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【第14話】競合他社


 エンドロールが流れて映画が終わったとき、会議室に流れた一息つくような空気は、映画館でのそれと少しも変わっていなかった。もう一度観ても『いつの日か青かったねと思い出す』がもたらした感動は少しも減っていなくて、私は束の間満足感に浸る。


 でも、次の瞬間には、私たちは社員全員で作品を観ているという事実が、私にはすぐに思い出される。出水さんたちの表情はどうしても気になってしまい、私は視線をそれとなくあちこちに向ける。


 再生が終わった直後は、実際の映画館のようにすぐに誰かが口を開くことはなくて、表情から抱いている印象も室内が薄暗かったから、私にはいまいち読み取れない。


 出水さんが立ち上がって、部屋の入り口にあるスイッチに向かう。室内が明るくなると、四人の表情がはっきりと見える。誰も戸惑ったり不満を抱いている様子はないように、私には見えていた。


「真鍋さん、改めてですが作品観させていただきました」


 自分の席に戻った出水さんが、静まり返った空気を変えるように、率先して口を開く。返事をしながら私は、はっきりとした緊張を抱いた。


 もちろんこの映画は私が作ったわけではないが、でも提案したのは自分だ。だから、私の中で『いつの日か青かったねと思い出す』はさらに自分事になりつつあった。


「この作品は、長野県は上田市で開催された映画祭でご覧になったんですよね? 私はそのときちょうど席を外していて観られなかったのですが、それでも真鍋さんがこの作品を選んだ理由は、分かる気がしました」


「は、はい。それはどういった風にでしょうか?」


「この映画には青春と呼ばれる年代の良い面だけでなく、良くない面。具体的に言えば、他の人と自分を比べてしまって傷ついたり、狭い世界の中で自分の居場所なんてどこにもないと感じたり。そういった面が映っているように、私にも感じられました。学生時代を振り返ってみれば、私にもそういった時はあったので、フィクションなのに他人事とは思えませんでしたね」


「そうですか。それはありがとうございます」


「私も、出水さんと同じようなことを感じました。今振り返ってみれば良い思い出の方が多く残ってるんですけど、私も学生だった頃は大変なことの方が多かったなって、この作品を観て改めて気づかされました。今その真っ只中にいる方や、そういう時もまだ比較的最近の方にとっては、より深く響きそうだと感じられました」


「僕も良い作品だと思います。話や演出もそうなんですけど、特に主役を演じた女優さん二人の印象が強く残っているといいますか。触れたら壊れてしまいそうな脆さがありながらも、確かな輝きを放っていた。この二人のその時にしか撮れない姿が、この作品には映っていると感じました」


「出水さんたちと同様に、俺もこの作品は初めて観たんですけど、それでも素直に好きだなと思えました。お互いがお互いの存在に励まされて助けられているという構図が良いですね。もしかしたら、自分も知らないところで人に助けられているし、気がつかないうちに自分も誰かの助けになっているかもしれない。そんなことを感じられる作品でした。営業で各地の劇場にお伺いするときも、自信を持って提案することができそうです」


 四人が口々に言う感想に、私は既に感慨を覚えてしまう。四人の口調にはお世辞めいた感じはなくて、全員が気に入ってくれたことに、ひとまず安堵する思いだ。


 もちろんあまり良さが分からない作品でも、仕事として配給や宣伝はしなければならない。でも、心から良いと思っている作品とそうではない作品とでは、同じ仕事をしていたとしても、自然と熱量には差が出てしまうだろう。


 だから、全員が『いつの日か青かったねと思い出す』を気に入ってくれたとなると、配給や宣伝も積極的に行えそうだ。


 当然、まだ『いつの日か青かったねと思い出す』の買い付けが決まったわけではない。まだ契約書さえ完成していない。


 それでも、私はいくらか前向きな見通しも立てられていた。私たちの想いは、きっと長谷川さんや國武さんにも伝わる。そう何の根拠もなく信じられた。





 出水さんが『いつの日か青かったねと思い出す』の買い付けに関する契約書を完成させたのは、私たちが作品を今一度確認した次の日のことだった。私たちも、社内メールで送られたそれに目を通す。


 私の提案も聞きながら出水さんが作成した条件は、劇場配給権やソフト化権、サブスクでの配信権等、作品に関する全ての権利を盛り込んだ「オールライツ」と呼ばれるものだった。契約金は私が提案した通り一五〇万円で、さらに配給収入の三〇パーセントを國武さんや長谷川さんといった制作者に還元する仕組みとなっている。


 その他にも詳細な契約事項が七ページにもわたって綴られていて、私はその全てに何度も目を通す。そして、記載事項の全てを理解してから、私は契約書を長谷川さんに同じくメールで送った。


 私たちはできることをやった。後は向こうの返答次第だ。メールが送信された瞬間、私は束の間開放感に包まれる。良い返事しか想像できなかった。


 長谷川さんから返信があったのはその日の夜中で、私はそのメールを朝出社したときに確認した。「契約書の送付ありがとうございました。内容を確認させていただきました」から始まるメールを、私は息を呑みながら読んでいく。


 しかし、その後に続いていたのは「しばらく検討する時間をいただけないでしょうか」という文章だった。その文言に、私は虚を突かれる。


 上田で話をしたときも國武さんはもちろん、長谷川さんも慎重ながらも、興味があるような態度は見せていた。だから、私は「契約させていただきます」という返事しか考えていなかったのだ。


 でも、少し冷静になってみれば、そんなその日中に下せるような決断ではないとも私には思える。長谷川さんたちにとっても少し考える時間がほしいのは、妥当なことだろう。私はそう納得しかける。


 だけれど、長谷川さんのメールはそこで終わらなかった。その後に続いていた文章に、私の呼吸は一瞬止まる。長谷川さんは正直に「実は、他の配給会社からも話をいただいている」と書いていたのだ。


 そりゃ『いつの日か青かったねと思い出す』は良い作品だし、他の配給会社が手を挙げることも頷ける。それでも、私は一瞬にして窮地に追い込まれた感覚がした。


 配給会社の名前やどんな条件を提示しているのかは、私には分からない。でも、ライバルの存在を意識すると、私の自信は少しずつ崩れ始める。私たちepoch makingにはまだ何の実績もなくて、それはその会社よりも明らかに不利だ。


 最後までメールを読んだ私は少し息を落ち着けてから、メールを出水さんのもとに転送した。そして、ちょうど自分の席に座っている出水さんのもとへと向かう。何も知らない顔をした出水さんに「どうしたの?」と声をかけられ、私は一瞬言葉に詰まった。


「……あ、あの長谷川さんから返信が届いたんですけど、ちょうど今転送したので見ていただけますか?」


 私がそう答えると、出水さんはパソコンに目を向けた。マウスを動かす手や画面を見つめる目の動きから、長谷川さんからのメールを読んでいることが分かって、その間私は地に足がつかないような思いを味わってしまう。


「なるほどね」と一言呟いた出水さんは、それでも冷静な表情をしていたけれど、私はうろたえたままだった。


「他にも『いつの日か青かったねと思い出す』を配給したいっていう会社が現れたか。まあ、十分に想定はできたことだけどね」


「は、はい。出水さん、私どうしたらいいでしょうか……? 長谷川さんにもう一度連絡して、その会社はどんな条件を提示しているのか訊くべきでしょうか?」


「うん。理歩ちゃんがそれを知りたい気持ちはよく分かるけど、それはあまりフェアじゃないかな。こういうのはお互いタッチしないことが、暗黙の了解で決められてるから。もちろん、長谷川さんの方からもっとこういう条件にしてほしいって連絡があった場合は別だけど、でも理歩ちゃんの方から探るような真似はするべきじゃないよ」


「で、では、どうしたら……?」


「まあ、長谷川さんからもう一度連絡が来るのを待つしか、今はないね。これはビジネスでもあるんだから、長谷川さんも少しでも高い値段で売りたいだろうし。そんなすぐに断られることは、そうそうないと思うよ」


 出水さんの言うことは、私にも理解はできたけれど、それでも根拠に欠けると思ってしまう。長谷川さんからさっそく明日メールが来て、「申し訳ありません」と伝えられる可能性だってゼロではないのだ。


 そう思うと私はより不安に駆られたが、でも出水さんの言う通り、今の私にできることはほとんどない。


 私は苦虫を嚙み潰すような思いを堪えながら、「そうですね」と答えるしかなかった。「きっと大丈夫だよ」という言葉は、今の私には何の慰めにもならない。


 出水さんもそのことが分かっているのか、「また何か連絡があったら、すぐに私に報告してね」とだけ言う。私も「分かりました」とだけ答えて、自分の席に戻る。


 気持ちを静めるために、私はここに来るまでに買っておいた缶コーヒーを口にする。だけれど、私の心はそんなにすぐには落ち着かず、『いつの日か青かったねと思い出す』を買い付けられないかもしれないという懸念は、それなりに尾を引きそうだった。



(続く)

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