32.やっぱり、こういうところが好きなのよね
放課後、私は図書室で紅魔病について調べていた。
机の上には、魔力の循環や病気に関する本が何冊か積まれている。
霧の森で知った、地脈が余分な魔力を外へ放出する仕組み。
あれを紅魔病の治療に応用できないだろうか。
紅魔病は、体内の魔力が暴走し、正常に循環できなくなる病気だ。
通常は魔術師が外から干渉し、乱れた魔力を調和させる。けれど、魔力を体外へ逃がすことができれば、別の方法で暴走を抑えられるかもしれない。
もっとも、地脈と人間の身体では事情が違う。
魔力を外へ出せば解決するというほど、簡単な話ではないだろう。
「……やっぱり、見つからないわね」
読み終えた本を閉じる。
今のところ、それらしい治療法は見つかっていない。
やはり、魔術師団の資料を待った方がいいだろうか。
「カルディナート嬢」
声をかけられて顔を上げると、ローレンス殿下が立っていた。
「殿下」
「紅魔病について調べているのか?」
「はい。先日の霧の森で、少し気になることがありましたので」
「そうか。ちょうどよかった」
殿下は手にしていた書類を机に置いた。
「魔術師団の治療記録だ。閲覧の許可が下りたものを、いくつか用意してもらった」
「もうご用意くださったのですか?」
「ああ」
「ありがとうございます!」
思わず声が弾んだ。
図書室の本だけでは限界があると思っていたところだ。実際の治療記録が読めるのはありがたい。
「さっそく拝見してもよろしいでしょうか?」
「もちろんだ」
殿下は微笑み、私の隣の椅子を引いた。
「僕も一緒に確認しよう」
「はい。お願いいたします」
書類には、紅魔病を発症した患者の症状や治療の経過などが記されていた。
個人が特定できるような情報は伏せられているものの、学園の本よりも詳しい。
「……なるほど」
いくつかの記録を読み比べる。
同じ紅魔病でも、症状の進み方には違いがあるらしい。治療にかかった時間も一様ではなかった。
「何かわかったか?」
「はい。こちらの記録では、治療を始めてから魔力が安定するまでに、かなり時間がかかっていますね」
「ああ。魔力の暴走が激しい場合は、調和させるのも難しいのだろう」
「そうですね……」
私は別の記録に目を通した。
やはり、治療の中心となっているのは魔力の調和だ。
「殿下。紅魔病の治療で、患者の魔力を体外へ放出させる方法はないのでしょうか?」
「魔力を放出させる?」
「はい。霧の森の地脈のように、余分な魔力を外へ逃がすことができればと思ったのですが」
殿下は少し考え込んだ。
「少なくとも、僕は聞いたことがないな。魔力を外へ放出すること自体はできても、紅魔病の患者に使えるかは別だろう」
「そうですよね」
「だが、調べてみる価値はあるかもしれない。魔術師団にも確認しておこう」
「よろしいのですか?」
「ああ。こういうことなら、遠慮なく僕を頼ればいい」
殿下が穏やかに微笑む。
「君の役に立てるのなら、僕も嬉しいからな」
「ありがとうございます」
その言葉には、素直に感謝した。
殿下は王太子として魔術師団ともつながりがあるし、魔術についての知識も豊富だ。
今回のような調べものでは、本当に頼りになる。
「それにしても、君は相変わらず熱心だな」
「気になってしまったものですから」
「そうか」
殿下は少し笑った。
「こうして君と話すのも、久しぶりな気がする」
「……そうですね」
「以前は、もっとよく話していたのだが」
私は返事に迷った。
確かに、以前は私の方から殿下へ積極的に話しかけていた。
けれど、今は事情が違う。
そのことは、すでにはっきり伝えてあるはずだ。
「また何かあれば相談してくれ。できる限り力になろう」
「ありがとうございます。そのときは、よろしくお願いいたします」
殿下は満足そうに頷いた。
……まあ、調べものについては、今後もお世話になるかもしれないしね。
私は再び資料へ目を落とした。
しばらく読み進めたところで、ふとグレンのことを思い出す。
そういえば、霧の森で思いついたことを、まだ話していなかった。
「グレンにも、一度聞いてみたいですね」
「……ベルマーに?」
殿下が顔を上げた。
「はい。グレンは二度目の紅魔病から生還していますから。あのときの魔力の状態について、改めて聞いてみたいと思いまして」
「……そうか」
殿下は短く答えた。
「彼には、もう話したのか?」
「いいえ。これからです」
「いつ?」
「できれば、今日にでも」
殿下の眉がわずかに動いた。
「……今日か」
「はい。ちょうど確認したいこともありますので」
殿下は黙ったまま、手元の書類へ視線を落とした。
そして、小さく呟く。
「……ベルマーの話の方が気になる、ということか」
……え?
私は思わず殿下を見た。
「殿下?」
「いや」
殿下は顔を上げた。
「何でもない」
そう言われても、聞こえてしまったものは仕方がない。
どうして、そこでグレンと比較する話になるのだろう。
「殿下にご用意いただいた資料も、とても参考になりました。ありがとうございます」
「ああ」
「グレンには、実際に発症したときのことを聞いてみたいと思っています」
「……そうか」
殿下は頷いた。
けれど、先ほどまでの機嫌のよさはなくなっていた。
……また、グレンのことなのね。
以前、私が誰を信頼するかは自分で決めると伝えた。
殿下も、あのときのことを忘れてはいないだろう。
それでも、納得できないものは納得できないらしい。
困ったものだ。
「では、こちらの資料も確認しておこう」
殿下は何事もなかったかのように、次の書類を手に取った。
「はい」
私もそれ以上は何も言わず、調べものを続けた。
結局、資料をひととおり確認し終えたところで、私は席を立った。
「殿下、本日はありがとうございました」
「ああ。資料はしばらく預けておこう」
「ありがとうございます」
「……カルディナート嬢」
「はい?」
殿下は一度口を開きかけ、少し間を置いた。
「また、何かあれば言ってくれ」
「はい。そのときはお願いいたします」
私は一礼し、図書室をあとにした。
廊下へ出ると、少し先に見覚えのある姿があった。
「グレン!」
呼びかけると、グレンが振り返る。
「ノエリアさま」
私に気づいたグレンが、嬉しそうに笑った。
「今、お帰りですか?」
「ええ。図書室で調べものをしていたの」
「そうだったんですね」
「グレンは?」
「僕も、ちょうど用事が終わったところです」
そう言ってから、グレンは私が抱えている資料に目を向けた。
「何を調べていらしたんですか?」
「紅魔病についてよ」
「……紅魔病、ですか?」
「ええ。実は、霧の森で少し気になることがあって」
私は、フィールドワークで知った地脈の仕組みについて説明した。
地中で循環させきれない魔力を外へ放出していること。
それによって、地脈の均衡が保たれていること。
そして、紅魔病にも応用できないかと考えたこと。
「もし、暴走した魔力を外へ逃がすことができれば、治療に役立つかもしれないと思ったの」
グレンは真剣な顔で聞いていた。
「……魔力を、外へ」
「ええ。ただ、今のところ、そういう治療法は見つかっていないのよね」
「そうなんですね」
グレンは少し考え込んだ。
「ノエリアさま」
「何?」
「もし、その方法が実現したら……魔術師に頼らなくても、紅魔病を治療できるようになるのでしょうか」
「どうかしら。まだ何とも言えないけれど……」
「そうですよね」
グレンは頷いた。
けれど、すぐに続ける。
「でも、もしできるようになったら、今まで治療を受けられなかった人も助かるかもしれませんね」
「……あ」
私は思わず声を漏らした。
そうか。
紅魔病は、強い魔力を持つ者だけが発症する病気だ。
けれど、強い魔力を持っているからといって、誰もが魔術師の治療を受けられるわけではない。
グレンも、母親と暮らしていた頃に紅魔病を発症した。
けれど、庶民だった母親には治療を受けさせることができず、父親である子爵を頼るしかなかった。
その結果、グレンは母親と離れ、子爵家で暮らすことになったのだ。
もし、魔術師に頼らず治療できる方法があれば。
「……そうね。それができれば、助かる人が増えるわ」
「はい」
グレンが頷く。
「もちろん、簡単なことではないと思います。でも……調べてみたいです」
「ええ。私もよ」
私は抱えていた資料へ目を落とした。
「まずは、魔力を体外へ放出する方法について、もう少し調べた方がよさそうね」
「それなら、僕も調べてみます」
「本当?」
「はい。僕自身も、紅魔病について詳しく知りたいので」
グレンはそう言って笑った。
私は嬉しくなる。
一人で調べていたときには、どうしても治療の仕組みばかり考えていた。
けれど、グレンと話したことで、別の可能性が見えてきた。
「あ、そうだわ。リーヴのことも聞きたかったの」
「リーヴがどうかしたんですか?」
「霧の森で、何度も森の方へ手を伸ばしていたらしいのよ」
「森へ?」
「ええ。何かを感じ取っていたのかもしれないけれど、詳しいことはわからなくて」
私は護衛から聞いた話を伝えた。
リーヴは落ち着いていたものの、何度も霧の森を見つめ、手を伸ばしていたらしい。
「以前、風の丘でも魔力の乱れに反応したでしょう? でも、今回は特に大きな乱れもなかったのよね」
「……そうだったんですか」
「霧に含まれる魔力に反応した可能性はあると、先生はおっしゃっていたけれど」
グレンは少し考えたあと、口を開いた。
「リーヴは、僕が紅魔病になったときも助けてくれましたよね」
「ええ」
「あのときのことも、何かわかるかもしれませんね」
「そうね。私も気になっているの」
リーヴがグレンの魔力を鎮めた仕組みは、今もよくわかっていない。
霧の森での反応と関係があるのかどうかも不明だ。
調べることは、まだまだありそうだ。
「そうなると、霧の森の地脈についても、もう少し詳しく調べたいわね」
「はい」
「それから、紅魔病の治療記録も読み直したいし……」
頭の中で、調べたいことを順番に並べていく。
ああ、こうなると止まらない。
気になることが一つ見つかると、そこから次々に疑問が出てくるのよね。
「ノエリアさま」
「何?」
「今日は、ずっと図書室で調べていらしたんですよね?」
「ええ。放課後からだから、それほど長くはないけれど」
「それなら、続きは明日にしませんか?」
「でも、もう少し調べたいことが……」
「僕も調べておきますから。明日、一緒に確認しましょう」
穏やかに笑うグレンを見て、私は瞬きをした。
「……そうね」
確かに、今日中にすべて調べる必要はない。
それに、グレンも調べてくれるのなら、明日はもっと話を進められるだろう。
「じゃあ、お願いしてもいいかしら」
「はい」
「ありがとう、グレン」
「僕も知りたいことですから」
グレンは嬉しそうに答えた。
「明日の放課後は空いていますか?」
「ええ。大丈夫よ」
「では、図書室でお会いしましょう」
「そうしましょう」
約束をしてから、私はグレンと並んで歩き出した。
……何だか、久しぶりね。
以前は、シュプラウトの育成について、こうして二人であれこれ話し合っていた。
私が何かを思いつくと、グレンは一緒に考えてくれる。
そして、私が気づかなかったことを教えてくれることもある。
今回だってそうだ。
紅魔病の治療法を調べようと思ったのは私だけれど、魔術師に頼れない人たちのことを考えたのはグレンだった。
しかも、調べることが増えたとわかると、自分も一緒にやろうと言ってくれる。
……本当に、ありがたいわね。
「ノエリアさま?」
「え?」
「どうかなさいましたか?」
「いいえ。何でもないわ」
そう答えると、グレンは少し不思議そうな顔をした。
私は思わず笑ってしまう。
「ただ、明日が楽しみだと思って」
「……僕もです」
グレンが笑った。
その顔を見ていると、私まで嬉しくなる。
やっぱり、グレンといると安心する。
何かあっても、一緒に考えてくれる。
私もグレンの力になりたいし、グレンも私の力になろうとしてくれる。
こうして二人で、少しずつ進んでいけたら。
……やっぱり、こういうところが好きなのよね。
そこまで考えて、私は足を止めかけた。
……あれ?
今、私……。
「ノエリアさま?」
グレンがこちらを覗き込む。
「お疲れですか?」
「……い、いいえ!」
思わず声が大きくなってしまった。
グレンが驚いたように目を瞬かせる。
「そうですか?」
「ええ。大丈夫よ」
私は慌てて笑った。
……ちょっと待って。
今の「好き」って、どういう意味?
もちろん、グレンのことは大切だ。
公爵邸へ戻ってきてほしいと思っているし、こうして一緒にいられるのも嬉しい。
でも。
私は隣を歩くグレンを、そっと見上げた。
目が合うと、グレンが微笑む。
……ああ、もう。
どうして、そんな顔で笑うのよ。
私は慌てて前を向いた。
……もしかして、私。
思っていた以上に、グレンのことが好きなのかもしれない。





