Ep.9 重圧
学園の卒業パーティーの後——父上から『愚か者』の烙印を押された翌日から、私は王太子教育を再び受け直させられていた。
当然、どれも把握している内容だ。
しかし、知識として知っていようとも『理解』するまで、この再教育は続くらしい……。
きちんと理解しているつもりだった。
王族とは、貴族とは、家門の血の重みとは……。
ゾフィー・フォン・アイヒェン侯爵令嬢の不貞は、只の不貞ではない。
身篭ったことが分かっても堕胎するわけでも離縁するわけでもなく、更に堕胎出来る期間を過ぎてもアルバ公爵へ懺悔することもなかった……。
いつになったら告白するつもりだったのか?
いくら後ろめたく、公爵へ露見するのが怖かったのだとしても、何も行動しなかった以上『托卵』を疑われても仕方がないことだ。
アルバ公爵家は只の公爵家ではない。
始祖は十数代前の王弟だった。
彼は『王家が過ちを犯した時の為、外から見張る役目となる』と言い、王家と必要以上に近付くことはなかった。
いざというとき、王家へ対抗する為なのか……武力、経済力、あらゆる面で台頭し始めたことで『筆頭公爵家』となったのだ。
この時点で、他の貴族家とは圧倒的な差がある。
私の婚約者として指名したのも、この影響力を少しでも王家へ取り込み、後ろ盾として私の治世の憂いをなくすと同時に揺るぎないものへとする為だった。
そんなことすら忘れていたのか……いや、考えてもいなかったんだろう。
三月ほどかけて再教育は終わった。
その間、私は社交界に出ることも許されず、本来であれば王太子権限で処理出来る執務も全て父上の承認が必要となっていた。
ようやく元の生活に戻れる——そんな考えが甘かったことを、私はすぐに思い知らされることとなった。
「……これは、何だ?」
デスクの上に山積みにされた書類のあまりの多さに、思わず唖然としてしまう。
「七割ほどは王太子殿下の執務並びに公務の関連書類などです。 今までは学生だったので免除されておりましたが、無事に学園をご卒業されましたので本日より王太子殿下に処理して頂くこととなりました。 残りの三割は王太子妃の執務と公務関連でございます」
新しく私の補佐官となったダリウス・フォン・アステリア小公爵が淡々と告げた。
シンプルな眼鏡を人差し指でクイッと押し上げて位置を直すと、レンズの奥にある冷めた瞳で静かに見据えてくる。
「い、今までは王太子妃の執務などなかったはずだ」
「ええ。 学園の卒業式までは、ですが。 王太子妃の執務は本来、王太子妃候補が妃教育を修めるまで王妃殿下と王太子殿下が手分けをして処理することとなっております。 アルバ公爵令嬢は通常よりも早く妃教育を修められたので、既に引き継ぎがされておりました。 ですが……」
「新しいご婚約者であるアイヒェン侯爵令嬢は、まだ妃教育を修めておりません。 故に、王妃殿下と王太子殿下の執務へ戻されました」と、目を細めて事実を告げた。
確かに思い返せば、アンネリーゼが妃教育を修めた頃から執務が減ったように感じた。
それまでより早く片付いたことで、その時間をアマーリエに充てたこともある————。
その時間がアンネリーゼのおかげだとも知らずに……。
「……アマーリエの妃教育の進捗状況は分かるか?」
「侯爵家でそれなりの高位貴族教育を受けていたこともあり、基礎的な部分は問題ないようです。 ……しかしながら、王族としての教育はまた別物です。 礼儀作法、所作に至るまで身に付け直さなければならないことが多くございます」
……当然だ。王族として無様な真似も、他国の要人への非礼も許されない。
王族の一挙一動は、国家の命運に繋がるのだから。
アマーリエは優秀だから、アンネリーゼのように通常より早く妃教育を修めるかもしれない——そんな希望的観測は持たない方がいいだろう。
どちらにしても一朝一夕で身に付くものではない。
どんなに早くとも年単位でかかることは間違いないのだから————。
そんなことを考えていると、ダリウスは言葉を継いだ。
「その中でも特に急務なのは『貴族たちからの支持』です。 母君の醜聞に加え、今回の件——アルバ公爵令嬢が婚約者の座を降りたことで、不満を抱えている者も少なくありません」
そう言うと、多くの貴族たちのアマーリエへの印象を語り始めた。
そもそも高位貴族の夫人は、ゾフィー・フォン・アイヒェン侯爵令嬢を蔑んでいる。
筆頭公爵家の夫人でありながら不貞を働き、他家の子を身篭った。
愛人を持つ貴族夫人もいるにはいるが、避妊はきちんとするのが暗黙のルールであるのに、彼女はそれを怠り『托卵』しようとした。
当然、その娘であるアマーリエのことも忌避している。
特に令嬢たちは、婚約者のいる異性——私に近付いたことに不信感を持っているらしい。
貴族は『男女の別』を幼い頃から学ばされ、理由もなく婚約者でもない異性へ近付くことをあまり好まない。
ダリウスいわく、平民であっても恋人のいる者に擦り寄る者は嫌悪されるという……。
つまりどんな身分であっても、忌避される言動を繰り返したアマーリエが貴族に受け入れられるのは相当難しいようだ。
更にダリウスは、先日の母上主催のお茶会で起きたことを話した。
同じ席に着いたのはダリウスの妹であるアステリア公爵令嬢、ライヒス公爵令嬢、エヴァンス侯爵令嬢、そしてクロイツ侯爵令嬢……。
アマーリエには荷が重い顔ぶれだ。
そこへクライスト公爵令嬢が、ホーエン伯爵令嬢を伴って挨拶に現れ、『異母姉なのに『姉』と呼ばないのか?』と問い掛けたらしい——間違いなく意図的だ。
自らの父親と不貞の末に生まれた娘——ホーエン伯爵令嬢からしたら、不快でしかない存在だろう。
結局、社交界の洗礼を受けたアマーリエは何も言葉を返すことも出来ず、退席したそうだ。
「母上は何故そんな席に……」
「何故……と仰いますが、結婚式まであと半年ほどです。 国内貴族の支持を得なければならないのに、この程度のことを躱せなければ他国の要人の前に立った際、どうなさるおつもりで?」
「公式の場に立たせず、ただ囲うおつもりですか?」と淡々と問われると、何も言い返せなかった。
結婚式まで時間がないのは事実で、そもそもアマーリエが社交界で忌避されている存在だったことも間違いではないのだ。
————それを無視して押し通したのは、私たちなのだ。
アマーリエにはまだ荷が重いと庇えば、『ならば正妃ではなく側妃、身分を考えれば愛妾で良かっただろう』と言われるのがオチだ。
全ては私たちの浅はかさと愚かさが招いたことだ……自業自得だと言われれば仕方がない。
それに私たちには、もう後がない————。
出来なくとも、やるしかないのだ。
やらなければ私は廃嫡される上に王籍も剥奪され、アマーリエも共に廃位される。
辛く、苦しくともアマーリエには堪えて貰わねばならない……。
————アンネリーゼが、力を貸してくれたら……。
そんな思いが、ふと脳裏を過ぎる。
虫のいい話なのは重々承知している……だが、今縋れる者が他にいないのも事実なのだ————。
「……ダリウス……アンネリーゼは今……」
「殿下、アルバ公爵令嬢です。 もう婚約者ではないのですから、呼び方にはお気をつけ下さい。 ……それに、アルバ公爵令嬢は婚約破棄の後、療養の為に公爵領へと向かわれました。 現在、王都には居られません」
アンネリーゼの名前を出した瞬間——ダリウスは目を細めて冷然と言い放った。
こうなることを見越して、アルバ公爵が判断したのだろう……。
「そうか……」と力なく呟き、私は目の前の書類の山に向き合うしかなかった。




