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【第62話】黒字


 観客動員数は九〇五七人。着席率は七一パーセント。そして、興行収入は一二二三万九九一〇〇円。それが『いつの日か青かったねと思い出す』が、公開三週目の金土日で挙げた興行成績だった。


 その数字を見て、私は誰にも見られていないことをいいことに、小さくガッツポーズをする。『いつの日か青かったねと思い出す』は公開三週目になって、上映館数を二七館からさらに四二館に増やしていた。それに伴って観客動員数や興行収入が増えていることに、私は確かな手ごたえを得る。


 着席率は少し落ちてしまったものの、その下げ幅も私が覚悟していたほどではない。新宿武蔵野館をはじめ、今まで上映してくれた映画館が高い着席率をキープできているのと同時に、今週から上映をスタートさせた映画館でも観客は多数入っていることが、その数字から私には察せられる。


 それに興行収入も今日発表された数字を合わせて、累計で五千万円を超えた。それは、買い付けの際に私たちが掲げた損益分岐点に達したことを意味している。長谷川さんや國武さんたちに分配される分を差し引いても、私たちは現時点で今回の『いつの日か青かったねと思い出す』の配給を、黒字に持っていくことができたのだ。


 その事実に、買い付け及び配給を提案した人間として、私はひとまず安堵する。実際、映画の配給はビジネスだ。赤字を出してしまえば、配給元であるepoch makingは、早々に立ち行かなくなってしまう。


 だから、それを避けるためにも私たちは必死に日々の仕事に当たっていたのだが、黒字を出せたことでepoch makingはこれからも存続できるだろう。私も今の仕事を手放したくはなかったし、出水さんだって経営者として、今は安堵の息を吐いていることだろう。


 誰にとっても今回の結果は望ましいもので、さらに金曜からは全国のSEIHOシネマズで拡大公開されることもあって、さらなる興行成績が望める。


 黒字になるかどうか気を揉む期間を終えられた今、私にとってはやはり期待しかなかった。次の金土日で『いつの日か青かったねと思い出す』は、どれほどの興行成績を挙げられるのだろう。


 興収ランキングも、先週の一九位から今週は一五位に上がっていたが、さらなるランクアップも望めるかもしれない。ベスト一〇に食い込むことだって、夢ではなさそうだ。


 そう思っている自分に気づいて、私は小さくかぶりを振る。私たちが目指しているのは、あくまで一位だ。来週には人気アニメの劇場版である『ブルーハルジオン』が公開される以上、今週が一位を獲る最大のチャンスなのは間違いない。


 私は喜んだまま、それでも気を引き締め直す。『いつの日か青かったねと思い出す』がどれだけ興行成績を伸ばせるかは、たとえ期間は短くても、宣伝を行う私たちの仕事によるところが大きかった。


『いつの日か青かったねと思い出す』の興行成績を確認した私は、もう一度ファイルの冒頭から目を通す。この金土日の興収ランキングの一位を獲ったのは、今週公開されたばかりの邦画だった。人気ドラマの劇場版だから、ドラマ版のファンが多く観に行ったのだろう。


 そして、二位に先週一位だった洋画、三位に今週公開されたばかりの洋画と続いて、四位には『世界が変わる朝に』の名前があった。観客動員数は三万九二九八人。着席率は三七パーセント。そして、興行収入は六七七一万五百円。それが『世界が変わる朝に』が、公開三週目の金土日で挙げた興行成績だった。


 さすがに三週目ともなるとやはり観客動員数は落ちてきているが、それでも上映回数や座席数を減らされているなかでは、健闘していると言えるだろう。フィルマークスでの評価も3.8と依然として高く、評判はまだまだ続いているようだ。


 その数字は、私たちにとっても一つの目安になる。他の映画も含めて、来週の興行成績がどうなるかは当然分からないが、それでも一位を獲るためには、今週の『世界が変わる朝に』の成績は最低限超えなければならないだろう。


 それは、今の『いつの日か青かったねと思い出す』にとっては少なくとも興行収入の面で言えば、今週の五倍以上の成績を挙げなければならないことを意味する。いくら全国のSEIHOシネマズで拡大公開されるとはいえ、それは決して容易いことではない。本当にできるのだろうかと、私にはかすかな不安もよぎる。


 でも、その瞬間に私は、隣でまだ眠っている國武さんの存在を改めて認識した。


『いつの日か青かったねと思い出す』は、國武さんたちが心血を注いで作った映画なのだ。フィルマークスでの評価も依然として4.2をキープできているし、先ほどエゴサーチをしたときにも、感想は好意的なものが大多数だった。評判を考えれば『いつの日か青かったねと思い出す』がそれだけの興行成績を挙げられる可能性も十分にあると、私には考えられる。


 いずれにせよ、私たちにできることは明日からもまた仕事に励んで『いつの日か青かったねと思い出す』の存在をより多くの人に知ってもらう、観てみたいと思わせることだ。


 そう思うと、私の背筋は自然と伸びる。新幹線がもう間もなく終点の東京駅に到着することを察したのか、國武さんも起き出してきた。


 起き抜けの國武さんに、私はたった今知らされたばかりの、今週末の興行成績を伝える。「ありがとうございます!」と喜んでいる國武さんを見ると、この人のためにも頑張らないとと、私はよりいっそう感じた。





 SEIHOシネマズでの拡大公開を控えたその週の仕事は、今までの仕事がいくらか楽に思えるくらい慌ただしかった。映画館への連絡は当然激増していたし、ウェブをはじめとしたメディアの取材の依頼も、次々に舞い込んでくる。津島さんたち西宝の社員と協力していても、定時内には捌ききれなかったほどだ。


 だから、私も月曜日に一日お休みをもらった以外は、残業も含めてフル稼働する日々が続いていた。エックスでのエゴサーチも当たり前のように一日に何回も行うし、そうでなくても今回の拡大公開に向けて、私たちは改めて映画やキャラクター、それを演じた俳優や制作したスタッフの紹介に加え、映画の見どころを知らせる投稿を毎日行っている。


 YouTubeにも、新たに予告編とは違う映画のPR映像(もちろん本編から抜粋したものだ)を投稿しているし、投稿した後すぐにもらえる反応は、『いつの日か青かったねと思い出す』への注目度を思わせて、私を大いに元気づける。それはどんなエナジードリンクよりも、私には強力なエネルギー源になっていた。


 そして、いよいよ拡大公開が明日に迫った木曜日。私たちは相変わらず、慌ただしく働いていた。全員がオフィスに出勤して、明日の最終確認に取り組む。


 それは私ももちろん例外ではなく、各映画館と連絡を取っていると時間はあっという間に流れ、気づけば外は暗くなっていた。もちろん一二月だから、日が沈むのは一年で一番早いのだが、あまりの時間の進みの速さに若干驚いてしまうほどだ。


 それでもこまめにエゴサーチもしながら、私は自分に割り当てられた業務を着々とこなしていく。西宝の公式アカウントからも、「『いつの日か青かったねと思い出す』が明日から公開される」という投稿はなされていて、私が抱く実感も最高潮を迎えつつあった。


 定時を過ぎても誰もが残業をするなか、それでも一人、また一人と帰っていき、夜の一〇時になる頃にはオフィスには、私一人しかいなくなっていた。映画館をはじめとした関係各所に連絡を取っていたり、ネットメディアが改めて國武さんや浦田さん、佐伯さんを取材した記事に目を通したり、はたまた『いつの日か青かったねと思い出す』のエゴサーチをしていたら、こんな時間になっていたのだ。


 それでも、エゴサーチを一通り終えたところで、私は大きく身体を伸ばす。腹も大分空いてきているし、オフィスにいるだけでも電気代はかかっているから、私もそろそろ帰らなければならないだろう。


 そう思って、私が帰り支度を始めたそのときだった。鍵がかかっているはずのドアが開けられたのだ。私は一瞬びっくりしたが、それでも入ってきたのが出水さんだと分かると、すぐに胸をなでおろす。


 それでも、出水さんは三〇分ほど前に「後はよろしくね」と言って帰っていったばかりだ。だから、私は「出水さん、どうかされたんですか?」と思わず尋ねてしまう。出水さんは「うん、ちょっとね」と、小さくはにかんでいた。


「忘れ物をしちゃったんだ」そう少し恥ずかし気に言う出水さんに、私も「そうですか」と小さく微笑む。出水さんでも忘れ物をすることがあるのかと思ったけれど、それほど私たちが忙しく働いている証なのかもしれない。


 自分の席に向かっていった出水さんを横目に、私は帰り支度を進める。机の上のラックを探して「あっ、あった」と呟いていたところを見るに、出水さんも忘れ物が見つかったらしい。私もコートを羽織ろうと、席を立とうとする。


 でも、その間際に出水さんは「理歩ちゃん、今ちょっといい?」と私に声をかけてきた。私も「はい。大丈夫ですけど」と応じる。出水さんの手にはコンビニエンスストアのレジ袋が握られていて、その形状から用件は私にも何となく察せられた。


「もう、今日の仕事は終わったんだよね?」


「はい。ちょうど今帰ろうとしていたところです」


「そっか。ならよかった。ねぇ、コーヒー買ってきたから一緒に飲みながら、ちょっと話さない?」



(続く)

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