【第65話】道の途中
この週末の興収ランキング一位を獲得したのは、『いつの日か青かったねと思い出す』ではなかった。表の一番上に記載されていたのは、先週と同じ人気ドラマの劇場版だった。
そのタイトルが目に入ってきた瞬間、私には目眩がするような心地さえしてしまう。
私は『いつの日か青かったねと思い出す』が今週末の興収ランキングで一位を獲れると、本気で信じていた。それは出水さんたちだって、そうだっただろう。
でも、現実は違っていて、そのことに私はショックを隠せない。
私は買い付け作品を決める会議のときに、『いつの日か青かったねと思い出す』は興収ランキングで一位を獲れる映画だと、断言している。でも、それが叶わなかったことに何と言ったらいいのか、申し開きの言葉さえない。
『いつの日か青かったねと思い出す』は、来週以降もSEIHOシネマズを含めた全国で公開されることが、決定している。一位を獲れるチャンスも、完全に潰えたわけではない。
だけれど、『ブルーハルジオン』が三〇〇館を超える規模で公開される来週以降は、一位を獲るのは限りなく難しくなってしまうだろう。私は思わずうなだれる。千載一遇のチャンスを逃してしまった現実だけが、パソコンの画面に浮き出ていた。
それでも、少し呼吸を整えていくらか気持ちを持ち直した私は、二位以降の作品も確認していく。二位には先週と同じ洋画のタイトルがあり、三位には今週公開されたばかりの邦画がランクインしていた。先週三位につけていた洋画が一つ順位を落として四位になっているのを見ると、その下にはピンク色のマーカーが引かれている。
それは間違いなく、『いつの日か青かったねと思い出す』の名前を強調したものだった。
観客動員数は、三万二五八五人。着席率は六〇パーセント。そして、興行収入は五七九九万六百円。それが『いつの日か青かったねと思い出す』が公開四週目、全国のSEIHOシネマズでの拡大公開初週の金土日で挙げた興行成績だった。
その数字を見て、私の心はほんの少しだけ落ち着く。『いつの日か青かったねと思い出す』は上映館数も三倍に増えた今週に、ふさわしい成績を記録していた。観客動員数は三倍以上、興行収入も五倍ほどに達している。着席率も少し落ちてはしまったが、それでも座席数の多いシネコンでの上映も多いことを考えると、大健闘しているだろう。
それは少しも恥ずべき数字ではなく、むしろ誇らしいものだ。たった一一館、興行収入も六三万円のスタートだった初週からすれば、興行収入は一〇〇倍ほどにもなっていて、累計での興行収入も今回で一気に一億円を超えた。『いつの日か青かったねと思い出す』が制作された規模を考えると、十分すぎるほどのヒットだ。
だから、私もいくらかは素直に喜ぶことができる。
でも、それは一〇〇パーセントまでにはいかなくて、やはり興収ランキングで一位を獲れる最大のチャンスを逃してしまったという思いは、私の中でまだ尾を引いてしまっていた。
それでも、『いつの日か青かったねと思い出す』くらいの規模の映画が、シネコンで全国的に上映されるだけで快挙なのだと、私は改めて自分に言い聞かす。そうして、少し気持ちが落ち着いてきたところで、私は他の映画の興行成績もチェックし始めた。『いつの日か青かったねと思い出す』から、目を下に向けていく。
すると、そのタイトルはすぐに私の目に入った。『世界が変わる朝に』が、六位にランクインしていたのだ。観客動員数は二万九七七一人。着席率は三九パーセント。そして、興行収入は五三六二万四九百円。それが『世界が変わる朝に』が、公開四週目の金土日で挙げた興行成績だった。
当然『世界が変わる朝に』も、公開四週目にしては粘っていると言える。フィルマークスの評価もまだ3.7と高いし、上映回数が減ったり小さいスクリーンに変わったりしているなかで着席率はむしろ上がっていて、興収ランキングでも六位に食い込んでいるのがその証拠だ。
だけれど、その数字を見た私は、ほんの少しでも優越感を覚えずにはいられない。『いつの日か青かったねと思い出す』は、評価でも興行成績でも『世界が変わる朝に』の上をいくことができていた。
もちろん、それは今だけの現象かもしれない。来週になったら『いつの日か青かったねと思い出す』の興行成績が落ちたり、反対に『世界が変わる朝に』が持ち直したりすることも十分に考えられる。
それでも主演に有名俳優を起用し、主題歌も大人気のバンドが担当し、宣伝展開も大々的に行っていた『世界が変わる朝に』に、俳優も監督も知名度があるとは言えず、お金をかけた宣伝もなかなかできなかった『いつの日か青かったねと思い出す』がたとえ一時でも興行成績で上回ったことは、これ以上ないほど大きな成果だと言えるだろう。
やはり確かなクオリティを持った作品を作ることができれば、それに相応するだけの観客動員や評価を得ることができるのだ。
『いつの日か青かったねと思い出す』がこれだけの興行成績を挙げたことは、他のインディーズ映画にとっても大きな励みとなることだろう。そのことが私には誇らしく思えるし、さらに個人的な嬉しさもある。
私は公開前に津島さんに「負けませんから」と宣言している。その時には現実的な宣言とは言えなかったけれど、『いつの日か青かったねと思い出す』はその作品の力で、私の期待を大きく超える興行成績を挙げてくれた。
私が『いつの日か青かったねと思い出す』に出会ったのは、多くが運が良かったからだけれど、それでもepoch makingに入っていなければ出会っていなかったはずで、少しは自分の力もあるのかなとも感じられる。一位を獲れなくて沈んでいた心も、『いつの日か青かったねと思い出す』が五位に食い込んで『世界が変わる朝に』を上回ったことでいくらか持ち直し、私は小さく口元を緩めることさえできるようになっていた。
それからも、私は七位以降の映画の興行成績を確認していく。すると、私が大体二〇位あたりまで見終えたところで、パソコンの画面には再び通知が浮き出していた。それは出水さんからの再びの連絡で、そこに書かれていたメッセージに、私の目は留まった。
「みんな、明日の夜空いてる?」
翌日、私が出勤したときにはオフィスには一言では言い表せないような空気が流れていた。
もちろん『いつの日か青かったねと思い出す』が、興収ランキングの五位に食い込むほどの興行成績を挙げられたことにポジティブな向きが多かったが、それでも目標としていた一位が獲れなかった落胆は否めない。
私たちは「良かったですよね」という声をかけあったが、でもそれがどれだけ本心なのか、私に把握する術はなかった。
それでも、私たちはいつものように業務に取り組む。各メディアへの連絡や映画館との調整。SNSの運用並びにエゴサーチを担当している私も含めて、拡大公開の最初の週末が過ぎても、私たちが行う仕事は少しも減ってはいなかった。
それでも、この日が普段と違ったのは出水さんが声をかけて、私たちは夜の八時にはこの日の仕事を終えていたことだ。今までだったら、九時や一〇時を回っても仕事をしていることも珍しくなかったが、それでもこの時期にしては早めに仕事を終えられて、私としても助かる思いがする。
八時過ぎにオフィスを出た私たちは、私鉄から地下鉄を乗り継いで、とある駅へと向かう。その駅の改札口でしばらく待っていると、今日劇場営業や協力会社との打ち合わせに出ていた木蓮さんや四谷さんも合流して、私たちは全員が揃う。
そして、私たちは出水さんに続くようにして駅から出た。地上に出ると、久しぶりに見る街の景色に、私はいくばくかの懐かしさを抱いた。
そして、出水さんを先頭にして一〇分ほど歩いて辿り着いたのは、個室のある焼肉店だった。そこはepoch makingができる前に私たちが初めて顔合わせをしたのと同じ店で、路地を入ったところにある隠れ家的な外観に、私は改めて背筋を伸ばしてしまう。
予約時間の九時に間に合った私たちは店内に入ると、店員に個室に案内される。そこは奇しくも顔合わせのときと同じ個室で、少しも変わらない雰囲気に四谷さんたちとも初めて会ったときの緊張感が、私には懐かしく感じられた。
誰からともなく顔合わせのときと同じ席に座った私たちは、まずは思い思いのドリンクを頼む。全員でビールを頼むような同調圧力とは無縁でいられるほど、私たちが同じ会社で一緒に重ねてきた時間は長かった。
注文してから数分ほどして店員が私たちのドリンクを手に戻ってくるまで、私たちはメニューを見ながらどんなお肉や料理を頼むかを話す。メニューに書かれていた値段は相変わらず高かったけれど、今日も出水さんのおごりだと私たちは聞いている。
それでもどこか遠慮してしまう私たちに、出水さんは「いいから気にしないで、好きなの頼んでよ」と言ってくれたから、私たちもその言葉に甘えて、好きなお肉や料理を頼むことができていた。
個室に戻ってきた店員が、私たちの席にドリンクを置く。全員にそれぞれのドリンクが行き渡ったのを確認すると、出水さんは一つわざとらしく咳き込んでから、私たちを見回して口を開く。
「じゃあ、みんな。『いつの日か青かったねと思い出す』の公開は明日以降も続いていくけど、ひとまずは今日までお疲れ様でしたってことで。今日は思う存分美味しいお肉を食べて、元気をつけて、また明日からも頑張っていきましょう。それでは、乾杯!」
「乾杯!」と、私たちも声を合わせる。ジョッキやグラスを突き合わせる軽い音が、室内に浮かんでいく。
私もアルコール度数が低めで、比較的吞みやすいレモンサワーを口に運ぶ。きりりとしたレモンの酸味が、素直に美味しいと感じられた。
(続く)




