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【第42話】公開前夜


 ざっとエゴサーチを終えて、私は寝る前にサブスクリプションサービスで配信されているドラマの続きを見ようかなと思い立つ。


 そのとき、スマートフォンが振動音を鳴らした。画面を見ると、それはライン経由で電話がかかってきた知らせで、発信者は國武さんだった。


 今度はどうしたのだろう。私が電話に出ると、國武さんのどこか上ずった声が聞こえてきた。


「夜分遅くにすみません。真鍋さん、今って少しお話しすることってできますか?」


「はい。大丈夫ですけど、國武さんどうかされたんですか?」


「い、いえ、どうかしたってわけじゃないんですけど、少し真鍋さんと話したいなと思いまして」


 國武さんの口調は少しだけ早口めいていて、今から緊張しているかのようだった。


 いや、もしかしたら公開前夜の今が、緊張のピークなのかもしれない。初監督作品の公開が、いよいよ明日に迫っている。これで緊張するなという方が無理な話だろう。


 私はなるべく國武さんに落ち着いてもらえるように、「分かりました」と穏やかな声を心がける。私だって、今からドキドキしているというのに。


「真鍋さん、『いつの日か青かったねと思い出す』、いよいよ明日公開ですね」


 國武さんが切り出してきた話題は、私が想像した通りだった。というか、今話すとしたらその話題しかありえない。


「そうですね。初めて私が『いつの日か青かったねと思い出す』を観たのが四月のことでしたから、もう半年以上前になりますか。今日まで色んなことがありましたけど、無事に公開できそうで、私も今から感慨深く感じています」


「はい。私もとうとう公開されるんだと思うと、今からドキドキしてくるのと同時に、『やった』という気持ちさえ抱いています。これも真鍋さんたちが映画の公開に向けて動いてくださったからで。本当に感謝してもしきれないです」


「いえいえ、そんな大げさですよ。私たちが配給を決めたのは、間違いなく作品が良かったからで。それは紛れもなく國武さんをはじめとする、スタッフやキャスト全員の功績です」


「でも、『いつの日か青かったねと思い出す』を見つけてくださったのは、他でもない真鍋さんじゃないですか。あのときの出会いが、こうして映画館での公開に繋がって。本当に、見つけてくださってありがとうございます」


 ここで「そんな。私は大したことはしてないですよ」と謙遜することも、私にはできた。


 でも、私はその言葉を口にしなかった。國武さんが言ったことははっきりとした事実で、私はそれをないがしろにはしたくなかった。


「こちらこそ、あのとき素晴らしい作品を観させてくださって、ありがとうございます。『いつの日か青かったねと思い出す』は本当に良くて。私としても買い付けしたい、配給したいと思うのに、ためらいはいりませんでした」


「真鍋さん、実はあのときの上田での映画祭が、私たちにとっては『いつの日か青かったねと思い出す』を一般のお客さんに観てもらえる、初めての機会だったんです」


「えっ、そうだったんですか?」


「はい。もちろん、私もこの映画は映画館で上映されてほしい。多くの人に観てほしいとは思っていましたけど、そんなにすぐにうまくいくわけもないよなとも思っていて。でも、長谷川さんの勧めで映画祭に応募してみたところ、上映してもらえることが決まって。私も今と同じようにドキドキしながら、開催地である上田に向かったんです」


「そうだったんですか。でも、よかったじゃないですか。お客さんも少なからず入っていて、反応も上々だったんですよね」


「はい。ありがたいことに舞台挨拶が終わってからロビーに出たときも、『良かった』『面白かった』という言葉を何人かの方にかけていただいて。『ああ、私が撮ったものは、やってきたことは間違ってなかったんだな』と思えました。まさかいきなり配給会社の方である、真鍋さんに声をかけていただけるとは思っていませんでしたけど」


「そうですね。私もあのときの國武さんの驚きようは、今でもはっきりと覚えてますよ。私もでしたけど、あのときはお互いに慣れていなくて、初々しかったですよね」


「はい。今思い返すとちょっと恥ずかしいですけど、それでも真鍋さんに『興味を持っている』と言われたときは、本当に嬉しくて。帰るときも足取りは弾みましたし、上田に来て映画祭に参加して、本当によかったと思いました」


「私もです。良い映画に出会えて、満足した状態で東京に帰ることができました」


「そうですね。でも、真鍋さんはそこからが大変だったんですよね。他の社員の方と一緒に、買い付け作品を決める会議に臨まなければならなかったんですから」


「それは、まあそうですね。大変じゃなかったと言ったら、嘘になるくらいでした」


「やっぱりそうでしたか。私はその会議の場にいなかったから分からないんですけど、でも出水さんたちも納得させるようなプレゼンを作るのに苦労したことは、何となく想像できます」


「まあ、私一人の力でプレゼン案ができたわけじゃないんですけどね。出水さんや立石さんからもアドバイスを貰って、どうにか形にできました」


「でも、それが出水さんたちの心を動かしたってことですよね。凄いことじゃないですか」


「いえいえ、私はただ『いつの日か青かったねと思い出す』の良さをどうやったら伝えられるか、必死になってただけですから」


「そうですか。そこまでこの映画を評価していただけて、私も凄く嬉しいです。それに、実際に真鍋さんたちから買い付けのオファーをいただいたときは、私飛び上がりそうになるほど嬉しかったんですよ。これでこの映画を映画館で上映できるかもしれないと思うと、もうワクワクが止まりませんでした」


「ありがとうございます。そう言っていただけると、私たちとしてもオファーをした意味があったと、より強く思えます。でも、國武さんたちから返事があるまでには、少し時間がかかりましたよね」


「それは、まあ。私としてはぜひとも真鍋さんたちの手で配給してほしかったんですけど、長谷川さんが慎重で。正直、真鍋さんたちよりも条件の良いオファーもあったので、仕方のないことだとは思うんですけど」


「それは私たちも知っていました。でも、その中でも条件面で優れているとは言えない、私たちのオファーを受けてくださって、今さらですけど本当にありがとうございます」


「はい。真鍋さんたちも契約額を増額したり、努力してらっしゃるんだなというのは伝わってきたので。それに、何よりもこの映画に最初に声をかけてくださったのは、真鍋さんですから。それが私にとっては忘れられなくて、絶対に真鍋さんたちにこの映画を預けたいと、少々長谷川さんにも無理を言ってしまいました」


 國武さんの言葉に、私は何度目かも分からない、感謝の思いを抱く。きっと國武さんも同じ思いだろう。


 私たちはあの日、奇跡的な出会いがあって結ばれた。それは私には、「運命」とも呼びたくなるものだった。


「ありがとうございます。國武さんのその思いは私もひしひしと感じました。私たちに期待をかけてくれている國武さんたちの想いに絶対に応えたいと、私はそのとき改めて決心したんです」


「それは何よりです。でも、正直買い付けが決まった後も、この映画が映画館で公開される実感は正直なところ、すぐには持てなくて。七月に情報解禁されて、『本当なんだ』って改めて思ったくらいです」


「それは私も感じました。『いつの日か青かったねと思い出す』が公開されることが、ようやく現実の事として捉えられるようになったと言いますか。もうやるしかないなと、気を引き締め直したんです」


「そうですか。私もパンフレットに掲載されるインタビューを受けたり、出来上がった予告編を見たりして、徐々に実感が増していきました。何よりも、新宿武蔵野館で行われた試写会は大きかったですね。浦田さんや佐伯さんとも久しぶりに会えて。映画館のスクリーンで自分の映画を観るっていうのは、たとえ試写会だとしても強烈な経験でした」


「ええ、私もスクリーンの中には入れなかったんですけど、そのときのことはよく覚えています。反応も良かったんですよね」


「はい。映画が終わった後に、何人もの方からお褒めの言葉をいただいて。こんなにこの映画を良いと思ってくださった方がいたことは、私にとっても凄く心強いことでした。長谷川さんや浦田さん、佐伯さんも手応えを得ている様子でしたし、とても良い試写会だったと思います」


「そうですね。國武さんにそう思っていただけると、私たちとしても試写会を実施した意味があったと思えます」


「はい、ものすごくありました。それに今回の『いつの日か青かったねと思い出す』の配給に中心となって動いてくださったのは真鍋さんですけど、私は出水さんや四谷さん、立石さんに木蓮さんといったepoch makingの全員に感謝を伝えたいです。だってリーフレットやポスターなどの各宣伝物の作成や、メディアへの記事の掲載の依頼。ホームページやSNSといったネット上の展開に加え、一館でも多くの映画館にこの映画を上映してもらうために、全国的な劇場営業。他にも私が想像できないような様々な業務を、一手に引き受けてくださったんですよね。本当に頭が上がらない思いです。直接会って感謝を言えないのが、口惜しいくらいです」


 國武さんの純粋な想いに、私の胸は満たされていく。私だけでなく、出水さんたちまで評価されていることが、私には自分のこと以上に嬉しく思える。


 気を抜いてしまったら、目からこぼれ落ちるものさえありそうだ。まだ公開前で、何かを成し遂げたわけじゃないのに。



(続く)

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