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【第49話】帰郷


 私たちはバックオフィスで、坂下さんと改めて今日の段取りを確認する。


 それでも内容自体は、昨日一昨日とさして変わらない。舞台挨拶を終えた後にパンフレットを購入してくれた人限定で、ロビーでサイン会を行うのも新宿武蔵野館でのときと同様だ。


 私は額縁にポスターを入れたりと、舞台挨拶の準備を進めていく。その間は少し國武さんを待たせるような格好になったが、それでも連日登壇していることもあって、國武さんは舞台挨拶にも少しずつ慣れ始めているようだった。


 私たちが舞台挨拶の準備を整えて、手すきになった間にまた少し話していると、上映時間は終わりを迎えた。明るくなった劇場内に、坂下さんともう一人のスタッフがポスターを持って入っていく。


 坂下さんがこれから舞台挨拶があることを観客に告げると、少し間を置いてから、坂下さんに呼びこまれて國武さんが劇場内に入っていく。観客席から起こった拍手は、昨日一昨日に比べると少し小さかったけれど、それは座席数の関係もあったし、込められている暖かさは少しも違わない。


 私も國武さんの後に続いて劇場内に入ると、坂下さんが言った通り観客席は満席であることが、一番後ろからでも窺えた。


 シネ・ヌーヴォでの舞台挨拶も、三〇分ほどの時間をかけて充実した内容になっていた。


 坂下さんが投げかけていた話題は、今までの舞台挨拶と比べても角度が少し異なっていて、國武さんが答える内容も東京のときとはまた少し違い、私でもいくらか新鮮な気持ちで写真を撮りながら、舞台挨拶を聞くことができた。


 舞台挨拶の後半に設けられた観客からの質問の時間でも、訊く人が異なればまた新たな着眼点による質問が出てきて、一つとして同じ舞台挨拶はないのだと、私は改めて認識する。どんな質問にも國武さんは真摯に答えていて、きっと観客も納得してくれたことだろう。


 その甲斐もあってか、舞台挨拶が終わった後にロビーで行われたサイン会にも、パンフレットを購入してくれた人限定という条件だったが、二〇人を超える観客が列を作ってくれていた。大阪という土地柄ゆえなのか、サインをもらってからも國武さんと話し込んでいる人も、何人か見られる。


 それは私にとってもありがたかったが、それでも度が過ぎている場合は私はそれとなく声をかけて、その人と國武さんを引き離さなくてはならなかった。心が痛まなかったと言ったら嘘になるが、他にも國武さんのサインを待っている人はいるし、何よりこの後の出町座での舞台挨拶を考えたら、何時間もシネ・ヌーヴォにいるわけにはいかない。


 それでも、國武さんは可能な限り観客と話すようにしていて、國武さんの親切な人柄がここでも私には感じられていた。


 サイン会も終えて、坂下さんたちスタッフに「今日はありがとうございました」とお礼を言ってから、私たちがシネ・ヌーヴォを後にしたとき、時刻は既に午後の三時を回っていた。


 出町座での上映は午後の四時からの予定で、舞台挨拶が始まるのは午後の五時半以降になるだろう。


 だから、私たちはいくらか余裕を持って、九条駅から地下鉄に乗ることができた。途中で京阪本線に乗り換えて私たちは県境を越える。京阪本線に乗っている間は、私は少し気が抜けてウトウトしてしまったけれど、國武さんはずっと起きていて、地元での舞台挨拶に今まで以上にドキドキしていることが、私にはふとした瞬間から窺えた。


 一時間以上電車に乗り続けて、私たちが出町柳駅に到着した頃には時刻は四時半になっていて、駅のホームから地上に出ると、西の空がオレンジ色に染まっていた。少し寒さを増してきた空気に身を震わせながらも、私たちは出町座に向けて歩き始める。


 すると、橋からは鴨川にいくつもの石が置かれ、その間を子供が軽快に跳ねているという、私がイメージしていた京都そのものの光景が見えた。京都と言えば、という景色に私は思わず写真を撮ってしまう。


 國武さんも微笑んでいて、緊張はしながらも地元に戻ってきたという実感をより大きくしているようだった。


 橋を渡り商店街の中を國武さんの後に続くように歩いていると、出町座にはものの五分もしないうちに辿り着いた。商店街の一角に分かりやすく「出町座」と表示されたその映画館の外には、『いつの日か青かったねと思い出す』のポスターも確かに貼ってある。


 私たちが中に入ると、一階には券売機や受付の向かいにカフェスペースが設けられていた。カウンターに座ってコーヒーや軽食をいただけるようになっており、その向こうにある大量の本とも相まって、初めて来たのに落ち着いた雰囲気が私には感じられる。國武さんも、懐かしむように目を細めている。


 次の回の上映を待っていると思しき観客が数人いるなかで、私たちはバックオフィスのドアをノックした。すると、中からは支配人である瀬波(せなみ)さんが出てきて、私たちを招き入れてくれた。


「よろしくお願いします」と挨拶をしてから、私は今日のスクリーンの状況を尋ねる。五〇席ほどの二階スクリーンは、満席となっているらしい。


 さらに瀬波さんが言うには、地元出身の監督の作品であることもあって、一日三回上映しているのだが、昨日から全ての回が満席となっていて、それを聞いた國武さんは信じられないと言うように、口元を抑えていた。きっと深い感慨を抱いているのだろう。


 私も『いつの日か青かったねと思い出す』が、國武さんが生まれ育った京都でどこよりも盛り上がっていることが、まるで自分のことのように嬉しかった。


 舞台挨拶が始まる時間になるまで、今日の段取りを改めて確認した私たちは、少し雑談をした。


 國武さんが言うには、今日の舞台挨拶の回には学生時代の國武さんの友人も来ているらしい。國武さんとしても久しぶりに会うようで、楽しみにしている様子は、私の胸をも軽く躍らせた。


 また、國武さんの両親も昨日のうちに『いつの日か青かったねと思い出す』を観てくれたようで、何十分にもわたって電話で感想を伝えてくれたと、國武さんはしみじみと語っていた。自分たちの娘が監督した映画が、こうして映画館で上映されていることが嬉しくてたまらなかったのだろう。


 職場などでも事あるごとに、自分や『いつの日か青かったねと思い出す』の名前を出しているらしいと話していた國武さんは、少しだけ恥ずかしそうだったけれど、それも私には微笑ましく思えた。


 そうして私たちが少し話していると、上映時間も終わりに近づいていく。そして、エンドロールが流れ始めたと思しき頃になって、私はポスタースタンドを持って、三人で二階への階段を上がった。


 扉の向こうから漏れ聞こえてくるエンドロールの音楽が止んでから、私たちはスクリーンの中に入る。観客席を一目見ただけで、空席は一つもなく本当に満員御礼となっていることが、私にはすぐに分かる。


 そして、ポスタースタンドをスクリーンの前に立てかけると、私はドアの側に戻っていった。この二階のスクリーンには、最後列の後ろに空間はない。


 そして、準備が整うと瀬波さんが「では、さっそくご登壇いただきましょう。本作『いつの日か青かったねと思い出す』の監督・脚本・編集を手がけられました國武真凜監督です。皆さん、拍手でお迎えください」と國武さんを呼び込む。


 ドアを開けて國武さんが登場すると、観客席はここでも暖かな拍手に包まれた。その拍手は一人一人がより大きな音で手を叩いているかのようで、やはり地元出身の監督を歓迎する向きは大きいと見える。


 瀬波さんからマイクを渡されてスクリーンの前に立った國武さんは笑顔さえ覗かせていて、それは友人や知り合いが今日の舞台挨拶に何人か来ていることによる安堵からかもしれなかった。


「國武監督、改めて『いつの日か青かったねと思い出す』の公開、おめでとうございます。そして、今日はようこそ、いやおかえりなさいですかね、出町座に来てくださってありがとうございます。こうして京都出身の監督の作品を上映できることは、私たちもとても嬉しく感じています。では、まずは最初に簡単にご挨拶をいただけますか?」


 瀬波さんがそう促すと、國武さんもマイクを持ち上げていた。話し始めるその表情は、馴染み深い場所だからか、今までのどの劇場よりも柔らかいように私には見える。


「はい。皆さん、今日はお越しいただきありがとうございます。『いつの日か青かったねと思い出す』で監督・脚本・編集を務めました國武真凜です。こうしてここ出町座で自分が監督した作品が上映されて、こうして舞台挨拶にまで来れたことは、私も本当に嬉しいです。私もここには学生時代に何度も訪れて、今皆さんが座っている客席に座って映画を観ていたので、こうして自分が舞台挨拶で今皆さんの前で話していることが、夢のようにさえ感じられています。今日は短い時間ではありますが、どうかよろしくお願いします」


 そう言ってお辞儀をした國武さんに、観客から再び拍手が送られる。その暖かさはここが國武さんにとってのホームだと形容できるもので、私にも少し込みあげてくるものがあった。



(続く)

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