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17話 瞳の中の世界

「……ええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇっ!?」


 いきなり空を飛んだ。

 本当に。突然の出来事だった。


 イタズラが大好きな神様が仕込んだトラップによって巡り重ねた邂逅。


 もう一度、彼と話し合える。

 望んでいた転機の兆しに幸乃の心は喜びに満たされた。


 冒険心が擽る幸せな一時を全身全霊で楽しむ中、思いがけないアクシデントに遭遇してしまい、偶然に出会った彼に現れる表情に覗く謎の緊迫感を辿ってみると、常識の領域を覆す異彩な景色が目の前で繰り広げている。


「な、な、なにこれ……!?」


 現在繰り広げている事実に、幸乃は鵜呑みできず、心境の感想は溢れてくる。


 返事は返ってこない。それはそうだ。

 彼にお姫様だっこされているだけで心臓の奥は苦しくなるのに。


 見渡してみれば。


 現実はいつも裏切ってしまう。


 路地裏は劇的な変化をもたらして、静寂の演奏会は白昼夢を追い越していく。


 見たこともない蝶は。

 宙に舞う二枚の妖美な羽根を携えて金色に輝いて。


 蝶の群は追跡する形でお姫様だっこされた幸乃を護衛しており、空中を飛翔する彼の行動を督促させる為の鼓舞の舞いを翻す。一方で得体のしれない怪物の衝撃波を彼は翻弄しながら路地裏で対峙をしていた。


 色々と。情報の整理が追い付かない。


 ―――そもそも、彼は一体何者なのだろうか?


「再生能力が桁外れに違う。それもリカバリーが早い。稀に見る狂暴化だな。ここまで化けるほどの影響力が反映して……。流石に、手加減で退治できないか。そうなると、浄化結界が手堅いかもな」


「え? 結界?」


「少しスピードを出す。時間との勝負なんだ。千駄木はしっかり掴まってくれ!」


「わ、分かった!」


 言われた通りに幸乃はしっかり彼に掴まる。


 幸乃自身が、緊迫の渦の中に居ることを、冴えた意識がようやく追い付いた。


 動機は何かに怯えている。

 勘の鋭い感覚は恐怖で埋め尽くされている。


 指の先は知らない内に震えていて、油断したら黒バッグを落としかけた。正気を保つ為に現実と向き合いながらも、視界に映る事実の有り様では、当たり前だったハズの常識に亀裂が走り、徐々に崩壊していく。


「あ……」


 これは夢なんかじゃない。


 轟音が聴覚を刺激して。鈍る視界を鮮明にさせる。

 目を見開けば。路地裏で蠢く正体不明の怪物は、紛れもなく存在していた。


(なに、あれ)


 酸化したガソリンのような漆黒の液体を纏う。

 粘着力のある液体は空気に触れた途端、水蒸気を発していく。


 獣らしい特徴が見当たらなかった。


 不安定に変貌する怪物。赤い双眼を持つ怪物に常識は通用しない。

 液状の体躯から伸びる巨大な触手はこちらの隙を定めて狙う。それでも軽やかに避ける彼は蝶のように宙を舞う。しかし幸乃が不意に目撃したのは、その伸ばした触手が人の手と類似していることに気付いてしまった。


 思考が唐突と停止する。


(私―――)


 漆黒の手が行動を変えて二人を囲うようにして迫ってきた。


 目の前に伸ばす光を吸い込む液体の手。その奥に潜むのは二人を睨む幾多の目。

 有り得ない場所にあった口らしき形状がケラケラと嘲笑う。


 ―――まるで、あの時と同じだ。


 彼が背を向けて現れる以前。

 ちょっとした拍子にハンカチを落としてしまった。


 その擦れ違い様に拾ってくれたのは、何処にでもいそうな普通の三人組の男性。渡そうとした人が突然と豹変を遂げた。暴走する意識は理性を吹き飛ばして、迫り来る姿勢は獣を宿しているかのように人は別物となった。


 間違いない。


 充血する双眼こそが、得体のしれないバケモノの根本的な姿なのだと。


(―――知らなかった。この世界は、歪んだ机上の空論で出来ていたんだって)


 研ぎ澄まされた記憶が閃きを覚え。醒めた瞳は意識を冴える。


 狂気染みた非常識の景色。

 潜み続けるココロの怪物は誰にでも抱えていて。


 本能には抗えないように。心は嘘を付けない。そして繰り返していく。


 なぜ人々が過ちを繰り返してしまうのか。

 行動源となる欲望は力となり、時に道を外す諸刃にもなる。そして何よりも人の醜い部分を晒け出す呪いであることをみんなは知らない。積年支配してきた負の感情が無意識にみんなを歪ませているのだ。


 それが不幸を形成して。

 具現化した謎の存在が常識の枠組みを凌駕しようとしているのならば。


 自分が知っている常識はほんの一部で。ちっぽけな枠組みに囚われていたに過ぎなかった幸乃は、彼の素顔について全く知らないでいた。


 優雅に右手を虚空に向けて振るう、日比谷航という日本刀を持つ少年は。


 一体、何者なのだと。


「―――光来種・遊楽蝶」


 果敢と切り裂く一閃の刃が漆黒の手を刻み、怪物から放たれる衝撃波を瞬殺する光の杭は漆黒の手を焼き貫いたのだ。


 それはまるで。時を止める刹那の如く。光の杭の正体である蝶は迫る脅威に対して何も動じない。ヒラヒラと羽を優雅にはためかせるだけ。動かなくなった漆黒の手を相手にせず、蝶は怪物の周りを飛んでいる。


 次の瞬間。


 悪しき魂に下す数多の蝶は、怪物に容赦なく光弾の集中砲火を浴びせたのだ。


「……!!」


 雲の切れ間から。漆黒の手から。太陽の光が降り注ぐ。


 仄暗い路地裏さえも包む幻想的な景色の中心で、どこか懐かしさを感じる温もりと穏やかな心地。ココロを蝕む負の感情、恐怖から取り除かれる解放感は背負う重りが取れたような気がして。


 そうだ。思い出した。


 これは煌びやかな世界に憧れた、―――忘れてはいけない童心だった。


 目の前に興味がある。真実が目の前にある。

 幸乃がまだ知らなかった世界。それはとても近い場所にあった。日比谷航という彼の存在がいたからこそ、幸乃は自分らしさを見付けた。


 もしも、朽ち果てることのない探求心が答えを求めていくのであれば。


 千駄木幸乃は。


 彼と同じ景色を見る為に、恐怖など屈したりはしない。


 ―――無意識の景色が見えてくる。

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