28話 軋轢の仕組み
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安定していた呼吸が乱れて、波動の消耗が一層と激しくなる。
迸る火花を越えながら。交わる一撃がどんなに重いのか痛いほど分かる。それが膠着を長引かせるだけの天王山は、どれだけの重大性を持ち合わせているのか。課せられた自分自身の試練は幾度も行く手を阻む。
気が遠くなるような、繰り返しの一直線上が続いていく。
向こう側にある真実。
答えを覗くのにまだ早いと、忠告しているかのような錯覚に襲われる。
対して、余計なお節介の方は自慢の微笑を崩さずに、割り当てられた役目で得意な技量を盛大に披露して思う存分に振るう。
閑散とした屋上を占拠する風力発電機が束ねる景観に。
見えない風は戦局を覆す。ノイズが混じった雑音を奏でるばかり。
それがたとえ追い風だとしても油断は禁物だ。刹那の錯綜が事態を更に加速させ、後戻りが出来ない貴重な選択を都合のいい願望で判断を委ねてしまえば、待ち兼ねた景色は全部台無しになってしまう。胸が張り裂けるほどの後悔だけが残される。稚拙な感情では、当たり前のことも見抜けない。
もはやその姿は愚かだ。愚者の行いだ。
それ以上でもそれ以下でもない。中途半端の王様は周囲を鑑みず、叶わなかった願いを叶えるべき、私情のままに他者を巻き込んだ波乱を駆け巡る。
完璧だった意識は既に憎悪に取り憑かれていることを知らずに。
無意識に呪いを散蒔いていた。
正義を語る者が返り討ちに遭うという、情けない結果をもたらした挙げ句、一体どちらが悪者で、何が正義なのか考えさせられる。答えなき未完成のテーマに縛られ続けた忌々しい事件に、見据えた瞳は安らかに閉じそうにない。
自分の知らない場所で。
今、再び、悲劇の物語を紡ごうとしているのか。
―――この至高たる炯眼を前に、立ちはだかる謎は底を尽きそうにない。
「あなた達が望もうとする企み。それは、一体なんなのかしら?」
回転式拳銃、リボルバーを携える少女、―――東雲うずめは静かに問い掛けた。
二ヶ月前に起きた理解し難い事件を辿って。
うずめは過去を振り返る。
◆
事の発端。それは二月の中旬に起きた。
「萌近。どうやら、咸守神社が何者かによって朽ち果ててしまったそうだわ」
「え、嘘でしょ……?」
押し寄せる人の悔恨と欲望が揺蕩う灰空町にある某探偵事務所。
冷気を伴う禍時の景色の中に。
窓ガラスの奥に映る彩られたネオンの色彩。手で遮るほど眩しい世界。複雑な理念が込められた場所を冷ややかに見下す東雲うずめは辣腕にカーテンを閉めて、ご自慢のパーソナルチェアで寛ぐ。
虚空の空間を眺めて。寂しい両足をバタバタさせる。
退屈そうな態度は危機感の素振りも一切感じさせないほど。時折欠伸をしたり、チェアでぐるぐる回ったり、呑気な印象は相方の視線を焼き付かせた。
「それって、どういう、ミーティング?」
奇妙な絵面にドーナツを頬張るのをやめた少女は思わず苦笑い。
謙遜した微笑を浮かべながらその場を取り繕う。
淹れたてのダージリンの香りを堪能する明石萌近は至高の一時を過ごすが、彼女はふと我に返り、事態の重大さに感化され、次第に現実味を帯びてくる。
そして顔を真っ青にさせた。
「うずめ、それって、『彼女』が復活したってことだよね……?」
ソーサーを持つ萌近の左手はガタガタと鳴らして震えている。発した言葉と共に過ぎていく時間の経過が危険性を増していく。
危機の到来であり、晴天の霹靂でもある。
かつて大正浪漫の時代を歩いてきた初代の『黄昏』の修繕師、千代田啓が封印したとされる『彼女』の残り尾。『彼女』を祀る為に九つの神社が建てられた。その一つに当たる咸守神社の方には、縁結びで有名なパワースポットとして名を馳せており、可愛らしい狐のマスコットを刺繍にしたお守りを求める人達がバレンタインの時期と重なってしまい、現在は売り切れてしまっていた。
人気を遠ざけることはない。縁結びの神社が。
唐突に封印は破られていた。
「復活した、というよりも、何者かの手によって封印が破られたらしい」
「何者かの手に?」
厳重にして強固な管理が行き渡っていたハズが、意図も簡単に『彼女』の依り代が奪われる。代々の関係者が勢揃いの時代に、よりによって心髄に最も近い『愛』が欠けてしまうだなんて。
しかも、ただならぬ波動の残留が、現在世界を震撼させていた。
「封印を破った者は現在、『彼女』の力を適合し身を潜伏していること。萌近でも感知できるほどの波動の強さは、決して偶然ではないわ」
爆心地とも呼べる。波動の覚醒。
押し寄せてきた『愛』の正体。太陽が沈む時間帯に轟いた『彼女』の産声。
最も恐れていた被虐の感情が呼び覚ます。総毛逆立つのが瑣末なほどの、分かりやすくてストレートな拒絶反応は心底脅威を感じたものだろう。
「紛れもなく、本物でしょうね」
うずめは咄嗟に立ち上がり、テーブルに置かれた箱の中からドーナツを取り出しては口元に運ばせる。かぶり付いたままパソコンの画面を覗く。
「あーあ! 夢なら良かったんだけどなぁー」
遠い目をして悲嘆に暮れる萌近は頬杖を付く。
口に運ぶスイーツが甘美に至らず、手元で踊る。完全に感心を失っていた模様。拗ねた態度が心底嫌そうにしている。
「……マジで乱世でしょ。この事態は。結局は組織側の判断で決まるし、私達では何も権限ないじゃないの。派閥の独断とか嫌だなー。いざこざとか絶対に起きそうだし、四代目は隠居生活を余儀なくされそう。ホント不憫だわ」
「その辺は初代を恨んでそうだけど」
伝説の妖狐である『彼女』は死してなお初代に対して憎悪の念を持っている。
それに限らず時代を駆け巡った二代目や三代目、『黄昏』の修繕師という陰陽道であれば誰でも構わず怨嗟を降り注ぐ。もはやそれは嫉妬のレベルではない。
呪いだ。
歴代で最強と謳われる初代と激闘を交わした全てのキッカケが元凶であり、終わりなき抗争劇は運命の定めと言えるだろう。
一層と悪意が染み込んだ愛情が四代目に魔の手が迫るとは。現在事務所でゆかりの無いティータイムを楽しむ二人を他所に、外の世界では波動の散策と原因を突き止める為に捜査を行なったり、四代目の安否を隠避したりして、動向の行く末を見極めているのかもしれない。
だがしかし、封印を破った者の狙いが見当も付かないのだ。
「でもさ、そこまでして四代目を恨む理由とかあるのかな? どうして神社の封印が解かれることになったのかも謎だし。妖狐の波動を適合できる人か……。挙げるとすると、多分、女性だろうね」
「時期的にはバレンタイン。縁結びの神社だから女性の可能性が高い。『彼女』の愛情が恋愛を成就させる為に、力を授けてあげた……?」
「取り込んだ可能性もあるよー。『彼女』にとって乙女は格好の餌食だし」
ドーナツをかじりつく萌近を無視して、タッチパッドで操作するうずめは視線を合わせず、パソコンの画面を覗く。
新しい『彼女』の誕生か。果てに新たな可能性を背負う者か。
まだ分からない。敵か。味方か。
退屈な心を震わす荘厳の波動が目の色を変えた。危惧感を呼び覚ます生存本能の抗いと、闘争本能を取り戻す情熱は止まらない。情の象徴が具現化した瞬間、語られていた過去の悲劇を過る。
運命の定めを従順するならば、この先にある未来は破滅しかないと。
今という時間が、こんなにも貴重になるなんて。
「……どちらにせよ、勝手に決着が付くわ。遅いか早いかの、違いだけ」
「私達の六芒人はどんな選択をしてくれるかなー。意外と楽しみだなー。はあ、討伐はしたくはないけれども」
明日を見据えても。
望むべき道ではなければ、実りある価値には値しない。
引き金は既に引いた。もう後戻りは出来ない。野望を抱く者が決定する。そんな秒読みの修羅を乗り越えるには、真実に辿り着く役目を担う、曇りなき中庸の立場を果たさなければ。
―――再び悲劇が繰り返されるだけだ。




