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【第34話】親子


 エンドロールも終わって劇場内が明るくなっても、私はすぐには立ち上がることができていなかった。感動のあまりすぐに席を立てないという現象は、いくら多くの映画を観ていてもそうそうあるものではない。


 それでも、まだロビーで今日の参加者を見送るという仕事があったから、私は一つ二つ息を吐いてから立ち上がる。


 ロビーに出ると、まだスクリーンにいる出水さんを除いて、四谷さんをはじめとしたepoch makingの社員が勢揃いしていた。私は立石さんにアイコンタクトを送る。すると、立石さんだけでなく四谷さんや木蓮さんも頷いてくれていて、三人ともエンドロールに自分たちの名前が載っているところを初号試写のときに観ていることが窺えた。


 三人の横に並んだ私は、四谷さんたちと一緒にスクリーンから出てきた参加者に一人ずつ、「今日はありがとうございました」といった挨拶をした。参加者の人たちの表情は清々しかったり、安堵していたりしている人が多くて、今回の試写会も少なからず成功したのかなと思える。


 中には私たちに二言三言感想を伝えてくる人もいて、それは『いつの日か青かったねと思い出す』がその人の心に前向きな印象を残せた証に他ならなかった。


 参加者が一人、また一人とスクリーンから帰っていく。それを見送りながら、私は次第に緊張していっていた。國武さんや長谷川さん、出水さんと話しているのか、その人はまだスクリーンから出てきていなかったからだ。


 それでも、私よりもよほど緊張している人がいることを、私は雰囲気から察しとる。木蓮さんは、口を結ぶ瞬間が多くなっていた。


 そして、その人は参加者の中でも最後にスクリーンから出てきた。口々に「ありがとうございます」と言った私たちに、木蓮監督は涼し気な表情で応えている。


 そして、息子である木蓮さんの前で立ち止まる。「父さん、今日は来てくれてありがとう」という木蓮さんの声は、どこか上ずっている。


 でも、それを聞いて木蓮監督の口元がわずかに緩んだように、私には見えた。


「ああ、翔哉。今日はお疲れ。映画、良かったぞ」


「本当に!?」そう訊き返していた木蓮さんに、私たちも同感だった。それでも、木蓮監督は何気ない表情で答える。


「ああ。すごく瑞々しくて、切実で。俺も映画を撮り始めた頃のことを思い出したよ」


「ありがとう。じゃあ、コメントも書いてくれる?」


「ああ、もちろんだ。翔哉、お前良い会社に移ったな。最初に配給するのが、こんなに良い映画だなんて。正直、会社を移るって聞いたときは俺には疑問だったけど、それでもお前のその選択は間違ってなかったって、今日思ったよ」


「……ありがとう、父さん」そう答える木蓮さんの声は、どこか潤んでいた。その響きに、私はただの親子関係以上のものを感じ取る。


「ああ。これからも頑張れよ。せっかく映画は良いんだから。観てもらえるかどうかはお前の、いやepoch making全員の頑張り次第だ」


「うん。俺、これからも頑張るよ」


「そうか。じゃあ、またな。今日は良い映画を観せてくれてありがとう」


 私たちが「ありがとうございました」ともう一度言うと、木蓮監督は一つ頷いて、出口へと向かっていった。それを見送ってから、私たちは思わず木蓮さんを見やる。


「良かったですね」と四谷さんに声をかけられた木蓮さんの頬には、少し光るものが見えていた。





 二回目の試写会が終わった次の日も、私は変わらずにオフィスに出勤していた。


 初号試写のときほどではないにせよ、昨日も後片付けが終わって解散したのは夜の一一時頃だったから、私にも少し疲れは否めない。だけれど、ただでさえ映画の公開が近づいているなかで、休んでいるわけにはいかず、私はこの日もパソコンの前に座って業務を始める。


 メールを確認すると、昨日の夜中に國武さんから動画ファイル付きのメールが送られてきていた。それは國武さんや浦田さん、佐伯さんの人生に影響を与えた映画を三本紹介するというもので、見てみると既に編集がなされていて、今すぐにでも投稿ができそうな出来栄えだ。


 私は頬を緩める。Youtubeに投稿できる動画が増えたことが、素直に嬉しかった。


 それからも私は試写会に参加してくれた御礼のメールを送ったり、エックスやインスタグラムに昨日の試写会の様子を投稿したりといった業務をこなした。


 すると時間はあっという間に過ぎて、気がつけば午後の五時半を回っていた。今日も何事もなければ、あと三〇分ほどで帰ることができるだろう。もうひと踏ん張りだと、私は自分に言い聞かせる。


 そうしていると、オフィスのドアが開いた。入ってきた人物に、私は軽く驚いてしまう。


「おう、真鍋。お疲れ」


「はい。翔哉さんこそお疲れ様です。でも、どうしたんですか? 今日は劇場営業をして、直帰する予定でしたよね?」


「いや、そのはずだったんだけど、ちょっと用事を思い出しちゃってさ」


「そうですか。わざわざお疲れ様です」


「ああ」と頷くと、木蓮さんは自分の席についていた。引き出しや机の上に置かれた書類の中から、何かを探し出そうとしている。


 でも、わりかしすぐに「ああ、あった」という声が聞こえてきた。何らかの書類をクリアファイルに入れてバッグの中にしまうと、木蓮さんは「じゃあ、俺もう帰るから」と言ってくる。


 それに、私は「お疲れ様です」とは返さなかった。


「あの、翔哉さん。まだちょっとお時間大丈夫ですか?」


「ああ、大丈夫だけど、お前はいいのかよ。まだ一応勤務時間中だろ」


「それなら大丈夫です。もう大体今日の仕事は終わったので。そうでなくても、あと一〇分もしたら私も終業時間を迎えますし」


「そっか。ならいっか」木蓮さんが納得したように言っていたから、私も自然と話す気になる。出水さんたちは今は出払っていたり、もともと休みだったりして、オフィスには今私たち二人しかいなかった。


「あの、今日は大阪の方に劇場営業に行ってたんですよね。昨日も遅かったのに、お疲れ様です」


「いや、それを言ったら真鍋も今日もこうして働いてるわけじゃんか。お互い様だよ」


「そうですね。それで、翔哉さんは今日はシアターセブンやシネ・ヌーヴォといった、大阪のミニシアターに行ってたんですよね。どうでしたか? 手応えのほどは」


「そうだな。わざわざ東京から来たから、どこも最初は歓迎してくれてたよ。今じゃこういうのもオンラインで済ませられるから、実際に足を運ぶことには、それだけで価値があるよな」


「そうですね。だとしたら、劇場営業の方もうまくいったんじゃないですか?」


「まあな。改めて映画の概要を紹介したら、どこも興味を持ってくれてた。特にシネ・ヌーヴォはかなり乗り気でさ。実際に映画を見てもらえるところまで、今日で話は進んだし、上映してくれる可能性もわりかしあると思う」


「そうですか。上映館がまた一つ増えそうで私も嬉しいです」


「いや、まだ決まったわけじゃねぇからな。もし決まったとしても、いつからの上映になるかは、向こうのスケジュール次第なんだし」


 木蓮さんは釘を刺すように言っていたが、それでも私が感じた嬉しさは少しも減らなかった。大阪の人にも『いつの日か青かったねと思い出す』を観てもらえるかもしれない。それは私だけでなく、映画に関わった全ての人にとって喜ばしいことだ。


「そうですね」という相槌も、心なしか弾む。木蓮さんの表情にもうっすらとだが手ごたえが滲み出ていて、オフィスの空気は爽やかささえ含んでいた。


 私は木蓮さんとの話をまだやめたくないと感じる。だから、手近な話題を探して、見つけたそれを私は口にしていた。


「そういえば、昨日の試写会もうまくいってよかったですね」


「ああ。来てくれた人たちの反応も上々だったしな。スクリーンを後にするときの表情からも、多くの人が『いつの日か青かったねと思い出す』を良いと思ってるのが伝わってきた。やっぱり作品が良いからなのかな」


「それは間違いなくそうですよ。それと私が嬉しかったのは、木蓮監督の感想が聞けたことですね。映画を肯定的に評価してくれて。この作品を提案して買い付けられてよかったって思いました」


 そう言った私に、木蓮さんはすぐに返事をしなかった。それはわずかな間だったけれど、失言したと私が思うには十分だった。


 以前木蓮監督のことを訊いたときには、木蓮さんは話をはぐらかしていた。やはり木蓮監督が父親であることはあまり触れてほしくないのかもしれない。


「あっ、すいませんでした。木蓮監督の名前を出してしまって。翔哉さん、嫌でしたよね……?」


「いや、いいよ。実際、俺たちの誰にとっても昨日の最大の関心事は、俺の父さんがどう思うかだったんだろうし。『良かった』って言われて、俺もめちゃくちゃホッとしたし嬉しかったから。予告編やホームページに掲載するコメントも、期待できそうだよな」


「はい。それはそうですけど、でも翔哉さん、木蓮監督のことはあまり訊かれたくないんじゃないですか……?」


「どうしてそう思うんだよ」


「いえ、顔合わせのときも『下の名前で呼んでほしい』って言ってましたし、以前に私が木蓮監督のことについて訊いたときも、それとなく話をはぐらかされてしまったので」


「まあ、そっか。確かに自分から進んで話したいことではあまりないかもな」


 木蓮さんは、軽く視線を上方に向けていた。その先には何もないはずなのに。木蓮監督とのことを思い出しているのだろうか。


 私がそう想像していると、私に視線を戻した木蓮さんは軽く息を吐いてから、切り出した。


「あのさ、真鍋には言ってなかったけど俺、昔映画監督目指してた時期があったんだよ」


「えっ、そうなんですか?」と相槌を打ちつつ、私はそこまで意外には感じていなかった。それは木蓮さんから発せられる雰囲気によるものとしか言えなかったけれど。



(続く)

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