27.殿下、まだ私に好かれているおつもりでしたの?
「少し付き合ってもらおう」
有無を言わせない口調だった。
私は、もう一度グレンの方を見る。
少し離れた場所で、リーヴもまた必死に小さな手を伸ばしていた。
……今なの?
喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
せっかく、やっと決めたのだ。
リーヴをグレンに会わせて、それから私もきちんと話をする。
今まで一人で決めていたことを、今度こそ彼自身に尋ねる。
それなのに。
「長くはかからない」
私の迷いを別の意味に取ったのか、ローレンス殿下がそう付け加えた。
王太子である殿下から、わざわざ話があると言われている。
ここで無視するわけにもいかない。
「……承知いたしました」
そう答えるしかなかった。
リーヴの方を見る。
籠の縁を掴んだまま、まだグレンを目で追っている。
胸の奥に焦りが広がる。
少しだけ。本当に、少しだけだから。
自分に言い聞かせ、私はローレンス殿下の後を追った。
集合場所から少し離れたところで、ローレンス殿下は足を止めた。
人の姿は見える。
けれど、普通の声で話している限り、内容までは聞こえない程度の距離だ。
「それで、お話とは?」
私から問いかける。
殿下はすぐには答えなかった。
いつもなら、自分の考えに迷いなどないように話す人だ。
それなのに今日は、妙に歯切れが悪い。
「……カルディナート嬢」
「はい」
「もう、十分ではないか?」
──何が?
思わずそう聞き返しそうになった。
「何のことでしょうか」
ローレンス殿下の眉が、わずかに寄る。
まさか通じないとは思っていなかったような顔だった。
「君も、いつまでも意地を張る必要はないということだ」
「意地?」
「そうだ」
今度は少しだけ、いつもの調子が戻る。
「以前のことについて、今さら私も何か言うつもりはない」
話が見えない。
私は黙って続きを待った。
「君が急に態度を変えたことも、その後ベルマーを側に置いていたこともだ」
「……グレンを?」
「ああ」
なぜ、ここで彼の名前が出てくるのだろう。
「シュプラウト育成では君とペアだった。実体化という前例のない結果も出した。細かな仕事も得意なようだし、補佐として使う分には悪くないのだろう」
淡々と告げられる言葉に、胸の内へ小さな棘が刺さる。
補佐として使う。
その言い方が、妙に引っかかった。
「だが、もういいだろう」
ローレンス殿下は、当然の結論でも告げるように続ける。
「私の気を引くために、あれを必要以上に側へ置いておく必要もない」
一瞬。
本当に、何を言われたのかわからなかった。
「……私が?」
「ああ」
「殿下の気を引くために、グレンを側に置いていたと?」
確認すると、ローレンス殿下はわずかに目を細める。
「違うとでも言うのか?」
違う。
あまりにも違いすぎて、反論するより先に呆気に取られてしまう。
最初のころならともかく。
まさか、今でもそんなふうに考えていたなんて。
「では、殿下は……」
私は言葉を選びながら問いかける。
「今でも、私が殿下をお慕いしているとお考えなのですか?」
ローレンス殿下の表情が、わずかに変わった。
けれど、それも一瞬だった。
「違うのか?」
返ってきたのは、驚くほど迷いのない言葉だった。
私は目を瞬かせる。そして──。
「違いますわ」
はっきりと答えた。
ローレンス殿下が黙る。
「以前の私が、殿下を追いかけていたことは事実です。ですが、今は違います」
「……」
「ですから先ほども申し上げた通り、殿下がどなたとご一緒されようと、私には関係ありません」
今度こそ、ローレンス殿下の表情から余裕が消えた。
ほんのわずかに目が見開かれる。
ああ。
やはり、先ほど女子生徒と二人で離れたことを、私が気にするとでも思っていたのね。
ようやく腑に落ちた。
けれど、わかったところで何も変わらない。
「……そんなはずはない」
低く落とされた声に、今度は私が目を瞬かせる。
「何がでしょう」
「君は、あれほど私を追っていた」
「ええ」
「それが、急に何もなくなるなど」
そこで言葉が途切れる。
私はしばらく待ったが、続きはなかった。
「なくなりましたわ」
静かに告げる。
「少なくとも、今の私に、殿下を恋愛の相手としてお慕いする気持ちはございません」
言葉にしてみれば、驚くほど簡単だった。
胸が痛むこともない。
惜しいとも思わない。
ただ、事実を伝えただけだ。
ローレンス殿下は何も言わなかった。
視線だけが鋭くなる。
「では」
しばらくして、低い声が返ってきた。
「ベルマーは何だ」
「……グレン?」
「あれだけ近くに置いていたではないか」
声音は落ち着いている。
けれど、先ほどまでの余裕はなかった。
「公爵邸にまで住まわせていた。学園でも一緒にいることが多い。シュプラウト育成が終わってからもだ」
次々と並べられる言葉に、私は眉を寄せた。
「だから、何でしょう」
「身分を考えろと言っている」
胸の奥が冷えた。
ローレンス殿下は、まるで当然のことを教え諭すように続ける。
「ベルマーは子爵家の、それも庶子だ。君はカルディナート公爵家を継ぐ立場だろう。補佐として側に置くことまで否定するつもりはないが、それ以上を望むような相手ではない」
何かが、すっと冷めていく。
少し前までの私なら──。
グレンの身分を考え、彼の立場を考えて……きっと、似たような理屈を自分自身へ並べていたのかもしれない。
もちろん、ローレンス殿下と私では違う。
それでも。
相手が何を望んでいるのかを聞かないまま、こちらだけで答えを決める。
その点だけは──同じではないか。
私は、もうやめると決めたばかりだ。
「殿下」
「何だ」
「なぜ、グレンが何を望んでよいかを、殿下がお決めになるのです?」
ローレンス殿下の眉が動いた。
「私は事実を言っている」
「身分の差があることでしたら、私も存じております」
「ならば」
「ですが、それと彼自身が何を望むかは別の話ですわ」
遮るように告げると、殿下が口を閉ざした。
「それに、私が誰を側に置くのか。誰を信頼するのか。それも、殿下にお決めいただくことではございません」
静かな風が吹く。
少し離れたところから、生徒たちの声が聞こえてくる。
私には、もうこの話を続ける理由が見つからなかった。
「お話は、それだけでしょうか」
「まだ話は終わっていない」
「申し訳ございません」
私は軽く頭を下げる。
「ですが、私には今、先に話をしたい相手がおりますので」
ローレンス殿下の目が細められた。
「……ベルマーか」
問いというより、確信に近い声音だった。
「ええ」
迷わず答える。
「グレンです」
沈黙が落ちた。
ローレンス殿下の表情は崩れない。
王太子らしい、整った顔のままだ。
けれど、その目だけがひどく冷えて見えた。
以前の私なら、その視線に怯んでいたかもしれない。
けれど今は。
「それでは、失礼いたします」
一礼して、踵を返す。
「カルディナート嬢」
呼び止める声が背中に届いた。
それでも、今度は足を止めなかった。
私は集合場所へ戻る。
籠の中で待っていたリーヴが、私を見つけるなり身を乗り出した。
その向こうには、まだグレンの姿がある。
……待たせてしまったわね。
私はリーヴのもとへ足を速めた。
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