75 マリアの本
「素晴らしかったですっ!」
料理長と夕食のメニューを相談し終えて、応接室に入るとケリー様の大きな声が聞こえてきた。
よく見るとテーブルにはマリアとグレイス、それにデビット様とケリー様が座っている。
「あ……ありがとうございます!」
マリアが受け答えしているところから、ケリー様の大きな声はマリアに語り掛けたもののようね。
「あら、ローズマリー様。お仕事は終わったのですか?」
「ええ、グレイス。みんなはお茶会?」
「はい。私とマリアがお茶をいただいていたら、ケリー侯爵令息様がマリアに伝えたいことがあるとのことで、一緒にお茶をいただいていたのです」
一対一で会ったとなったら問題になるから、グレイスとデビット様も同席している……ということからしら?
「ああ、私が同席しているのは面白そうだからだ」
ああ、はい。一対一が問題なのであって、グレイスがいれば問題ないものね。
「で、ケリー様が伝えたかった事というのは」
「……特にこの最後! 私は常々思っていたのですよ! 現実では幸せな恋愛ばかりではないのに、物語の中では幸せに終わることが多いのはどうなのか、と。もちろん、物語は創作で。ままならない現実を忘れるためにそうしたいといのもわかりますが!」
「そうですね! 私も幸せなお話は好きなのですが、自分で書くとそうならなくて。でも、ローズマリー様が、それでも良いって言ってくださって!」
なるほど。ケリー様が伝えたかったのはマリアが書いた物語の感想ね。マリアを貶す内容だったり、作品の方向性を左右するものだったら止めるけれど、普通に称賛しているだけだから、放っておいた方がいいわね。
「……部屋にいてもジョンはこの調子でね。私はそこまで刺さらなかったけれど、ジョンにはウェザリー伯爵令嬢の書いた話がドンピシャだったようだ」
「ふふ。嗜好は人それぞれですからね。マリアが喜んでいるので、私はそれだけで満足ですわ。……聞かされ続けたデビット様には同情しますけれど」
本好きという人種は前世でも今世でも変わらないようで、自分のお気に入りの物語を他の人にもわかってほしいという風景は今世でもよく見かける。
これまでケリー様は感想を言う会では積極的ではなかったから、そういったことには疎いのかと思っていたけれど、自分に合う物語に出会ってなかっただけなのね。
「……ふむ」
「どうされました?」
「いや、なに。ウェザリー伯爵令嬢の話が刺さらなかった、と言ったからローズマリー嬢に叱られるかと思ったのだが」
「……ふふ。人の嗜好はそれぞれですわ。例えば、私は肉も野菜もおいしく頂けますけれど、肉が嫌い、野菜が嫌いという人もいて当然だと思いますわ」
これは本音。特に本なんて生きるために必須というわけではない……一部は本がなければ生きていけないという人もいるけれど……だから、好き嫌いが出て当然。
だからこそ、マリアのように今の流行とは違う物語を書いてくれる人というのは貴重なのよ。
今までの流行と違うから嫌いという人はいるだろうけれど、これまでとは違う内容だから好きという人も出てくるからね。
「……なるほど、そういう考え方か」
驚いたような顔をするデビット様。わざわざマリアが書いたものだと紹介したから、貶したら私に嫌われると思ったのかしら?
「もちろん誹謗中傷や作者への人格否定、内容を自分の好きなように変えたいだけの助言などはダメですわ」
「そんなことする人が……」
「いるのですわ。……現に、グラース公爵家が興した事業だというのに、神話の作者、国語学者などから貴重なご意見をいくつもいただいていますわ」
やれ、本の価値を貶めているだの、間違った文法や言い回しがあるだのと、こちらが求めてもいないのに言ってくるのよね。
そもそも、神話と違って日常生活をメインに書いているのだから、神話とは本の価値が違うのは当然でしょ。
それに、間違っているというのも古典的な文法や言い回し。現在では、本に書いてある方が主流なのだから取り合う必要のないものよ。
「……公爵家相手に文句を言ってくるのかい?」
「相手は文句ではなく助言のつもりですからね」
これが文句だったら、こちらも言い返せるのだけれど、向こうは善意のつもりだから厄介なのよ。
ほとんどは必要ないことを公爵家から申し入れれば撤回してくれるのだけれど、一部の過激派は公爵家の威光なんてなんのその、それでも何かと言ってくるのよね。
「泣き寝入りするしかないってことかい?」
「いいえ。パトロンになっている貴族に苦情を申し立てていますわ。それでも改善しなかったら、パトロンの貴族との取引をなくす方向ですね」
作家といっても、本の収入だけで食べていける人ばかりではないので、貴族や裕福な商人などがパトロンとなっている。
公爵家に喧嘩を売ってくる人のパトロンになっている、公爵家からの苦情からかばっているのなら、そのパトロンも明確な敵だ。




