15話 神様からの些細な挑発
最初。自分の耳が遠いのかと思っていた。
「お、おつかい……?」
「はい。実はお豆腐を買いに。もしかしたら夕飯はすき焼きでしょうか? そうなると木綿辺りが無難ですね。絹の方は好みが別れますし、個人的に冷奴がベストで決まりなんですけど。うーん、どちらが夕飯の主役になると思います?」
「……いや、そうじゃなくて」
色々と突っ込みたい部分が山ほどある。
神田正道の護衛。法則の無さの行動についてだった。
危機的な状況を招いてしまった結果、二組に別れた幸乃達。本当は瑠依と智恵のペアで解決出来そうだと見越した上で目的地に向かおうとした途端である。
突然のおつかい。
行く手を阻むおつかい。
不運というか空気が読めないというか。気分が損なうアクシデントで足取りが更に重くなる。そもそも、この護衛に関して気分が乗っていなかった。
木綿豆腐や絹ごし豆腐を選ぶ時間がもったいない。苦笑している場合じゃない。難しいことは考えず単刀直入に両方を購入すればいい。
クラスメイトの護衛という寄り道よりも。
豆腐の可能性に示唆する聖の方がやけに熱心的だった。
なんだろう。この時間は。
「木綿と絹を一緒に買えばいいんじゃないかな」
「! そういうパターンもあったんですね。私うっかり忘れてました……」
タブレットを使ってメモを取ろうとする聖の目が輝いている。好奇心の塊のような彼女のお転婆な性格に、ついつい幸乃は「あはは……」と言って苦笑。
兄はいるが妹はいない。
もしも妹がいたとすれば、こんな感じに楽しく振り回されるのだろうか。
とはいえ。
今やるべき事柄が幸乃には沢山ある。
速やかに二人と合流するには。聖の離脱について。
幸乃はスマホのやり取りだけで済ませる方針は変わらず。特に意識するのは二人の反応が気になる所だが、肝心な部分は適確に対応を取るのみ。
牽引する人が信頼と実践力がなければストラテジーは頓挫する。
せめて、これだけは回避しなければ。
「……こうしようか。聖はおつかいをして私は瑠依達の後を追う。語弊がないよう返信した方が手っ取り早いかもね。流石に瑠依は怒るでしょうけど」
「うーん、瑠依さんの好みが分からないですし、お稲荷さんでもあげます?」
「油揚げじゃないんだよ……」
駄目だ。
聖が豆腐に夢中になりすぎて会話が成立していない。
むしろ逆だ。正道に興味はないらしく、もはや拒絶反応でもあるんじゃないかと疑うばかりだ。好きでもない男子にこれほど過保護になる必要があるのかと。
彼が強いと知ったその上で行動しているとすれば。
純粋にタイプじゃないから反応が薄くて。興味が微塵もないのは当然のもので。聖の協調性の皆無さは自分が蚊帳の外にいると気付いたから。
失うものがない者は。常に。どこまでも部外者なのだと。
(……そうなんだ)
ああ。なんとなく分かった気がする。
この子はつまらない出来事に対してとことん興味がないのだと。
タブレットを介して、瑠依の厳しいコメントに身を縮める聖の姿を、幸乃は遠くから静かに眺めていた。
◆
「幸乃さーん。また明日会いましょう!」
「また明日」
聖は大きく手を振ると同時に元気な声が幸乃に届く。
街中に声が響き渡り、視線の先に立つ幸乃は群衆の目に晒されるが、鬱陶しいので冷淡な態度を取った途端、相手を見放すような鋭い視線のお陰で、そそくさと免れようとする群衆は怯えながら早足で逃げていった。
「……はあ、いつも、こんな嫌な感じが続くのか」
イメチェンは野外でも効果覿面である。
注目される上に誰も寄せ付けない。頭が悪そうな性格の汚い連中が話し掛けてくるものの、全て蹴散らした。醜態を世間に晒し、自分自身の愚かさを証明する機会は更生の為なのに、結局人は何も変わっていない。
それは皮肉でもあり印象操作が全てを決めるトラップだ。
ギャルという言葉を使えば。バカで遊び人のイメージが想像に付く。一部だけだと思いたいがそうはいかない。個人の認識よりも団体の認識の方が影響力があると幸乃はそう考えている。
簡単に意見を捩じ伏せ、自分の思うように仕向けさせる。
圧力という弱肉強食の世界が蔓延している。
固定された印象は覆らないように、一度でもレッテルを貼られてしまえば、その人に悪態のイメージが勝手に植え付けられてしまう。
金髪の女子高生だなんて。
良い印象が無いのは何故か。簡単だ。良い噂を一切聞かないからだ。
どう足掻いても今の常識には敵わない。
(……金髪だけでイメージが悪くなっているのは仕方ない。一見マイナスに見えるけど、私的には治安が良くなる方だし、それと面白いくらいに人が避けてくれる。でも、入学式の日に口説かれるのは、……気持ち悪かったな)
メリットとデメリットの交錯。
幸乃は今揺らいでいる。彼に真実を伝えるべきか。対してこのまま他人事で終わらせて友達と共に高校生活を送るのか。
「あーあ。自分って優柔不断だな。どっちを選べって言われても、……両方を選んでしまいそう。日比谷くんと一緒にみんなで楽しく高校生活を送れないのかな」
可能性の限りを信じる強欲な意志。
願望が強すぎるのかもしれない。欲張りなのは自分でも理解している。
だけど。
―――バットエンドよりもハッピーエンドが見たい。
悲しい結末は誰も見たくはないから。
「あの人も、……いや、駒込さんにも謝らないといけないな。自分の不注意だったし、私が原因を作った張本人だもの。いつか、明日でも二人に伝えないと」
誰かが悪いんじゃない。
誰かを悪いと決め付けるのがおかしいのだ。
原因を修復したり改善したり、前向きな姿勢が理想の答えだとそう信じたい。
ギスギスした雰囲気が晴れない景色を変える一つの契機は、視界が冴えるように細かい霧を振り払うことをすればいい。
自分自身が迷わないように。
どんな時であっても現実を見失わない。
他人を軽蔑せず、自分を正当化せず、一体何が正しいのかを己の力で見極める。いつも意識していた、当たり前の感覚を忘れてはいけないと。
心の中で契りを交わす。
「……早く、瑠依と智恵に合流しなくっちゃ!」
アンバランスに淀む曇天色に覆う空を無視して、自分を鼓舞する幸乃は駆け足になって前を進み、颯爽としてその場から離れてみることに。
徒競走にも精通している為か次々と景色が移り変わっていく。
風を切ってしまいそうな俊敏さ。フォームは然程綺麗とは言わないが、犯人の背中を追い掛けるシチュエーションを想像したら、いつの間にかコンビニの強盗を捕まえていたことを思い出して、
「あはは、やっぱり警官の娘なんだなー……」
境遇というか。環境下というか。
治安を守る立場の人間に近い幸乃は、他人とは違う価値観を持っている。
今この瞬間、弱い立場の一般人を守ろうとする人達を今日もこの街を駆け巡っていることだろう。終わらない事件に挑みながら、解決してみせるという決意と根性は比べ物にはならないけれど、それでも幸乃は幸乃なりの価値観を抱いて今日を刻む時間の中で確かに生きている。
大切なこの街を。
もっともっと平和にしてみせると。
そんな率直で浅はかな夢でも、この夢は決して偽物なんかじゃない。
―――夢は幻想で終わらせない。望む限り夢は現実へと変われるものだから。
「……ここを通れば近道みたい」
瑠依と智恵が向かう目的地であるカラオケ店。
正道が幽閉されているであろう場所は路地裏の向こう側にあり、その奥には最終地点の駅周辺がゴールとなる。そこまで遠くはないが、二人と共に行動すれば遠回りをしなくて済んだハズ。
わざわざ路地裏を通ることはなかったのに。
しかも一人は心細いという。
「やっぱり、あの時を思い出すね」
光を吸い込む路地裏という名の迷宮。
張り巡らされた仄暗い世界。無音を支配する空間は独特な雰囲気を放つ。
見えないところで影が蠢いてそうな常識が効かない禁足地は人を寄せ付けず、彷徨う者を眩ませ、そして日の当たらぬ場所へ誘う。
いつ見ても不気味だ。同時に過去の希望と絶望を思い出す。
「……今思えば日比谷くんと出会えて良かったかもしれない。今の自分がいるし」
ほんのキッカケがあったから弱い少女は千駄木幸乃になれた。
彼の強さに憧れた自分と。彼のことが好きになった自分。
理由は沢山あるけれど、彼と巡り会わなければ、幸乃はただの操り人形になっていた可能性があった。空っぽの自分のモラトリアムを覆る意味が欲しかったから、瞳に焼き付いた彼の姿はいつまでも忘れられない。
黄昏の日差しを浴びた幻想的な世界は、心の闇を溶かしてくれる。
太陽の輝きのようにみんなを笑顔にしたい。
それが、幸乃の夢だ。
「行こう。今度は私が誰かを助ける番、……なんてねっ!」
次に繋がる為の一歩を踏み出してみる。
単純な探求心が鮮明に蘇っていく。迷路を楽しむ過去の自分は高揚感に満たされていて。かくれんぼの感覚がとにかく懐かしい。そんな可能性の世界を忘れずにいたのは、きっと、無垢な童心を捨てていなかったからか。
何も怖くはない。むしろ心地良い。あまりの懐かしさに心が感傷していた。
どうして。
自分はこんなにも楽しんでいるのだろうか―――?
その答えはとてもシンプルで。
気紛れな神様のイタズラによって、目覚めの物語は再び始まりを告げる。
偶然という瞬間が。
どれだけ末恐ろしいものなのか、『二人』は思い知らされた。
「……日比谷くん?」
「どうして、千駄木がここに……?」




