【第44話】満席
それでも、今一度メールを確認したりしてどうにか時間を過ごした私は、一一時五〇分になると再びエックスを表示させた。もう一度エゴサーチをしてみる。すると、今度はいくつかの感想と思しき投稿が見つかった。
「『いつの日か青かったねと思い出す』鑑賞。ひとりぼっちの女子高生の前に秘密の友達が現れる。学生時代の痛みや切なさ、眩しさやきらめきが九〇分に詰め込まれていた。ストーリーに切実さが感じられる。だけれど、最後は希望を持たせる終わり方になっていて、余韻は爽やか。面白かった」
「『いつの日か青かったねと思い出す』國武真凜監督。ファンタジックさのある設定も、地に足が着いた演出と等身大のストーリーによって違和感を感じさせない。主役を演じた二人の女優の存在感も抜群で、想像以上の掘り出し物。日本映画界にまた一人将来が楽しみな作り手が現れた。次回作にも期待。#映画いつ青」
「『いつの日か青かったねと思い出す』観た。良かった。エモさのあるストーリーに気づけば泣いてた。監督の人はこれが初監督作品らしいけど、そうは思えなかったぐらい。大好きな映画。パンフレットも買っちゃった。またもう一回観たいな。#映画いつ青」
いくつかある投稿のうちの最初の数件を見ただけで、私の目頭は熱くなる。それは、おしなべて好意的な感想だった。他の投稿を見てみても、批判はおろか言葉を濁すような感想も一つも見られなくて、全員が『いつの日か青かったねと思い出す』を褒めてくれていた。
もちろん金曜日の公開初日、それも一本目からわざわざミニシアター系の邦画を見る人は、相当な映画ファンしかいないことは私も分かっている。
だからこそ年に何十本、多くて百本以上の映画を観る人たちに、たとえ少数でも認められたことに、私は感慨を抱かずにはいられない。たった一回のリポストやいいね! ではとても足りないくらいだ。
もちろん一映画ファンだった頃も、自分が好きな映画が評判になるとそれだけで嬉しかったし、西宝にいたときにチームの一員として配給や宣伝を担当していた映画が高評価を受けると、ちゃんと喜びは感じられた。
だけれど、この嬉しさはそれらが小さく霞んで見えるほど大きい。それは間違いなく、私が配給を提案した映画だからだろう。宣伝も大事なSNSの運用を任されて、製作には参加できていなくても『いつの日か青かったねと思い出す』に、より深く関わっている実感がある。
業務量は多かったし、たくさん苦労もしたけれど、それもまったく気にならなくなるくらい、私は深い感慨に包まれていた。色々な仕事を頑張った分、報われたときの喜びもいっそう大きい。
当然、まだ数人の感想にしかすぎない。それでも、同じように『いつの日か青かったねと思い出す』を「面白い」「好き」と感じてくれる人はまだまだたくさんいるはずだと、私はエックスを見ながら信じることができていた。
そして、私が喜びに浸っていると、表情が緩んでいることに気づいたのか、出水さんが「映画の評判はどう?」と私のもとにやってくる。
私も、出水さんにエックスのエゴサーチの画面を見せる。並んでいる好意的な感想に、出水さんの口元も緩む。『いつの日か青かったねと思い出す』の評判には、これからのepoch makingの浮沈がかかっているから、安堵する思いも深かったのだろう。
「理歩ちゃん、良かったね」と言われて、私はまた少し泣きそうになってしまう。「はい!」とごまかすように、元気よく返事をする。
歯切れの良い声に、出水さんはまた一段と表情を緩めていて、まだ最初の回が終わっただけなのに、私は達成感さえ抱くことができていた。
いや、一本でも映画の配給を私たちが達成できたことは、疑いようもなかった。
それからも、私は他の仕事の合間に、しきりにエックスやインスタグラムをチェックしていた。他の映画館でも最初の回の上映は終わってきたようで、どちらにも感想の投稿は徐々に増え始める。
肝心の投稿内容は最初に映画を観た人たちと同じように、好評や称賛が目立つものだった。否定的な感想を見つけるのが難しいぐらい、観た人の評価は高く、私はそういった投稿を見つけるたびに、心の中でガッツポーズをする。リポストやいいね! も欠かさず、少しでも好意的な感想が拡散されるように働きかけていく。
フォロワー数が千人以上と多いアカウントには、同様に何件かのリポストやいいね! がついていて、それを見るたびに、私は胸の中で何度も「やった!」と呟く。
観客動員数はまだ分からないけれど、それでも評価の面では『いつの日か青かったねと思い出す』が好スタートを切れたことは、間違いなかった。
SNSでのエゴサーチと他の仕事を交互に行っていると、気がつけば日は沈んで外は暗くなっていた。
そして、時刻が夕方の六時を回った頃、私はまだ働いている出水さんたちに一声かけてから、オフィスを後にしていた。当然、このまま家に帰るわけではない。
新宿駅に着いた私は駅前の牛丼チェーンで腹ごしらえをしてから、新宿武蔵野館に向かった。
今日は夜の七時からの上映が終わった後、國武さんや浦田さん、佐伯さんによる初日舞台挨拶が開催されるのだ。
私が新宿武蔵野館に着いたのは、夜の七時を数分過ぎた頃だった。既に『いつの日か青かったねと思い出す』の上映は始まっていて、他のスクリーンでもこの日最後の回が上映中だから、ロビーに人はいなお。
到着した私は真っ先にオフィスに向かっていって、内藤さんに「今日はよろしくお願いします」と挨拶をする。観客の入り具合を尋ねたところ、二百席ほどあるスクリーン1がほとんど満席となっているようで、そう聞いただけで私は感激する。「ありがとうございます!」と言った声にも、自然と気持ちがこもった。
それから私は、舞台挨拶の準備を進めていく。額縁にポスターを入れたり、マイクの調子をチェックしたり、内藤さんと軽く今日の段取りを確認したりする。
そうしている間にも國武さんや浦田さん、佐伯さんは立て続けにやってきた。オフィスにやってきた三人はいずれも緊張しているようで、実際に映画を観に来た観客の前に立つのは初めてだから、無理もないと私は感じる。
だけれど、そんな三人にも私は客席がほとんど満席になっていることを、伝えずにはいられなかった。
國武さんたちにも、喜ばしいことには違いなかったのだろう。國武さんは「本当ですか!?」と思わず訊き返していたし、浦田さんと佐伯さんはお互いの顔を見て微笑み合っていた。三人の嬉しそうな反応に、私の心も軽くなってくるようだ。
だけれど、三人の表情からは未だに緊張の色は消えていなくて、いくら自分たちが望んだことだとしても、二〇〇人近い観客の前に登場することは、やはりそれなりのプレッシャーを伴うことなのだと私は察した。
内藤さんも含めた五人で再び舞台挨拶の段取りを確認すると、私たちにはただひたすら待つ時間が訪れる。
その間、私には映画の感想をエゴサーチして好意的な投稿にはリポストやいいね! を送るという仕事があったけれど、國武さんたちはスマートフォンも見ず、手持ち無沙汰にしていた。オフィスにはドキドキともソワソワとも言っていい空気が流れる。
私は新しく投稿されていたいくつかの感想を、國武さんたちに伝える。それはどれもが好評で、こんなに『いつの日か青かったねと思い出す』のことを気に入ってくれている人がいると伝える意味もあった。
「ありがとうございます」と応じていた國武さんたちも、エゴサーチをして映画の評判は概ね把握しているらしい。絶対数としてはそこまで多くなくても好評に次ぐ好評だったから、きっと舞台挨拶の回に来てくれた観客も気に入ってくれますよと、私は呼びかける。
それでも、國武さんたちの緊張は消えていなくて、今回来てくれた観客が映画にどういった反応を示すのかは、蓋を開けてみなければ分からないという当たり前のことを、私は再認識した。
そして、ソワソワした雰囲気のまま、時刻は映画が終わる数分前を迎える。國武さんたちも、オフィスからロビーへと向かっていく。私も額縁に入れたポスターを持ってついていく。
実際にこの扉の向こうには、『いつの日か青かったねと思い出す』を観に来てくれた観客が、二〇〇人といる。そう想像するだけで、私も思わず息を呑むようだったから、國武さんたちの緊張はいかほどのものだったのだろう。ただ立っているだけで、ドキドキした空気は最高潮に達しているようだ。
エンドロールの音楽がかすかに漏れ聞こえてくるなかで、國武さんたちはお互いを落ち着かせるように何度も顔を見合って、声をかけ合っていた。
(続く)




