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【第47話】初日終わり


 最後に改めて挨拶を述べると、國武さんたちはもう一度観客の拍手に送られながら、スクリーンを後にしていた。その様子には私も感慨に浸りたくなったが、まだ仕事は残っているからそういう訳にもいかない。私も國武さんたちに続くように、スクリーンから出る。


 ロビーには段取り通り、長机と三人分の椅子が置かれていて、そこに國武さんたちは腰を下ろす。他のスクリーンでは既に上映は終わっているから、多少混雑しても影響は少ないだろう。


 スクリーンからは「以上で本日の舞台挨拶は終了となります。皆さん、気をつけてお帰りください」という、内藤さんの声が聞こえてくる。


 すると、それを合図にするように、観客は出てきた。当然そのまま出口に向かっていく人もいたが、それでもパンフレットを購入した人限定でサイン会があることは、舞台挨拶中にも告知されている。


 だから、國武さんたちのもとには何人もの観客が改めてやってきていて、私はその列を整理しなければならなかった。「最後尾はこちらです」と、手を挙げて観客に知らせる。


 一度は帰ったと思ったけれど、エレベーター付近にある売店でパンフレットを買って戻ってくる人も何人もいて、待機列は何重かに折り曲がっていた。


 私が待機列を整理している間にも、國武さんたちのサイン会は矢継ぎ早にスタートしていた。サインをしながら國武さんたちは観客に一言二言話しかけていて、何十人もの観客が舞台挨拶だけでなく自分たちのサインも求めてくれていることに、気分が弾んでいる様子が窺える。観客も國武さんたちに話しかけられて、上気しているようだ。


 誰にとっても幸せしかない空間は、私にとっても気分がいい。間違いなく今日の舞台挨拶は、成功したと言えるだろう。


 私はお客さんの顔が写らないよう配慮しながら、國武さんたちがサインをしているところも写真に撮る。國武さんたちは溢れんばかりの笑顔を見せていて、今この瞬間に計り知れないほどの充実感を覚えていることが、私にも分かった。


 サイン会は最終的に一〇〇人ほどの観客が並んでくれて、一時間ほどで終わっていた。最後の一人が帰っていったとき、誰もが深く息を吐いていて、密度の濃い時間を過ごせていたことを私は実感する。


 新宿武蔵野館のスタッフが舞台挨拶の後片付けを始めるなかで、私は國武さんたちを見送る。浦田さんや佐伯さんは口々に「今日は楽しかったです」と言っていて、私も胸がすく。國武さんに「明日からもよろしくお願いします」と言われると、改めて背筋が伸びる。


 國武さんは、明日の昼にプロデューサーである長谷川さんと一緒に、今度は池袋のシネマ・ロサで舞台挨拶を行う。私たちの仕事は今日で一つの達成を迎えたけれど、それでも何かが終わったわけではない。


 私はエレベーターに入っていく國武さんたちを見送ると、「よし」と呟いて気合いを入れ直した。後片付けをしているスタッフを手伝いに行く。


『いつの日か青かったねと思い出す』の公開は、まだまだ始まったばかりだった。


 舞台挨拶の後片付けも終えて、内藤さんたちに改めてお礼を言ってから、私が新宿武蔵野館を後にしたときには、時刻はもう夜の一一時を回ろうとしていた。舞台挨拶に行く前に軽くパンを食べてはいたけれど、それでも私はすっかり空腹になっていて、夕食を食べられる店を探す。


 今日一日の疲れもあったし、少しでも腰を落ち着けたかった私は居酒屋やラーメン屋ではなく、二階に客席があるファーストフードチェーンに入った。以前、木蓮さんと新宿武蔵野館に劇場営業に行った後に訪れたのと、同じ店だ。


 ダブルチーズバーガーのセットを頼んで、二階席へと向かう。この時間帯のファーストフードは気をつけないと太ってしまいそうだけれど、私はとにかく空腹だったから、そんなことは言ってはいられなかった。


 二階席に到着すると、夜の〇時には閉店してしまうからか、人の姿は新宿の駅前とは思えないほどまばらで、私はすぐにカウンター席に腰を下ろすことができた。


 本当は冷めないうちに食べてしまいたいが、それでも食べながら仕事をしたくなかった私は、席に着くとまずスマートフォンを手に取って、エックスを開く。『いつの日か青かったねと思い出す』の公式アカウントでするのは、もちろん「新宿武蔵野館で公開記念の舞台挨拶を行いました」という投稿だ。


「満員のお客さんのもと、とても充実した時間を過ごすことができました。明日からも『いつの日か青かったねと思い出す』をよろしくお願いします」といった文言の後に、國武さんたちの名前にハッシュタグをつけて(もちろん「#映画いつ青」も欠かさない)、舞台挨拶のときに撮影した写真も添付して投稿する。


 インスタグラムにも同じような文章をより多くの写真をつけて投稿すると、私はようやくダブルチーズバーガーセットにありつける。塩気の効いたジャンクな味わいが、空腹の胃と疲れた身体に染みわたって、いつになく美味しく感じられた。


 エックス等で『いつの日か青かったねと思い出す』の感想をエゴサーチしたい思いを堪えながら、私はダブルチーズバーガーセットを食べ進める。


 そして、食べ終えた私は、一息ついてからすぐに席を立とうとする。エゴサーチは帰りの電車の中や、家に帰ってからすればいいだろう。


 そう思って、トレイを返却台に戻そうとしたそのときだった。私のスマートフォンが振動音を鳴らした。


 それは社内の共有SNSに出水さんが連絡してきた通知で、私もすぐにそのSNSのアプリを開く。「みんな、今日も一日お疲れ様。いよいよ公開が始まってより大変だと思うけれど、休めるときにしっかり休んで、また明日からも頑張りましょう」といった挨拶の後に続いていた文章に、私は目を留める。「速報ですけど今日、公開初日の『いつの日か青かったねと思い出す』の興行成績が出ました」と書かれていたからだ。


 メッセージにはファイルが一件添付されていて、私はすぐにそのファイルをタップする。PDFには『いつの日か青かったねと思い出す』だけでなく、今公開されている全ての映画の、今日の興行成績が掲載されていた。


 一つ一つ読んでいたらそれなりの時間がかかりそうなファイルでも、『いつの日か青かったねと思い出す』の項目にはピンク色の網掛けがなされていて、私はすぐにそれを見つけることができた。さっそく目を通してみる。


 上映館数は一一館。観客動員数は九八八人。着席率は二八パーセント。そして、興行収入は八五万七千円。それが『いつの日か青かったねと思い出す』が、公開初日に挙げた興行成績だった。


 それを見て、私は一言では言い表せない思いを抱く。きっと『いつの日か青かったねと思い出す』のようなインディーズの邦画では、決して悪くない数字なのだろう。新宿武蔵野館での舞台挨拶の回に二〇〇人ほどが入ったことを差し引いても、一一館で八〇〇人ほどが入っている。つまりは、一館で七〇人ほどが入った。


 平日の今日でも一つの回に二、三〇人が入ったことを考えると、大作映画に比べて認知度が高くない『いつの日か青かったねと思い出す』にしては、健闘したとさえ言えるかもしれない。


 でも、興行収入が八五万七千円というのは、出水さんが目標としている配給収入三億円には、よっぽどロングランをしないと届かないだろう。この調子なら『いつの日か青かったねと思い出す』の買い付けや配給、宣伝にかかった費用は回収できるかもしれないけれど、私たちが見据えているのはあくまでもっと高い目標だ。


 その実現への道のりが果てしなく遠いことに、私は嬉しさを抱く半面、どこか途方もない思いも感じていた。


 それでも、私はまだファーストフードチェーンを後にはしなかった。そのままPDFを見続ける。


 すると、『世界が変わる朝に』の名前は、一番上にあった。この表は、興行収入が多い順に並んでいる。そして、私はその横に並んでいる数字をチェックした。


 上映館数は二三二館。観客動員数は一万五六四七人。着席率は二五パーセント。そして、興行収入は二八一三万四五百円。それが『世界が変わる朝に』の、公開初日の興行成績だった。


 それは今上映されているどの映画よりも高額で、私は途方もない思いを深くしてしまう。『いつの日か青かったねと思い出す』とは公開規模が段違いとはいえ、その数字は文字通り桁が違うと言ってよかった。公開初日にも関わらず全国で一万五千人が観たという現実が、私にはいまいち掴めない。


 着席率では勝っているとはいえ、明日以降は分からない。休日となる明日以降に『世界が変わる朝に』がどれだけの興行収入を上げるのかと思うと、少し恐れ慄いてさえしまうようだ。


 津島さんには「評価でも興収でも勝ちます」と言い切ってしまったのに、こんなにも初日から差がついてしまったことに、穴があったら入りたい思いにさえ駆られる。


 それでも、津島さんたち西宝側は、この数字に満足している人間は一人もいないのだろう。『世界が変わる朝に』にどれだけの制作費や宣伝費がかかっているのかは知らないが、新宿駅の地下通路等に大型の広告を打っているのを見ると、それなりの額はかかっているだろう。


 それを回収するために、それ以上に映画をヒットさせるために、津島さんたちは明日からも様々な宣伝を打つに違いない。


 私たちは、どうやって太刀打ちしたらいいのだろう。私は少し不安に駆られるも、いずれにせよできることをやるしかないと思い直す。


 津島さんたちも力を入れているだろうけれど、私たちだって『いつの日か青かったねと思い出す』の宣伝には、自分たちの規模でできる限り力を入れているつもりだ。明日から、いや今日この後からも自分にできることをやるしかなくて、それは私にはSNSの運用に当たるだろう。


 私はトレイを持って席を立つ。私に今できることは『いつの日か青かったねと思い出す』の感想を検索して、好意的なものはリポストやいいね! で広げる。それが一番だった。



(続く)

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