↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
59/66

【第59話】上映拡大


 翌日。私がオフィスに出勤すると、出水さんは私を見るなり近寄ってきて、私に声をかけていた。「理歩ちゃん、昨日はありがとね」と言われて、私もいくらか頬を緩めることができる。


 昨日、國武さんとの電話が終わってから、私は出水さんに電話をかけて、西宝からの話を受けたいと伝えていた。短期的な利益だけでなく、長期的な観点から見ても、誰にとってもメリットがある話だと判断できたからだ。


 それにSNSでエゴサーチをしてみて、「観たいけれど、近くの映画館でやってない」という投稿をいくつか見たことも、私の決断を後押ししていた。國武さんが言うように、『いつの日か青かったねと思い出す』を必要としてくれる人は、きっと多くいる。それは私にも、疑いようのない事実のように感じられていた。


 西宝からの話を受けることに同意したのは、私がepoch makingでは最後だったらしい。立石さんだけでなく、四谷さんや木蓮さんも昨日のうちに西宝からの話を受けたいと前向きな姿勢を示していたようで、これで私たちの意志は一つにまとまったことになる。


 もちろん、これで『いつの日か青かったねと思い出す』の拡大公開が決まったわけではない。それでも私は、未来に向けて明るい展望を抱くことができていた。


 私が今まで通りに『いつの日か青かったねと思い出す』のエゴサーチや、今週から上映してくれる映画館への再度の連絡といった仕事をこなしていると、あっという間に午後になった。


 そして、私が一時間の昼食休憩を終えたタイミングで、出水さんはノートパソコンを片手に会議室へと向かっていく。その姿を見送ると、私は改めてドキドキするような心地を味わう。


 出水さんはこれから会議室で、西宝の配給部門の事業部長である加納さんや、『いつの日か青かったねと思い出す』のプロデューサーである長谷川さんと、オンライン会議を行うのだ。議題はもちろん『いつの日か青かったねと思い出す』を全国のSEIHOシネマズで上映するかどうか、上映するとしたらいつ頃からになるかだ。


 これからの『いつの日か青かったねと思い出す』の展開を左右するきわめて重要な会議に、私は出席しないのに鼓動が速くなってくるようだ。


 良い方向に話が進んでいってほしい。会議室に入っていく出水さんの姿に、私はそう思わずにはいられなかった。


 私は自分の仕事を進める。それでも、会議室から出水さんたちの声はうっすらと聞こえてきて、それをまったく意識しないでいることは私には難しかった。


 同じく事務作業のためにオフィスにいる木蓮さんも、どこかソワソワした様子を見せている。いくら自分の仕事に集中しようとしても、オンライン会議の様子は私たちには嫌でも気になってしまうのだ。


 そしてオンライン会議は、一時間かそこらでは終わらなかった。おそらく詳細を詰めているのだろうが、それでも長時間に及ぶ会議に、私はソワソワを通り越してやきもきし始めてしまう。早く会議の結論を聞きたい。そんな思いが、私の中で時間を追うごとに膨らんでいた。


 出水さんがオンライン会議を終えて会議室から出てきたのは、会議室に入ってから二時間以上が経ってからのことだった。ようやくメインオフィスに戻ってきた出水さんに、私たちの視線は否応なしに向く。


 出水さんは何も言わずに自席に戻って、パソコンに向かっていたから、私たちも自分の仕事に戻らざるを得ない。会議がどんな結果に終わったのかは私は当然、木蓮さんも気になっていた様子だったけれど、面と向かって訊くことはなぜだか、私たちにはできなかった。


 そのまま誰も何も喋らないまま、私たちがそれぞれの仕事に向かってから十数分後。「よし」と呟いた出水さんは、おもむろに立ち上がっていた。その行動に、私たちも目を向ける。


 出水さんはそれをちょうどいいと思ったのか、「二人とも今ちょっといい?」と私たちに呼びかけてくる。私たちも仕事をする手を止めて頷く。私は思わず心の中で構える。このタイミングで出水さんが言うことは、一つしかなかった。


「今の加納さんや、長谷川さんとのオンライン会議についてなんだけど」


 出水さんがそう言った瞬間、私だけでなく木蓮さんも息を呑んだのが、私には雰囲気から分かった。そして次の瞬間、出水さんの表情は明るいものに変わる。


「まず結論から言わせてもらうね。『いつの日か青かったねと思い出す』は、来週一二月一二日から、全国のSEIHOシネマズでの上映が決定しました!」


 出水さんは語尾を弾ませていて、会議の結果に心から喜んでいる様子だった。私にも思わず拍手をしたくなるほどの嬉しさがある。来週からというのはいささか急ではあるが、それでも光栄なことには違いなかった。


「全館でってわけではないんだけど、それでも九七館のSEIHOシネマズで、来週の一二月一二日から『いつの日か青かったねと思い出す』は上映されます。もちろん、今もまだ上映中だったり今週から上映される映画館を合わせると、実に全国一三九館で『いつの日か青かったねと思い出す』は上映されることになります」


 改めて私たちに伝えてきた出水さんに、私はとうとうここまで来たかという感慨を禁じ得ない。上田での映画祭のときに初めて『いつの日か青かったねと思い出す』を観たときには、なかなか想像が及ばなかった現実に、まだ心のどこかで夢ではないかと思ってしまうくらいだ。きっとこれから西宝の人たちと一緒に仕事をする中で、徐々に本当のことだと感じていくのだろう。


『いつの日か青かったねと思い出す』が自分たちの手から離れていく感覚は、公開されたときに既に味わっていたから、私は純粋な喜びに包まれていた。


「全国のSEIHOシネマズで上映されるからには、私たちが目指すのはたった一つ。それは二人も分かってるよね?」


「はい。週末の興収ランキングの一位を獲ることですよね」


「そう。拡大公開されて一日に複数回上映される初週が、一位を獲る最大のチャンスだから。何としても一位を獲りにいくよ」


「そうですね。僕もそう思います。だって、その翌週の一二月一九日からは、『ブルーハルジオン』の劇場版の公開が始まってしまいますから」


 木蓮さんがそのタイトルを出したのは、きっとアニメ映画が好きな故だろう。そして、その『ブルーハルジオン』の存在は私だって知っていた。


『ブルーハルジオン』は日本一の発行部数を誇る漫画雑誌・週刊少年ジャックに四年ほど前から連載されている大人気漫画だ。迫力のあるバトル描写と個性豊かなキャラクターが人気を集め、一昨年にはアニメ化もされている。そして、そのアニメも有名な制作会社が手掛けたこともあって広く人気を博し、その勢いのままに今回劇場版が公開されるのだ。


 西宝が配給するその劇場版は、冬休みシーズンの目玉として考えられていることは公開時期から明白で、私たちには縁遠いと思っていたのだが、それでも今の状況ではこれ以上ないほど強力なライバルになるだろう。


 そのことは出水さんも分かっているようで、「そうだね」と一つ頷いていた。


「『ブルーハルジオン』は今とても勢いのあるタイトルだから、きっと初めての劇場版にもお客さんはたくさん入ると思う。西宝もそれを見込んで、SEIHOシネマズ以外のシネコンでも全国的に上映を実現していて、その上映館数は三〇〇館以上にも上る。一日に何回も上映されるだろう、間違いなく今回の冬休みシーズン最大のタイトルだよ」


 冷静に事実を述べる出水さんに、私は少し恐れのようなものを抱いてしまう。いくら『いつの日か青かったねと思いだす』が広く拡大公開されるとはいえ、その上映規模には倍以上の開きがある。私には想像も及ばないような上映規模に、途方もない思いさえするほどだ。


 それでも、出水さんは「だからこそ」と言葉を繋げていた。


「『いつの日か青かったねと思い出す』が興収一位を獲るには、公開初週が最初にして最大のチャンスなの。現実的に考えて、一二月一九日の週はかなり高い確率で、『ブルーハルジオン』が一位を獲ると思う。だから、私たちはその前の週に、何としても興収一位を獲るの。そのためには、できることは何でもやらなきゃね。もちろん上映はそれ以降も続くけど、まずは一二月一二日の拡大公開日に向けて、全力を尽くしてこう」


「はい!」私たちは口々に返事をする。西宝が今回拡大公開を決めてくれたのは、『いつの日か青かったねと思い出す』が、その投資に応えられるだけの興行成績、配給収入を挙げられると判断されてのことだろう。私はその期待に何としても応えなければと思う。


 いや、それは最低限で、私たちが目指しているのはあくまで週末の興収ランキングの一位を獲得することだ。公開当初は非現実的だった目標も、今は十分手の届くところまで来ている。


 出水さんの言う通り、最初で最大のチャンスを何としても掴みたい。出水さんからの連絡が終わって自分の仕事に戻っても、私にはその思いしかなかった。



(続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。