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【第57話】曇りの休日


 津島さんのその言葉に、私は一瞬だけれど息が止まるような心地さえ味わった。興味は示していたものの、まさか本当に観てくれるなんて、正直思っていなかった。「そ、それはありがとうございます」という返事も、この状況に合っているのかどうか心許ない。


「ああ。まずは平日の午前中の回なのに、席が半分以上埋まってるのが驚きでさ。もう公開二週目なのに、これだけの客入りがあるってことは、本当に評判になってるんだなって実感できたよ」


「そ、それはどうも」


「それでさ、実際観てみたら、俺の予想を遥かに上回るくらい良くて。全ての瞬間に身を切るような切実さが漂ってるんだけど、それでも重くなりすぎてはいなくて。年代も性別も違うのに、主人公にも感情移入できてさ。クライマックスでは、思わず泣きそうになったよ。同じ回に観たお客さんもみんな満足してるのが、明るくなった瞬間のスクリーンの雰囲気から察せられてさ。これは評判になるのも頷けるなって。俺としてもそこまで本数観れてるわけじゃないけど、それでもウチで配給している映画以外なら、今年観た映画の中でも一番良かったって思えた。お前、よくこれだけの作品を見つけてこられたな」


「あ、ありがとうございます。それはちょっと、運とかタイミングもありまして。私としても『いつの日か青かったねと思い出す』に出会えたのは、本当に奇跡的なことだったとつくづく感じています」


「そうだな。俺には西宝で働いた経験しかないけど、独立系の配給会社では良い作品と出会うのは、本当に運命的なことだって聞くし。お前がそう簡単に決断を下せないのも、当然だと思ったよ」


「津島さん……」


「ああ。でも、その上で言わせてもらうわ。俺たちと協力して、『いつの日か青かったねと思い出す』をもっと多くの観客に届けてみないか? この映画を必要としている人は、きっと日本中にいると思うんだ」


 津島さんの言葉は、特に最後の部分が私の胸に、一言一句刺さってくるようだった。私だって、『いつの日か青かったねと思い出す』をもっと多くの人に届けたいという思いは一緒だ。


 だから、私にも頷かない理由はないはずだった。だけれど、映画の最初に西宝のロゴが表示されるという想像が、ここに来ても私にブレーキをかけてしまう。


 それに私は、西宝での日々が嫌で出水さんについていった部分もある。なので、西宝と組むことに抵抗を感じないと言ったら、嘘になってしまう。


 それは極めて個人的な子供じみた思いだったが、それでも私はその感情をまったく無視することは、この期に及んでもできなかった。


「は、はい。ありがとうございます。そう言ってもらえると、私としても嬉しいです」


「そうか。だったら、俺たちの話受けてくれるか?」


「そ、それは……」言葉を濁した私は、自分の感情を偽れなかった。今日話を受けたばかりで、そんなにすぐ判断できないという思いもある。


 だけれど、煮え切らない態度を示している私にも、電話の向こうの津島さんが気を悪くしている様子はない。ただ、それまでと変わらない調子の声が私の耳に入る。


「そうか。やっぱりすぐには決められないか」


「あ、あの、津島さん、そういうわけじゃなくてですね……」


「いや、いいよ。ごまかさなくても。お前がウチに苦手意識っていうか、あまり良い感情を持っていないのは、俺だって知ってるし。またゆっくり考えて、明日以降に返事してくれたらいいよ。まあ、俺としては良い返事を期待してるんだけどな」


「は、はい……」情けないことに、私はそういった返事しかできなかった。津島さんは、私が西宝をどのような思いで辞めたのかも知っていたのだ。


「じゃあ、俺からの用件は以上なんだけど、どうだ? 真鍋の方から何か言っておきたいことはあるか?」と訊かれて、私は「いいえ、ないです」と見えていないのにかぶりを振る。


 すると、津島さんは「そうか。まあ元気でやれよ。じゃあな」と言って、私がぎこちない返事をしたのを聞くと電話を切っていた。スマートフォンを耳から離して、私はしばし固まってしまう。


 どうすればいいのかなんて、客観的に見れば分かりきっているけれど、それでも私は自分が今いる場所から、一歩を踏み出せずにいた。





 次の日、私は昼過ぎになってようやくベッドから起き出していた。夜更かしをしたわけでもないのに、起床がこの時間になったことに、自分でも知らないうちに疲れていたのだと感じる。


 起き抜けで頭もまだどこかぼんやりしているなか、私は顔を洗ったり昼食を食べるよりも先に、ノートパソコンに向かった。


 SNSで『いつの日か青かったねと思い出す』のエゴサーチをすると、半日以上経っていたから新規の投稿も何十件か出てくる。私は今日もそれらを一つずつ読んでいき、好意的な投稿にはいいね! やリポストをしていく。


 午前中の回で『いつの日か青かったねと思い出す』を観た人たちは、概ね好意的な印象を書いてくれていたものの、でもそれらも私の頭には完全に入ってこなかった。


 当然、嬉しい気持ちは公開二週目になっても減ってはいない。だけれど、西宝に声をかけられているという事実、そして昨日津島さんとした電話が、私の頭に薄いモヤのようなものを発生させてしまっていた。


 冷凍食品とパックご飯で昼食を済ませた後も、私はすぐには何かをする気にはなれなかった。仕事をしながら、休みになったら何をしようと考えていた部分も私にはあったのだが、それでも疲労感は想像以上だ。


 窓の外を見ると空はどんよりと曇っていて、いつ雨が降ってきてもおかしくない天気であることも、私が感じている億劫さに拍車をかける。


 だから、ベッドに横になって何もしない時間が、私には少し必要だった。せっかくの休日を無駄に過ごしているという罪悪感も、「休日に休んで何が悪い」と言い聞かせることで蓋をしようとした。


 そのまま少し寝たり、タブレット端末でサブスクリプションのドラマを見たり、時折『いつの日か青かったねと思い出す』のエゴサーチをしたり、いずれにせよ私がベッドの上から動かないでいると、いつの間にか外は暗くなっていた。その頃になって、私はようやく再びベッドから起き上がる。


 そして、「どうしよう」という思いが頭をよぎる。それは今日これからどうしようということもあったし、西宝からの話について出水さんになんと返事をすればいいのかも、まだまとまっていなかった。


 それでも、私はまだ雨が降らずに持ちこたえている天気を確認し、ひとまず外に出ようと思い立つ。まだあまり腹は減っていなかったけれど、歩いていれば何か頭も働くかもしれないと思った。


 そうして私が出かける支度を調えて、いざ外に出ようとしたそのときだった。スマートフォンが昨日に引き続いて着信音を鳴らしたのだ。


 まさかまた津島さんじゃないだろうなと思いながら画面を確認すると、そこには國武さんの名前が表示されていた。きっと國武さんにも、西宝からの話は長谷川さんから知らされているに違いない。そうでなければ、このタイミングで私に電話をかけてくる理由がない。


 私は多少気が重い感じはしながらも、ひとまず電話に出ることにした。「はい、真鍋です」と普段通りの声を心がける。それでも、返ってきた國武さんの声はどこか弾んでいた。


「真鍋さん、聞きましたよ! 西宝が『いつの日か青かったねと思い出す』の上映に、興味を示してくれてるそうじゃないですか!」


 回りくどい挨拶も抜きに、矢継ぎ早にそう言ってきた國武さんの驚きながらも喜んでいる姿を、私は想像する。もし目の前で見ていたら、微笑ましく感じられそうだ。


 だけれど、私は國武さんと同じくらいまでテンションを上げることはできなかった。私は未だに、西宝からの話を受けるかどうか迷っていた。


「そうですね。私たちにとっても、とてもありがたいお話だと思います」


「そうですよね! 私も長谷川さんには、ぜひお願いしますと伝えていますし、真鍋さんたちだってそうですよね!」


 面と向かっているかのようにグイグイ来る國武さんに、私は一瞬答えに窮してしまう。ここで「はい、もちろんです」と頷くことは、まだ迷っている最中である以上嘘になってしまう。


「そうですね」と相槌を打つことさえできずに、束の間押し黙ってしまった私の煮え切らない反応を、さすがに國武さんも察したらしく、「真鍋さん、どうかしましたか?」と尋ねてくる。


 そうされると、私もずっと黙っているわけにはいかない。思わず出た「……國武さんは『いつの日か青かったねと思い出す』が、本当に全国のSEIHOシネマズで上映してほしいですか?」という疑問は、私にとっても本意ではなかった。


「もちろんですよ。私はこの映画をかつての自分を救うために作ったんですけど、それでも今同じような思いをしている人は、きっとたくさんいると思いますから。その人たちをほんの少しでも励ますためには、やっぱり上映される機会は多くあるに越したことはないじゃないですか」


「……それは、今の公開規模が不満だということでしょうか?」


「いえいえ、真鍋さんたちも全力で『いつの日か青かったねと思い出す』を届けようと頑張ってるのは私も承知の上ですし、不満なんてあるわけないですよ。でも、やっぱり自分が作った映画が大勢の人に観られるのは嬉しいですし、真鍋さんたちだって自分たちが配給した映画が広がっていくのは嬉しいですよね?」


「それは、もちろんそうなんですけど……」


「真鍋さん、本当にどうしたんですか? さっきから少し声に力がないですけど」


 國武さんのその反応を、私は否定できなかった。もしかしたら私は迷うあまり、弱気になり始めていたのかもしれない。拡大公開されて観客の反応が心配だとか、そもそも『いつの日か青かったねと思い出す』がシネコンでの上映に耐えうるのか。大スクリーンにかけられると、画面がざらついてしまうのではないか。


 懸念はいくつも思い浮かぶけれど、それは國武さんだって織り込み済みだろう。その上で全国のSEIHOシネマズで上映してほしいと言っているのだ。


 國武さんのその想いを、私は無下にしたくないと感じる。だから、今私が悩んでいる理由も、ありのまま打ち明けるべきだと感じた。



(続く)

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