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【9/7書籍発売】ワンオペ母が悪役令嬢になったら、攻略対象が地雷にしか見えない件  作者: 葵 すみれ
第二章 杖作成

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29.もう、お互いに避けるのはやめましょう

「私が、あなたに戻ってきてほしいの」


 言ってしまってから、自分でも驚くほど緊張した。

 グレンは目を見開いたまま、何も言わない。

 腕の中のリーヴだけが、そんなことにはお構いなしにグレンへ手を伸ばしていた。

 やがて、グレンが小さく息を吐く。


「……ありがとうございます」


 それだけ言って、少し困ったように笑った。


「嬉しいです。本当に」


「そう」


 返事をしながら、ほっとしている自分に気づく。


 私は、グレンがどうしたいのかを聞いた。

 グレンは戻りたいと言った。

 けれど、今は戻れないとも。


「すぐには戻れないという話は、わかったわ」


「……はい」


「でも、それと学園で距離を置くことは別でしょう?」


 グレンが瞬きをした。


「公爵邸に戻れない事情があるのはわかる。でも、だからといって、学園でまでお互いに避ける必要はないと思うの」


「それは……」


 グレンが言葉に詰まる。

 私だって、グレンと距離を置いていた。

 彼のためにはその方がいいと、自分で決めて。

 けれど、それがグレンの望んだことではなかったのなら、続ける理由はない。


「だから、もうやめましょう。……お互いに避けるのは」


 しばらく黙っていたグレンが、やがて小さく頷いた。


「……はい」


「あなたも、それでいい?」


「はい。僕も、そうしたいです」


「なら、決まりね」


 リーヴがグレンの胸元へ身を寄せる。

 先ほどからずっと抱いてもらっているというのに、まだ離れる気はないらしい。


「ずいぶん懐かれたわね」


「……僕のせいですから」


「何が?」


「急にいなくなったのは僕です」


 グレンがリーヴの頭を撫でる。

 リーヴは気持ちよさそうに目を細め、その手へ頬を寄せた。

 どうやら、まだしばらくは離してもらえそうにない。


「リーヴ」


 呼んでみても、こちらを見ようともしない。


「……完全に無視されたわ」


 グレンが吹き出した。

 彼がこうして笑うのを見るのは久しぶりだ。

 私もつられて笑ったところで、少し離れた場所から教師の声が飛んできた。


「カルディナート嬢! そろそろ戻ってください!」


「はい!」


 返事をしてから、グレンを見る。


「行きましょうか」


「はい」


 グレンがリーヴを私へ返そうとする。

 けれど、リーヴは服を掴んだまま、頑として離れなかった。


「……リーヴ」


 さすがに私が名前を呼ぶと、ようやくこちらを見る。


「グレンも一緒に戻るのよ」


 しばらく考えるように私とグレンを見比べてから、リーヴは渋々といった様子で手を離した。


「そんなに嫌そうな顔をしなくてもいいでしょう」


 抱き上げると、リーヴはすぐに肩越しにグレンを見る。


「また会えますよ」


 グレンがそう言うと、ようやくリーヴは前を向いた。

 言葉の意味がわかっているのかどうかは知らない。

 けれど、先ほどまでよりは機嫌がよさそうだ。


 私はリーヴを抱き直し、グレンと一緒に集合場所へ戻った。

 集合場所へ戻ると、すでにほとんどの生徒が集まっていた。

 私たちの姿に気づいたローレンス殿下が、こちらを見る。


 目が合った。


 ……気まずい。

 つい先ほど、私は殿下に、もう好きではないとはっきり告げたばかりだ。

 そのうえ、話を切り上げてグレンのところへ来た。

 今もグレンと一緒に戻ってきたところである。

 気まずくならない方が難しい。


「カルディナート嬢」


 けれど、ローレンス殿下の声音は普段と変わらなかった。


「先生が結果を確認されるそうだ。杖を持ってきてくれ」


「わかりました」


 私も普段どおりに答える。


 周囲には大勢の生徒がいる。

 教師もいる。

 こういう場所で殿下が王太子としての振る舞いを崩すことはない。

 穏やかな表情も、落ち着いた声も、いつもどおりだ。


 ただ、いつもどおりに見せているだけだということくらい、私にはわかる。

 あまり思い出したくもない過去だけれど、前世の記憶を取り戻す前の私は、殿下のあとを散々追いかけ回していたのだ。

 今の殿下が機嫌を損ねていることくらいはわかる。


 まあ、当然でしょうね。

 あれだけ言われて、まったく何とも思わない方がおかしい。

 とはいえ、私から何かを言うつもりはなかった。


 殿下が人前ではいつもどおりに振る舞うというなら、私もそうする。

 わざわざ刺激する必要はないし、だからといって機嫌を取る必要もない。


 プライドの高い子どもを相手にするとき、怒っているからといって何でも言うことを聞いていては、ろくなことにならない。

 言いたいことがあるなら、自分から言えばいいのだ。


「殿下、こちらでよろしいですか?」


「ああ」


 私は杖を差し出す。

 殿下はそれを受け取ると、私の分と自分の分を揃えて教師のもとへ向かった。


 その日のフィールドワークは、予定どおり終了した。

 私たちの杖にも特に問題はなく、他の組も大きな失敗はなかったらしい。


 帰りの馬車では、さすがに疲れたのか、リーヴは籠の中ですっかり眠っていた。

 今日はずいぶん動き回ったものね。

 私は揺れる葉を眺めながら、昼間のことを思い返す。


 グレンは戻りたいと言った。

 公爵邸にはまだ戻れない。

 グレンのお父さまの問題も残っている。

 けれど、お互いに距離を置くのはやめると約束した。

 明日、学園でグレンと顔を合わせたら、今度は普通に話そう。


 そして翌朝。

 教室へ向かう途中で、前方に見覚えのある背中を見つけた。

 グレンだ。

 向こうも私に気づいた。


 ここ数日は、顔を合わせてもお互いに距離を取っていた。

 けれど今日は、グレンも足を止めないし、私も進路を変えない。

 そのまま近づいていくと、グレンが口を開いた。


「おはようございます、ノエリアさま」


「……おはよう、グレン」


 以前と変わらない挨拶だった。


「今日は少し早いのね」


「次の授業で使う資料を確認しておきたくて」


「そうなの」


「ノエリアさまも今日は早いですね」


「私はいつもこれくらいよ」


「そうでしたか?」


「そうよ」


 そんな他愛もない会話をしながら、並んで教室へ向かった。


 その日だけではなく、それからも私たちはお互いに距離を取らなくなった。

 廊下で会えば挨拶をする。

 授業の前後に顔を合わせれば、以前のように言葉を交わす。


 公爵邸にいた頃のように、毎日のように長い時間を一緒に過ごすわけではない。

 公爵邸へ戻る話については、私からも急かさなかった。

 戻ってきてほしいという気持ちは伝えた。

 グレンも戻りたいと言ってくれた。

 今すぐには戻れないというのも、グレン自身が出した答えだ。

 公爵邸に戻ることについては、グレンから話すまで待つことにした。


 一方で、ローレンス殿下との間には、別の意味で気まずさが残っていた。


「おはよう、カルディナート嬢」


「おはようございます、殿下」


 教室で顔を合わせれば、いつもどおり挨拶をする。

 他の生徒が話しかければ、殿下はいつもの穏やかな笑みで応じる。

 教師に呼ばれれば、王太子らしく堂々と受け答えをする。


 私に対しても、人前では態度を変えない。

 けれど、先日のことを気にしているのはわかった。

 こちらをじっと見ていることもあれば、何か言いかけてやめることもある。


 それでも、私は何も聞かなかった。

 殿下が自分から何も言わないのなら、私から聞き出す必要はない。

 以前の私なら、殿下の機嫌が悪ければ理由を考え、どうすれば機嫌を直してもらえるか悩んだかもしれない。

 今となっては、ずいぶん面倒なことをしていたものだと思う。


 私は殿下の母親ではない。

 いや、母親だったとしても、何も言わずに不機嫌になっている子どもの機嫌を、毎回こちらから取ってやるつもりはないけれど。

 本人が話したくなったら、そのとき聞けばいい。


 そうして一週間が過ぎ、次のフィールドワークの日が近づいてきた。


「さて」


 授業の終わり際、教師が教壇から私たちを見回した。


「次のフィールドワークについて説明する」


 教室のあちこちで、筆記具を取る音がする。

 前回は、精霊の泉群で杖の魔力を調整した。

 次は、その杖をさらに仕上げていく段階になるらしい。


「次回は、杖の心核を強化する。前回より扱う魔力も強くなるから、指示は必ず守るように」


 教師の声に、生徒たちが揃って頷く。


「実習地は──霧の森だ」

『ワンオペ母が悪役令嬢になったら、攻略対象が地雷にしか見えない件』の書籍が、9月7日にSQEXノベル様より発売されました!


お手に取ってくださった皆さま、応援してくださっている皆さま、本当にありがとうございます。

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