十年掛かりました……ですが、アイヒェン侯爵令嬢は半年も経たない内に殿下と婚姻され、『王太子妃』となられます」
「全ては修められずとも、出来るだけ多くを身に付けて頂かなければなりません」と、一瞬冷えた瞳で真っ直ぐ見据えられ、言葉を失ってしまう。
比べられもする——それどころか今のままでは『王太子妃』として足りず、甘えは許さないと言われているようなものだった……。
呆然と立ち竦み、ただただポロポロと涙を流すだけ————。
もう、おかしくなりそうだった。
翌日——窓の近くに椅子を置き、ぼんやりと外を眺めていると、扉を叩く音の後に誰かが入って来る気配がした。
「……アマーリエ」
扉の方へ顔を向けることもせずそのまま黙っていると、聞き慣れたテノールの声が耳に届き、勢いよく振り返った。
「……っ!!フェリクス様!!」
ずっと待ち続けていた人の姿に瞼の裏が熱くなり、駆け寄ってフェリクス様の胸に飛び込んだ。
「……フェリクス様……会いたかったです……わ、私……」
「……分かっている。一人にしてすまなかったな」
会ったら話したいことがたくさんあったはずなのに、何も言葉が出て来ず、涙が溢れてくるだけだった。
フェリクス様はそんな私を、落ち着くまで黙って優しく抱き締めてくれた。
ようやく涙が止まって顔を見上げると、フェリクス様の顔には疲労が滲んでおり、目の下には薄らとクマがある。
「……フェリクス様、お疲れなのでは……?」
「ああ、執務と公務が多くてな……。片付けるのに時間が掛かってしまって、アマーリエに会いに来るのが遅れてしまった」
「本当にすまなかった」と苦笑いをしているその姿に、昨日泣き言を漏らしたことを思い出し、罪悪感を覚えた。
「……もしかして、私が我がままを言ったから……フェリクス様、無理なさって……」
「いや……どちらにしても会いに来ようと思っていたから、気にしなくていい」
そう言うと、フェリクス様は私をソファに座らせた。
想像していた答えとも、望んでいた答えとも違った————。
『そんなことはない。アマーリエが頑張っていると聞いていたし、私も会いたかった』
そんな言葉が返ってくるものと思っていたけれど、現実は違った。
————きっと、疲れているだけ……。
そう自分に言い聞かせて、久しぶりの二人の時間を過ごす。
「……私、頑張って王太子妃教育を受けているのですが、なかなか認めて貰えなくて……足りない部分があるのは理解しているのですが、『なりません』とばかり言われてしまうと、何だか私は人と見られていないのでは?と思ってしまうのです……」
「……王太子妃教育の内容は全て意味があって決まっているのだ。今は難しくともアマーリエなら、すぐに出来るようになるだろう」
フェリクス様の言葉に、私は目を見開いて呆然としてしまう————。
「……アマーリエ?」
私の様子が変わったことを不審に思ったのか、フェリクス様は怪訝そうな顔で見つめてくる。
何か言いたいのに、言葉が上手く出てこない————。
私が聞きたかったのは、励ましでも慰めでもない……。
「……フェリクス様は……お姉様の何が、嫌だったのですか?」
「……どういう意味だ?」
質問の意図が分からないとでも言うように、眉間に皺を寄せている。
「……私……フェリクス様は、お姉様のあの淡々とした……何を言っても表情を変えない冷たい所が嫌なんだと、思ってましたわ……」
俯きながら話す私の言葉に驚いたかのように、フェリクス様は目を見開いた。
「私……分かりましたの……あんな王太子妃教育を受けたら……人としての感情がなくなってしまうのは当然だと……」
顔を上げてフェリクス様に視線を向けると、先ほどまでの表情は消えており、真っ直ぐに見返してきた。
その視線から、逃げることは出来なかった。
「……だから、どうしたいんだ?」
「え……?」
しばらく視線を交わした後、フェリクス様は一つ溜め息を吐き、淡々と私に問い掛けた。
「王太子妃教育は受けなくていい、と言って欲しいのか?だが、それは無理だ。王太子妃としての義務を果たせないのなら、卒業パーティーでアマーリエを選んだことは『誤り』だったということになる」
————『誤り』。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がズキリと痛んだ。
「……フェリクス様は……私を選んだことを……間違いだと、思っていらっしゃるのですか……?」
「……いや、そうではない。アマーリエが王太子妃としての役割が果たせず、ただ好きなだけなら側妃や愛妾で良かっただろうという風に言われる、という意味だ」
「側妃……?愛妾?……」
「そうだ。ただ愛おしいというだけなら、囲って表に出さずに愛でていればいい。……だが、王太子妃にそれは許されない」
フェリクス様の口から溢れた『側妃』や『愛妾』という言葉にショックを受けたけれど、その後に続いた言葉はもっと残酷だった。
表にも出ず、ただ黙って囲われたままフェリクス様の訪れを待つだけの存在————。
そんなの——愛玩動物と同じじゃないの?
最早フェリクス様の顔を、愛おしいはずのオレンジ色の瞳を見つめることは出来ず、茫然自失の状態に陥ってしまった。




