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脱走

 忽然と姿を消した鮫島さんの存在に、テントの中が静まりかえる。


「しまった……スキルを使ったな」


「鮫島さんのスキルって……【気配遮断】だっけ?」


「ああ。注意を向けていないと、姿は視界の外に、足音も聞こえなくなってしまう、なかなかに便利なスキルだ」


 他に考えようがなかった。


 ぼくらを快く思っていない種族がまだまだこの集落にいたとしても、いきなり鮫島さんをさらうなんて行動に出るとも思えない。


 去る者は追わず、放っておくか?


 否、こんなに強力なスキルは、やっぱり惜しい。使える場面はいくらでもあるはずだ。それに――。


「福原さん、バスの鍵、どうした?」


 尋ねると、彼女はハッとしてベッドから立ち上がり、自分のカバンを探った。


「あ……あ……」

 福原さんの横顔がみるみるうちに青ざめていく。


「ご、ごめっ、ごめんなさいっ……わ、わたしっ」


「気にするな。ぼくも鮫島さんのことをすっかり忘れていた。ラピス、いくぞ」

《いえす、ますたー》

 ぼくは蒼きスライムを連れて、テントを飛び出した。


「待って奏人くん、あたしもいくよ」

 弥生が走ってきて、となりにならぶ。


「必要ない」


「人手がいるかも知れないでしょ? あたしが鮫島さんだったら、バスの鍵は囮にして、どっかに隠れて逃げるタイミングをうかがうもん」


「ぼくもそうするだろうな」


 スキル【気配遮断】……かくれんぼをしたら、これの右に出るものはないだろう。


 しかし。


「鮫島さんに、そういうことを思いつく冷静さと頭の良さがあると思うか?」


「あ……そ、それは……」


「ぼくはないと思う。なんなら賭けようか。鮫島さんがバスをおとりに使うような小賢しい真似をしていたら、今晩は弥生のいうことをなんでも聞いてやろう」


「な、なんでもって……」


 ごくりと唾を呑みこむ。


「弥生がいじめてほしいというのなら、心ゆくまでいじめてやる」

「そんなことお願いしないよ! どうしてあたしをマゾヒストにしたがるかな!」


 そういう風にしか見えないからだが。


「仮にあたしがいじめられて喜んだとしても、それは奏人くんにしてもらうからうれしいんであって、それはMとは違うんじゃないかな!」


「ぼくにいじめられて喜ぶようなら、それはもうぼくにとってはマゾヒストだ」


「なんか哲学的だよ! あーもー、こーなったらなにがなんでも鮫島さんには小賢しい真似をしてもらって今晩は奏人くんを女装させて縛ったり焦らしたりするような、そういうプレイをしたいっ」

『ますたーにスカートを履かせる!? ラピスもお手伝いしますっ』


 ろくでもない側室と下僕だった。


 集落の外に出ると、ちょうどバスのエンジンがかかる音が聞こえてくる。


「鮫島さんのアホーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」


 弥生の絶叫が、薄明の空に高らかに響いた。


 まったく同感というか、期待を裏切らない女だ。


「ラピス、バスを止めろ」

『いえす、ますたー』


 蒼きスライムが、薄緑色に光を帯びる。


『スキル発動――【ドラゴン変身】』


 強い閃光が瞬いて、全長五十センチほどの球体が、その十倍の大きさまで膨れあがる。

 金属光沢を持った蒼い竜鱗、頭には背後に鋭い四本の角が伸び、背中にはその巨体を覆うほどの巨大な皮革の翼を携える。


「おわっと! おお、巨大竜グレートドラゴン……! 近くで見ると、やっぱり大きいねぇ」


 竜の足に踏みつぶされないようたじろぎながら、弥生が鼻息を荒くする。


「ねぇ、奏人くん、背中に乗って飛んでみたくならない?」

「それはまた今度だ」


 ラピスが【ドラゴン変身】を使うのは初めてだ。

 ぼくにどれだけの力があるのか、いろいろと試してみたかった。


「ラピス、調子はどうだ?」


『ちょーっと――』


「思念だけでいい」


 ぼくと話すだけなら、ラピスは言葉を発する必要はない。

 これまでずっとやかましいラピスのおしゃべりを黙認してきたのは、スライムに怯えるみんなが警戒しないようにするためだ。


《すみません。ちょっと魔力の消費が激しくって、だいたい千秒ぐらいが限界っぽいです》


「十五分といったところか。結構いけるじゃないか」


 大量のスライムを取りこんで使い切れぬほどに膨大な量があると思っていたラピスの魔力でこれでは、本来の使用目的は「ドラゴンに変身して一撃加える」程度のものだったんだろう。


《ラピス、魔力の容量がおでぶになってしまったぶん、空になると全回復するには三日はかかります》


 緊急時の切り札、という認識で良さそうだ。


《またまた、炎を吐いたり、角にためた電撃を放ったりとかはできますけれど、ドラゴンに変身してるあいだは他にスキルも使えなくなります》


 ぼくも【サモンソード】を使えなくなるということか……。


「奏人くん、バス、走り出しちゃったよ」

「わかってる。問題ない」


 ラピスドラゴンは、背中の翼を広げて飛び上がった。

 強風が吹き荒れて、弥生のスカートがめくれ上がる。


「キャッ――み、見えた!?」


「今さらパンツで騒ぐ仲でもないだろうが」


「パンツ見せて平気にしてるような女の子がいいっていうなら、聞きませんけど?」


 うん……そっちの方がきついかな?


 走りだし、離れていくバスの前方に、竜の巨体が地響きとともに降り立つ。

 突如現れたドラゴンを、バスは急ハンドルで回避しようとしたが、まださほど加速していなかった車は、鋭い爪を備えた竜の前足で押さえつけるように止められる。


「ラピス、車は押さえつけるんじゃなくて、持ち上げるんだ」


《がおー。いえす、ますたー》


 命令通りにラピスドラゴンがバスの前輪部分を持ち上げてしまえば、バスの馬力は半減されて、身動きがとれなくなった。

 さらにラピスに警告するように、命令を送る。


『抵抗をやめて、降りてください』


「も、持ち上げられてて降りられるわけないでしょーっ!」


 ぼくと弥生がバスのほうへむかうと、鮫島さんの悲鳴が聞こえた。


「元気そうだな……ラピス、ちょっと揺すって反省させろ」

『いえす、ますたー』


 ラピスがゆっさゆっさとバスを上下させると、再びやかましい声が響いた。

 中の鮫島さんはセーフティーバーのないフリーフォールを味わっているようなもんだろう。


「うあ、鬼畜……」

「魔王だからな」


 やがて悲鳴も途絶え、ラピスがバスを揺するのやめての前輪を下ろすと、鮫島さんは這々の体でバスの中から出てきた。


「うう……気持ち悪い……」


「正座だ」


 真っ青な顔色の彼女に向かって、ぼくは高圧的に告げる。


「は?」


「は? じゃない。正座」


 青かった鮫島さんの顔色が、こんどは赤く変わっていく。


「あ、あんた、いったい何様のつもりで……!」


「昨日のぼくの話、覚えてないのか? こんな風に条件反射で和を乱されたら、たまったもんじゃないんだよ」


「くっ……」


 しかし、ぼくへの反発心がすさまじい鮫島さんは、意地を張って唇をかみしめただけだった。


「今晩、ラピスと一緒に風呂に入ってみるか?」

『わぁ、鮫島様と一緒にお風呂ですか!』


 ドラゴンから蒼いスライムに戻ったラピスが、こっちにやってくる。

 鮫島さんは、目を血走らせて戦慄した。


「ち、近づかないでッ! そ、それだけはいやっ!」


「なら、なにをすればいいかわかるな」


「くっ――わ、わかったわよ! す、すればいいんでしょっ……!」


 屈辱に唇をゆがませながら、鮫島さんはその場で正座をした。

 ぼくはそれから、モンスターの集落についての説明と、この場所がいかに貴重な場所であるかを鮫島さんに説いた。

 彼女が聞き分けのないことを言ったときは、ラピスを使って脅かし、なぶるような言葉を放った。


 ここら辺の模様は、少々お見苦しいので割愛することにする。


 十分くらいに及んだ教育のあとには、鮫島さんはすっかり憔悴して、こちらに対して憎しみのこもった視線を向けることも不可能になっていた。


「話し終わった?」


 その間、どこかに行っていた弥生が戻ってくる。

 その背には、小さなリュックが背負われていた。


「バスの中で、なにをしてたんだ?」


「お菓子を持ってきたの。あたしらあんまり歓迎されてないみたいだからさ、友好の印にならないかなって思って。こっちの世界の食べ物を無条件においしいって食べてくれるのが、異世界もののお約束でしょ?」


「そんなにうまくいくかな……」


 ぼくらの味覚とモンスターたちの味覚が一緒とは限らないと思うけど……とはいえ、そうでなければこれからの生活で食事に困るのはぼくたちなので、重要な問題だ。


「とりあえず戻ろう。弥生、一応バスに【物質修復】をかけといてくれ」

「イエス、マスター」

『はわっ! それはラピスの台詞ですっ』


古河奏人のスキル……11個

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