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【第16話】懸念事項


 映画は予告編の時間も含めて、二時間足らずで終わった。エンドロールが終わって劇場内に再び電気がつくと、私はふうと一つ息を吐く。映画が始まる前には買い付けのことや四谷さんの存在が気になっていたし、それは映画が始まってからも、しばらくはそうだった。


 でも、いつの間にか目の前で上映されている映画に意識は集中していて、他のことは考えられなくなっていた。それは映画自体が良かったこともあるけれど、映画館の暗闇で映画を観ることの特別さを再認識したようでもある。いくら同じ空間に他者がいたとしても、上映されている間は私は映画と一対一で向かい合うことができていた。


 束の間映画の余韻に浸ってから、私は席を立とうとする。でも、私よりも通路側の席にはどちらも人がいて、しかも二人ともなかなか立ち上がろうとしていなかった。「すいません」と声をかけて前を通るのも気が引けて、私は少し待つ形になる。


 すると、そのタイミングで私は「あれ、真鍋さん」と名前を呼ばれた。声がした方を向くと、立ち上がった四谷さんが初めて私の存在に気づいたような、意外そうな表情をしていた。





「いや、本当に奇遇ですよね。都内にあるいくつもの映画館からBunkamuraを選んで、同じ日に同じ作品を同じ回で観るなんて。真鍋さんもBunkamuraには、よく行くんですか?」


 映画を観た後、私たちはBunkamuraル・シネマから歩いて数分のところにあるコーヒーチェーンにやってきていた。天井が高い店内には開放感があり、窓の外を覗けば渋谷の、いや東京の代名詞であるスクランブル交差点を眺めることができる。


 そんな中で私たちはそれぞれアイスコーヒーとカフェオレを頼んで、店内の中ほどのテーブルに腰を下ろしていた。話したり作業をしたり。広い店内は、色々な人が色々な過ごし方をしている。


「いえ、まったく行かないわけじゃないんですけど、でも年に三回か四回行くくらいですかね。私はどちらかというと邦画の方が好きなので、同じ渋谷でもユーロスペースやシネクイントの方によく行ってます」


「好きな映画が『愛がなんだ』ですもんね」


「は、はい。でも、すいません。なんか浅くて」


「いえいえ、僕も『愛がなんだ』は観たことがありますし、面白いと思いましたよ。その人が好きな映画に、深いとか浅いとかないですよ」


「は、はい」と相槌を打ちながら、私は少し緊張してもいた。顔合わせのときに四谷さんは、出水さんと同じ大学の映画研究会に所属していたと言っていた。どちらが先輩で後輩なのか、もしくは同学年かは分からないが、私から見ればずっと年上であることは間違いない。


 そんな四谷さんと初めて二人きりになって、緊張するなという方が無理な話だ。たとえ、四谷さんがどれだけフレンドリーな雰囲気を発していたとしても。


「でも、年に三回か四回しか行かないとなると、余計に今日同じ回で映画を観たのが、奇遇に感じられますね」


「は、はい。四谷さんはBunkamuraにはよく行かれるんですか?」


「ええ、僕は家も恵比寿の辺りで近いですし、月に何回かは行っています。僕はどちらかというと、洋画の方が好きなので」


「確かに四谷さん、顔合わせのときも好きな映画はチャップリンの『ライムライト』だって言ってましたもんね」


「ええ、あのユーモアとペーソスが合わさった感じがたまらなく好きです。チャップリンの中でも、最高傑作だと思います。真鍋さんはチャップリンはご覧になるんですか?」


「いえ、正直私はあまり……。でも、この仕事をしてるからには、そういった名作映画も押さえておいた方がいいですかね……?」


「いえ、そこまで無理して観る必要はないと思いますよ。もちろん観ておいたのなら、他の方とその話で盛り上がることもあるかもしれないですし、僕としても名作揃いですからぜひ観てほしいんですけど、でも押しつけられて観る映画ほどつまらないものはないですからね。真鍋さんの気が向いたらでいいと思います」


「そうですね。ありがとうございます」と返事をしながら、私は『ライムライト』をはじめとしたチャップリン映画を観てみようという思いに傾いていく。というか、映画の配給や宣伝の仕事をしているのに、チャップリンをまったく知らないことは気後れがした。


 もしかしたらどこかのプラットフォームで配信しているかもしれないし、そうでなくともネット通販で検索すればDVD等はいくらでも出てくるだろう。帰ったらスマートフォンで調べてみようと、率直に思った。


 それからも私たちは、途切れることなく会話を続けた。話題は今しがた観た中国映画のことが中心となり、監督の過去作を見られるものは全て見てきた四谷さんは、今までのキャリアの積み重ねを感じて面白かったと言っていた。


 実際、それは私もそうで今日観た映画には監督の過去作のシーンが引用ではなく、そのまま使われていたりもしていた。あのシーンはあの作品から持ってきたものですよねという話で、私たちの会話はささやかな盛り上がりを見せる。そうでなくても、主役の男女二人のすれ違いを切なく、感情移入して観ていた私だ。四谷さんとそのことについて話すことも、本来なら何の支障もない。


 それでも、私の頭は四谷さんと話しながら、別のことも考えていた。どうやったら「いつの日か青かったねと思い出す」を買い付けられるのか。


 映画を観ている間はつい夢中になっていたのだが、いざ現実に引き戻されると、現状での最大の懸念事項が蘇ってきてしまう。出水さんと長谷川さんがどんなやり取りをしているのかを考えると、気が気でなくなってくるようだ。


 だから、私は半ば心ここにあらずといった状態で四谷さんと話してしまっていて、それは四谷さんにもふとした瞬間に「真鍋さん、どうかしましたか?」と訊かれてしまうほどだった。


「どうかしましたかって、どういうことですか?」


「いえ、何か別のことを考えているようにも見えたので。もしかして、僕とあまり話したくない感じですか? 早く家に帰りたい感じですか?」


「いえ、そういうわけじゃないんです。ただちょっと気になることがありまして」


「気になることというと、やはり『いつの日か青かったねと思い出す』の買い付けのことでしょうか?」


 四谷さんは私の本心をズバリ言い当ててきていて、私は一瞬狼狽えそうになってしまう。真っ先にそれを挙げたからには、やはり四谷さんも気にしているのだろうか。


 いや、私たちの記念すべき配給一作目となるかもしれない作品だ。直接長谷川さんと交渉はしていなくても、気にするのは当然のことだろう。


「そ、それは、はい。そうですね……。『いつの日か青かったねと思い出す』には、他の配給会社も買い付けに動いていて、どうやらそちらの方が良い条件を提示しているみたいなんです」


「そうですか。でも、契約額等の交渉は出水がやってくれていますし、真鍋さんはできることはしたんじゃないでしょうか。『いつの日か青かったねと思い出す』を提案したのも真鍋さんですし、それだけで大きな意味があったことだと、僕は思いますよ」


「は、はい。それは、あの、そうなんですけど……」


「まあそうは言っても、やっぱり気になってしまいますよね。実際、僕も最近はそのことばかり考えていますし、提案した真鍋さんが心配に思うのも当然ですよ」


「は、はい」


「まあ、今は僕たちにできることはほとんどないんですし、出水を信じましょうよ。きっと出水なら長谷川さんともうまく折り合いをつけて、買い付けに漕ぎつけてくれるはずです」


 四谷さんが言うことはもっともで、私としても「そうですね」と頷くしかない。今は出水さんの交渉力を信じるしかないのだ。


 それでも、私の頭はネガティブな予測がかすめてしまう。


 もし、長谷川さんがその他社からのオファーに応えたとしたら?


 もちろん、出水さんを疑っているわけではない。でも、全幅の信頼をおけるだけの根拠は、正直なところ私には乏しかった。心が不安に侵食されていく。


 どうにか少しでも安心を得たくて、私は気がつくと「あの、四谷さん」と呼びかけていた。


「何でしょうか?」


「会議のときに決選投票で、『いつの日か青かったねと思い出す』を選んでくださいましたよね。あれはどういった理由だったんですか?」


 縋るような私の疑問にも、四谷さんはふっと表情を緩めてみせていた。まるで「よくぞ訊いてくれました」と言わんばかりに。



(続く)

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