異世界の夜
昼間の熱気に比べて、夜は驚くほど冷えこんだ。
ガソリンを節約してバスの暖房は使わず、ぼくたちは重ね着をして膝掛けを何枚もかけ、バスの座席を倒したベッドで眠った。
見張りは、二時間ごとの交代制。
ラピスは一晩中眠らないで済むが、いざという時、とっさに動ける人材は二人以上欲しい。
泥のように眠っていたぼくは、福原さんの足音で目を覚ました。
「あの、古河くん……」
「ああ、今起きた」
「ごめんね……見張りなんて、古河くんにさせることじゃないのに……」
小さな声で、彼女は申し訳なさそうに告げる。
「ぼくは、自分が一番信用できる……可能なら、ぼくがずっと見張りをしていたいくらいだ」
「わたし……古河くんの力になりたい、です……」
「知ってるよ。頼りにさせてもらっている」
「本当ですか? わたし、足手まといになってませんか? トロいうえに、如月さんみたいに、気も利かなくて……」
「今日一日、バスの運転を引き受けてくれたのは君だろ。それに鮫島さんとも、角が立たないようにしてくれている」
鮫島さんの名前を出すと、福原さんは目を険しくさせた。
鮫島さんがいるほうに視線をむけて彼女が眠っているのを確認してから、小声で告げる。
「わたし、いやな子ですよね……せっかく古河くんが助けた人なのに、鮫島さんを見た瞬間、死んでいればよかったのにって……」
「彼女らが福原さんにして来たことを思えば、当然だ。それでも、変に突っかかったりしない福原さんは、しっかりしてる」
「わたし、ここにいて、いいですか……?」
「もちろんだ」
ぼくは、福原さんを軽く抱きしめた。
この程度のことで彼女の不安を拭えるのなら、安いものだった。
「……あは」
福原さんは、幸せそうに目を細めて、ぼくの胸に頬ずりをした。
「さ、もう寝ろ。明日も、なにがあるかわからない」
「はい」
福原さんは、夢見心地の足取りで運転席に入り、毛布をかぶった。
ぼくはジャージを上に重ね着して、車外に出る。
バスの外では、ラピスが炎魔法を使って焚き火をしていた。
クラス特性【ステータス吸収】を持っており、無数のスライムを取りこんだラピスは下級の炎魔法など消耗せずに使い続けることができる。
『ますたー、お疲れさまです』
凍えるような寒さも、火に当たればやわらいだ。
夜空には緑と銀の二つの月が輝いて、闇を明るく照らしている。
「二つの月か……」
ここが、ぼくらがいた地球の上でないことの証左だった。
ぼくは、なにもない荒野を見渡す。
ラピスがこうして夜でも問題なく動けるということは、スライムの襲撃は昼だけではないことを意味する。
もしかしたら、城塞都市の人間たちがなんらかの目的で攻めてくる可能性もある。気を抜くことはできなかった。
『ますたー、寒くないですか? もっと側に来てくださってもいいですよ?』
「必要ない。少し黙ってろ」
【異世界勇者】のクラス特性【ステータスアップ】のおかげか、身体がタフになっている感覚はあった。
風呂としてためた水の表面に氷が張っているので、気温は零度以下だが、それほど堪えていない。
「古河くん」
声は唐突に、背後から聞こえた。
ふり返ってみると、パジャマ代わりのジャージの上に制服のブレザーを着た如月さんが立っていた。
「今度は君か……休めるときに休むのは義務だ。寝てろ」
「目が冴えちゃって……ちょっとだけ。五分話したら、寝るから」
彼女は手を合わせてお願いポーズを取ってから、ぼくのとなりに腰を下ろした。
「問答無用だな……わかった、話を聞こう。用件をいえ」
「そういう風にいわれると訊きづらいんだけど……まぁ、ぶっちゃけちゃうか」
如月さんは、傍らのラピスの頭をなでながら、ぼくを見つめていった。
「古河くんってさ、正義の味方じゃ、ないよね」
「正義というものの定義による」
「困ってる女の子を、特に打算もなく助ける人じゃないよね」
「……昼間にも言っただろう。殺すことはいつでもできる」
ぼくは、絶対的な力を手に入れた。
如月さんのいうとおり、ぼくは打算で彼女らを生かしている。
「そのことが、不満なのか?」
「ううん。あたしだって、古河くんがいなきゃ生きられないんだもん、文句なんかない。ただ、今日の古河くんは、まるでマンガのヒーローみたいだったから、確認したかっただけ」
「マンガのヒーローは、鮫島さんをあんな風に屈伏させたりはしないだろ」
「ああいう言い方しなかったら、鮫島さん、自殺しちゃってたかもしれないって思うんだよね。今は恨みでも、生きるのには必要な力だから、わざわざあんないい方をしたのかなって」
ため息が出た。
「勘ぐりすぎだ。自殺してもぼくは困らない。ラピスに食わせるだけだ」
「そっか……やっぱり古河くんは、あたしが思ってるとおりの古河くんだ」
「なんだそりゃ」
「あたし、これでも二年に上がってから、古河くんのことをかなり観察してたんだよ」
大きな杏型の瞳で、彼女はぼくを見つめる。
「暇人だな」
「古河くんだって、いっつも退屈そうにしてたけどね」
ぼくは思わず、彼女を見つめ返した。
たしかに、元の世界でぼくは退屈していた。
不可能なことはない――ということはもちろんないが、大体のことはそつなくこなせた。熱中するものは見つけられず、病院を経営している両親の敷いたレールを走って、医者になることの意義を理解し、淡々と作業のように努力する日々。
そんな自分を彼女は見つめていたのかと思うと、不思議と心がざわついた。
「あたし、もしかして古河くんなら、この状況を楽しんでるんじゃないかなって、思ったの」
「楽しんでるわけないだろ。最悪だ」
「そっか……でも、学校にいたときよりも生き生きしてるように見える」
「やらなきゃならない、煩わしいことが増えただけだ……ただな」
「ただ?」
「最悪な状況にいるからといって、そのままで死ぬつもりはない。単細胞生物から隠れて怯えて暮らすなんてうんざりだ」
焚き火の炎が爆ぜる。
その踊る赤を見つめながら、ぼくは拳を握り締めた。
「ここは、地獄のような世界だ……でも、ぼくは地獄で一生を終えたくなんかない。ぼくは、ぼくが生きやすい世界にいく。ないなら、作りだす」
如月さんはクスッと笑った。
「古河くんらしいね」
「他人にぼくらしいなんていわれたくはないな。不愉快だ」
「それはごめん……お詫びってわけじゃないけど、あたしも、古河くんの生きやすい世界っていうのに、興味があるな。協力させてよ」
「ぼくの生きやすい世界に、如月さんが適用するとは限らない。君にだからいうけれど、目標の邪魔となれば、ぼくは如月さんでも切り捨てる。それでもいいの?」
彼女は、躊躇なくうなずいた。
「さっきいったとおり、どっちみち古河くんに助けてもらえなかったら、あたしは生きられないもん。だから、あなたが決めることに文句なんかいわない」
「無欲だな……つまらない女だ」
「この状況でワガママばっかりいう鮫島さんみたいな人いいわけ?」
「やめろ」
「それとも、あたしがなんかワガママをいったら、叶えてくれるとか?」
杏型の瞳を楽しそうに細めて、見つめてくる。
「……いってみろ」
「キスして」
如月さんは、肩を寄せてぼくに囁いた。
焚き火の明かりを受けた横顔が、ほんのりと薄桃色に染まっているのに気づく。
「バカか?」
「えーっ、ここでそういうこというの!?」
彼女は唇をとがらせて、腕にしがみついてくる。
大きな二つのふくらみが腕をはさんで、悪い心地はしなかった。
彼女の表情をからは、本気で残念がっているというわけではなく、じゃれつこうとしている様子が伝わってくる。
「どうしてキスなんだ。痴女なのか」
「痴女じゃないよ。これから死ぬかもしれないのに、キスの一つもしたことないのって、なんか女の子として寂しくない?」
「だったらラピスとでもしてろ」
『ええっ!? ラピスですかっ! ますたーのご命令とあらばNOとはいいませんが……如月サマとチュー……どきどきしますっ』
これまでずっと黙っていた蒼きスライムが、真に受けて驚きの声を出した。
「古河くんだからお願いしてるんだよっ! ほ、ほら……あたし、たぶん古河くんのこと好きだし」
言葉の後ろ半分は、頬の赤みを強めて、はにかみながらいう。
「たぶんてなんだ」
「いや、その……あたし、これまで恋とかそういうのってあんま経験なくって……はじめてこんなに興味を持った男の子が、古河くんだったから」
「悪いけど他を当たってくれ。今のぼくにそんな余裕はないから」
「ふ、ふられた……ラピスちゃん、あたしって、そんなに魅力ないかな……」
如月さんがガックリと肩を落として、足元のスライムをプニプニとつつきはじめる。
『元気出してください如月サマッ! このご主人さまドSですから、だんだん邪険に扱われるのも快感に変わってきますって!』
「そんなのに快感をおぼえるのはやだなぁ……」
『寂しいときはラピスで良ければチューの相手になりますっ』
「ごめん……」
『ますたー、ラピスもフラれましたーっ』
「ちょっと静かにしてろおまえら」
古河奏人のスキル……11個




