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【第55話】打診


『いつの日か青かったねと思い出す』が上映規模を考えると誇れる数字を残したことに少し浮かれながら、私はファイルの一ページ目から、また改めて目を通した。そこには『世界が変わる朝に』の興行成績も、当然のことながら記載されていた。


 観客動員数は五万七三七人。着席率は四一パーセント。そして、興行収入は八六六八万九九百円。それが『世界が変わる朝に』が、公開二週目の金土日の三日間で挙げた興行成績だった。並んでいる数字に、私はやはり規模の違いを感じずにはいられない。


 公開二週目で興行成績が落ちてしまうのは、多くの映画が陥るこの世の常だ。だけれど、『世界が変わる朝に』はその下げ幅を最小限に抑えている。少しは近づいたとはいえ、『いつの日か青かったねと思い出す』と比べたら、興行収入は依然として一〇倍近い開きがある。


 それに観客動員数も大幅には減っていないから、上映回数を減らされたり比較的小さなスクリーンの上映になっていることもあって、着席率はむしろ上がっている。それは津島さんたちが手がけた宣伝の効果もあるけれど、口コミやSNSでの評判も、私には無視できないと感じられる。


『世界が変わる朝に』も、フィルマークスでの平均評価は『いつの日か青かったねと思い出す』には及ばないものの、それでも星四つに近い、高い評価を獲得している。その評判に押されて観た人もきっと多くいるのだろう。


 興収ランキングでも、有名監督が手がけた大作のハリウッド映画に首位を譲ってはいるものの、まだ二位につけていて、これからまだまだ粘りそうだということは、私にも容易に推測できた。


 きっとこれからも私たちの前に、高い壁として立ちはだかり続けるのだろう。


 それでも、このまま上映が続けば、いつかは超えられる日が来るはずだ。私はそう信じて疑わなかったし、『いつの日か青かったねと思い出す』にはそれくらいのポテンシャルがあるとも、確かに思っていた。





『いつの日か青かったねと思い出す』が公開二週目にも関わらず、興行成績を伸ばせたことに気を良くしているのは、私だけではなかった。


 翌日オフィスに出勤したときも、出水さんたちは連日の疲労がありながらも、みんな明るい表情をしていたし、それは今日休みの木蓮さんも例外ではないと、私には思える。室内にも何日も働き続けているとは思えないほど爽やかな空気が漂っていて、それは『いつの日か青かったねと思い出す』の好調に起因しているのは疑いようもなかった。


 誰もがエネルギッシュな姿勢で仕事に臨んでいて、私も『いつの日か青かったねと思い出す』を買い付けて公開できて本当によかったと感じられる。自分たちが配給した映画が成功しつつあることは、こんなにも心を潤すことなのかと、私は改めて知る思いだった。


 SNSで感想をエゴサーチする。平日にも関わらず何件も出てきた「これから観る」という投稿にエネルギーをもらう。そして、映画の公開に際して増えていたメールのやり取りや関係各所への連絡といった業務を一通りこなして、またエゴサーチをする。


 すると、今度は映画を観終えた後の感想が何件もヒットして、それがこの日も概ね高評価で占められていたことに、私は心強い思いを感じる。そうして、またいい気分で他の業務に向かう。


 そんな好循環を私が何度か繰り返していると、午後三時を過ぎた頃に外に行っていた出水さんが、オフィスに戻ってきた。自分の席に座って、パソコンを立ち上げる出水さん。


 すると、しばらくして「えっ!」と驚く声が、私の席にまで聞こえてくる。そこまで出水さんが驚いたことは記憶になかったので、私は思わず出水さんに「どうしたんですか?」と尋ねる。


 出水さんは「うん。ちょっとこっちに来てくれる?」と答えていて、同じくオフィスにいた立石さんとともに、私たちは出水さんの席に向かった。出水さんのパソコンの画面を窺う。


 すると、そこにはメールソフトが表示されていた。


「私が外に出てる間に、西宝からメールが来てたんだけど」


「えっ、西宝ですか!?」そう声に出してまで驚いていたのは立石さんだったけれど、私も内心ではあまり変わらなかった。西宝が私たちのような小さな配給会社に連絡をしてくること自体、とても稀なことだ。


「それで、どんなメールだったんですか……?」


 私はおそるおそる尋ねる。すると、出水さんはまだ信じられないといった様子で答えた。


「よかったら『いつの日か青かったねと思い出す』を全国のSEIHOシネマズで上映しませんか? だって」


「えっ、本当ですか!?」またしても声に出して驚いている立石さんに、私も同感だ。西宝が『いつの日か青かったねと思い出す』に興味を示すなんて、そんなシナリオは私は少しも予想していなかった。


 でも、出水さんは「うん、本当」と言って、私たちにメールの文面を見せてくる。そこには確かに『いつの日か青かったねと思い出す』を全国のSEIHOシネマズで上映しないかという旨が、丁寧な文章で書かれていた。


 何でも西宝の配給事業の事業部長が、実際に『いつの日か青かったねと思い出す』を映画館で観て、とても気に入ってくれたらしい。これは今よりもっと観られる映画だと思ったみたいで、SNSやフィルマークス等での好評価や、新宿武蔵野館等をはじめとした高い着席率も、追い風となったようだ。他の社員とも午前中に話をつけて、午後のこの時間帯に出水さんにメールを送ってきたというのが、経緯だ。


 メールの全文に目を通しても、私はまだ現実のこととして受け止めきれない。それくらい今の事態は、私にとって想像だにしていないことだった。


「で、二人はこのメールを読んでどう思った? 私としては、ぜひともこの話を受けたいと思うんだけど」


 あらかた用件が把握できたところで、出水さんたちが私に訊いてくる。その質問に先に答えたのは、立石さんだった。


「私も出水さんに賛成です。私も『いつの日か青かったねと思い出す』は、今以上にもっと多くの人に観られるべきだと思っていますし、そのためにはこのチャンスは逃せないですよ。今すぐ『よろしくお願いします』って、返事したいくらいです」


 そう食いつくように答えた立石さんの気持ちも、私にはよく分かった。私だって、もっと『いつの日か青かったねと思い出す』が観られてほしいという思いは同じだ。


 出水さんが「そうだね。理歩ちゃんはどう思う?」と私に水を向けてくる。私も何も考えず、首を縦に振ってしまいたい。


 だけれど、その一方で一つひっかかるものも私は感じてしまっていた。


「は、はい。私も『ぜひよろしくお願いします』と言いたいです。私たちにとっては願ってもない話ですから。でも」


「でも?」


「あ、あの、このメールに書かれている通りにするならば、映画の前にはepoch makingのロゴに加えて、西宝のロゴも出るんですよね……?」


「そうだね。もしかして理歩ちゃんはそれが引っかかってるの?」


「いえ、引っかかってるってわけじゃないんですけど、どことなく西宝が後乗りしてきてるように感じられてしまって……。『いつの日か青かったねと思い出す』が私たちが見つけて、私たちが配給しているのに、そこに西宝が入ってくるとなると、なんだか西宝の手柄になってしまいそうじゃないですか……?」


「なるほどね。理歩ちゃんは、『いつの日か青かったねと思い出す』は間違いなく自分たちの手で配給したっていう自信がほしいわけだ」


 出水さんに改めて言語化されると、私は「は、はい」と返事をしながら、ついうなだれそうにさえなってしまう。手柄を独り占めしたいだなんて、これじゃ駄々をこねている子供みたいだ。


「そっか。まあ理歩ちゃんの気持ちは私にも分かるよ。私だって、ここまで『いつの日か青かったねと思い出す』の配給や宣伝に全力を尽くしてきたプライドはあるから。このまま最後まで自分たちの手で配給したいって気持ちは、私もとてもよく分かるよ。でもさ、理歩ちゃん。私が顔合わせのときに何て言ったか。この会社で何を目指したいって言ったか、覚えてる?」


「……配給収入三億円、興収ランキング一位ですか?」


「そう。もちろん、理歩ちゃんたちも含めて、全員が頑張ってくれてることは私も分かってる。でもね、今の私たちの規模だと、それを達成するのは正直かなり難しいんだ。どれだけ働いてもマンパワーの限界っていうのはあるからね。だから、ここからさらに『いつの日か青かったねと思い出す』を広げていくには、西宝のような大手企業の力を借りる必要がある。西宝の社員と協力していく必要があるの。だから、そのためには映画の前にロゴを出すことも当然だと、私は思ってるんだけど」


 出水さんの言うことは、私にも耳が痛いほど分かった。


 だけれど、それでも私は素直に頷くことはできなかった。


 確かに私たちはたった五人の社員しかいない小さな会社だ。百館を超えるような大規模な配給に対応するには、人手不足は否めない。


 それが分かっていても、私はまだ納得できていなかった。元々自分のものではなかったのに、『いつの日か青かったねと思い出す』が自分の手を離れてどこか遠くに行ってしまうような気がして、怖かった。



(続く)

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