【第35話】看板の重さ
「ああ。ほら俺の父さんって、言わずもがな映画監督してるだろ。それに母さんも一時期映画の現場で働いてたことがあってさ。だから、それこそ俺が物心ついたときから、家には映画が身近にあったんだ。本当子供のときから色んな映画を観ててさ。俺もこれを作りたいって思うまでには、時間はかからなかったよ」
「そうなんですか。翔哉さんは映画が当たり前にある環境で育ったんですね」
「ああ。初めてカメラを持ったのは小学生のときだったかな。中学生にもなると、簡単な映画のようなものを友達と撮っててさ。高校のときは映画研究会に所属して、自分が撮影した映画を学生映画コンクールに出したりもしたよ」
「私もです。顔合わせのときに言ったかどうか分からないですけど、私も学生時代は自主映画撮ってました」
「そうだな。それは俺も覚えてるよ。俺と同じだって。でもさ、映画を撮ることは楽しかったんだけど、その一方で少し苦しくもあったんだよな」
「それはどうしてですか……?」そう訊きながら、私には木蓮さんの苦しみの原因がそれとなく分かる気がした。木蓮さんは、一瞬間を置いてから答える。
「そりゃ映画監督・木蓮桐梧の息子だからだよ。ほら、木蓮って珍しい苗字だろ? だから、どこに出してもあの木蓮監督の息子だって見られてさ。さて、どんな映画なのかって、ハードルが上がってたんだよ。もしかしたら、それも俺の思い過ごしだったのかもしれないけど」
「そうですか。こう簡単には言えないですけど、大変だったんですね」
「まあ、ちょっとはな。でも、映画を作るのは好きだったから、大学も映画学科のあるところに進学したんだ。でもさ、そこに行くような人たちって当然映画には詳しいわけじゃんか。だから、父さんの名前も当然知っててさ。それで同じ苗字だろ? だから、余計に木蓮監督の息子だって目で見られたんだよな」
「そうだったんですか……」
「ああ。だから、ハードルの上がりようも高校のときの比じゃなくてさ。もしかしたら、俺が勝手にプレッシャーを感じてただけなのかもしれないけど、でもなかなか父さんのようには映画を作れなくて。もちろん、プロと学生だから比べるのは違うって今だったら思えるけど、それでも俺はそのときは『映画監督・木蓮桐梧の息子』っていう看板の重さに苦しんでたんだ」
「それは大変でしたね。私が今こんなこと言っても、何にもならないかもしれないですけど」
「いや、そう言ってくれるだけで俺は嬉しいよ。実際、大変だったんだから。映画を作ろうにも、常に父さんの影がちらついてさ。自分が理想とするものと現実とのギャップに、何度も挫けそうになったよ。いや、実際挫けたな。俺には才能がないんだって、映画監督になることを俺は諦めたんだ」
「そうですか……。でも、翔哉さんは現実には、今もこうして映画業界に身を置いてるわけですよね」
「まあ、映画監督になるのは諦めたけど、でも映画は相変わらず好きなままだったからな。就職するなら映画業界しかないと思ってた。それで、どうにか大学を卒業して、前いた配給会社に入ったんだ」
「確かその配給会社でも、劇場営業の仕事を主にされてたんですよね」
「ああ。今と同じであちこちの映画館に『上映してもらえませんか』って営業をかけてたよ。ところで、この仕事でまず大事なことって、なんだか真鍋には分かるか?」
「そうですね……。映画の魅力を分かりやすく伝える技術とかですか?」
「それももちろん必要だけど、でも俺が言いたいのは、その前の段階の話だよ。まず大事なのは顔と名前を覚えてもらうこと。ほら、初対面でいきなり『上映させてください』って言うことは少ないだろ?」
「確かにそうですね。じゃあそういう意味では、失礼かもしれないけど、木蓮さんは有利だったんじゃないですか?」
「ああ、その通りだよ。木蓮って名字はなかなかないから、初対面ですぐに父さんの息子だって気づかれてさ。名前もすぐに覚えてもらえたし、付随して顔もわりかし覚えてもらえた。そういう意味では、父さんの息子でよかったかもしれないって、この仕事に就いて初めて思えたんだ」
「それはよかったですね。実際、木蓮監督の名前は有名ですし、翔哉さんにもプラスの影響があって」
「ああ。俺も最初は嫌だったときもあったんだけど、それでも仕事のために使えるものは何でも使わないとって思うと、自然に受け入れられた。それに、出水さんに声をかけられたのも、そのことが大きかったんだと思う。父さんのネームバリューを見越してというか。でも、そのときの俺は、それが全然嫌じゃなかったんだ。父さんが木蓮桐梧であることは、俺が持ってる武器の一つだってことが分かってたから。実際、そのおかげで父さんに、『いつの日か青かったねと思い出す』を観てもらうことができたわけだしな」
「そうですね。木蓮さん、凄いと思います。私だったら有名な父親の存在に押しつぶされたり、腐ったりしてたかもしれないので」
「いやいや、何も凄くないよ。俺にだって、真鍋が言うような期間はあったわけだし。でも、今は父さんが木蓮桐梧だってことを、誇らしく思えてる。今の仕事にも生きてるわけだし、本当にありがたいなって。それにもし俺が木蓮桐梧の息子じゃなかったら、今頃この業界で働いてないかもしれないから。そうしたら真鍋たちとも出会わずに、こうして一緒に仕事をすることも一生なかったかもな」
「はい。私、も翔哉さんのお父さんが木蓮監督でよかったと思います。おかげで映画にもコメントを貰えそうで。それは観客への大きなフックになるでしょうし」
「そうだな。父さんが『良かった』って認めてくれたことで、俺としても『いつの日か青かったねと思い出す』によりいっそうの自信を持てたよ。作品は良いんだから、後は俺たちがどうやって伝えていくかだ」
「そうですね。これからより頑張らないとですね」
「ああ」そう頷いた木蓮さんは表情を緩めていたから、私も釣られて微笑むことができる。
木蓮さんの言う通りだ。木蓮監督のお墨付きをもらった『いつの日か青かったねと思い出す』がどれだけの人に観てもらえるかは、私たちの働きにかかっている。
そう思うと私の気持ちは引き締まったけれど、それでも私は微笑むことをやめてはいなかった。木蓮さんの話が聞けて、一緒に働く仲間としてさらに距離が縮まった実感があって、それが私には紛れもなく嬉しかった。
木蓮監督から木蓮さんのもとにメールで『いつの日か青かったねと思い出す』へのコメントが届いたのは、さらにその翌日のことだった。
そのコメントは一〇行以上にもわたっていて、オリジナリティのある言葉選びから、木蓮監督の熱が伝わってきた。映画を観終わった後に口にしていた「良かった」という言葉はお世辞やリップサービスではないことが、私には改めて分かって思わず表情が綻ぶ。
ホームページには全文を掲載し、予告編には特に訴求力のある個所を抽出する。それは出水さんの手によって行われて、その日のうちに予告編の制作会社に抜粋されたコメントが送られていた。これで予告編に用いる素材は全て揃った。
予告編の制作会社とのやり取りは主に出水さんが担当しているから、私は予告編がどんな内容になるのかを知らない。でも、その仕上がりを想像すると、私は期待を抱く一方だった。
それはカレンダーが一〇月に変わった、まさにその日のことだった。
その日も私は各SNSのチェックやネットニュースをはじめとした各メディアとのやりとりで、慌ただしい時間を送っていた。Youtubeの公式アカウントには昨日の日付で、「國武さんが人生で影響を受けた映画三本」の動画が投稿されている。再生回数はそこまで多いとは言えなかったが、それでも特報よりは速いペースで再生されていて、今までやってきたSNSへの投稿にも少しは意味があったのかなと思える。
画面を長時間眺めていて少し目が疲れてきたところで、私は一息入れようと席を立とうとする。そのときだった。私たちの共有SNSに、出水さんが投稿をしてきたのは。
そこには動画のファイルが投稿されていた。それが何の動画なのか、私には何の説明もなくてもはっきりと分かる。
そして、それは出水さんが立て続けに「予告編が完成したので、各自確認をお願いします」というメッセージで確信に変わった。とうとう完成したのかと、私はすぐに動画をクリックする。
そして、ワイヤレスイヤフォンを両耳に装着してから、再生を始めた。
予告編は、映画の中盤のシーンから始まっていた。まず見せ場を先に持ってきて、そこからこの映画の存在を知らない人にも分かりやすいように、端的に短い時間でストーリーを再構築している。
この予告編を作ったのは、シネコンで上映されるような映画の予告編も担当している制作会社だ。そんな大手の会社に頼めたのは、出水さんの伝手が大きい。
その予告編は効果的に、なおかつネタバレにならないようにストーリーを紹介していて、私はその担当者の手腕に感服する。
予告編は中盤になると主題歌が流れ始め、浦田さんや佐伯さんといったキャストの紹介とともに、印象的なシーンが次々と挿入されていた。その構成の仕方は定石とも言えたが、感情に訴えかけてくるようなシーンの数々は流れている主題歌も相まって、私に深い印象を残す。タイトルが表示されて、そして最後には木蓮監督のコメントを紹介して、フックになるように終わる。
それは、私がこの映画に心底惚れ込んでいることを抜きにしても、何度でも見返したくなるような出来だった。贔屓目抜きに今まで見てきた数多の予告編の中でも、上位に入る出来だ。
これが新宿武蔵野館をはじめとした上映館で流れることを想像すると、私の胸は今から躍ってくる。きっと目にした多くの人の心に残ったり、引っかかったりするに違いない。
宣伝をしていく中で重要な位置を占める予告編が素晴らしい出来になっていることが、私には思わず腕を振りたくなるほど嬉しかった。その感情のままに、「予告編とても良いです! 凄く感動しました!」というメッセージを私は共有SNSに送る。
すると、すぐに出水さんがサムズアップのスタンプを返してくれていて、私の頬はよりいっそう緩んでいた。
(続く)




