13話 乙女のカモフラージュ
「あのー、みなさん。この後どうします?」
丁度いい頃合いで聖は声を掛けた。
活気を帯びていた教室は落ち着きを取り戻し、本来の時間を取り戻そうとする。
静寂で満たされる。がらんとした空席の数。
目立つように様相を呈している。長居は出来ないと悟ったクラスメイト達は哀愁を漂う雰囲気から逃れる為に場所を外の世界へ移していく。
活気のある方へ。
明るい場所を好む習性はまるで走光性に囚われた虫のように。
ただただ、彷徨うだけ。
「そうね、そろそろ私達も潮時かしら。ずっと教室には居られないだろうし。そういえば、いつの間にか正道が居なくなっていたみたい」
注目を集めるだけの騒動の最中で。
突然と姿を消した正道の行方。気が付けば歓喜と共に流されていたらしい。
「大丈夫なのかな?」
すると、他人事のような態度で接する智恵は相変わらず声音が淡々としている。
特に心配する必要はないと。
そんな言いたげな様子だった。
「流石にモラルが崩れるような、大きなハプニングは起きないでしょう」
「ふーん……」
クラスで一番、いや、同学年で最も優れた少年。それが神田正道。
正道の影響力は壮大なもので、他の学生さえも意識を惹き付けてしまう。才能の一種は恵まれた環境の賜物だと本人は謙遜しているが。
実際において全てが優れており、欠点という欠点がないのだ。そして、何よりも正しい性格と申し分の容姿が顕著に出てしまい、他の男子の存在が霞むほどの圧倒的な存在では、話題の矛先は彼にしか向けられないのだった。
勝てる要素がないと見極めてしまった男子の行く末。
三年間共に青春を謳歌するか、正道を否定して共に生きていくのか。
自らレッテルを貼るのも随分おかしい話だが。
人はそんなに強くはないと。
幸乃は理解している。
そんな熱い視線を浴びる正道が不在の今、教室はもぬけの殻状態。
数分前では閉めきったガラス越し窓を透過して騒音は止まなかった。行列というかストーカー予備軍に見えてしまったのは幸乃だけなのか。
利益になる条件を呑んだ同士とはいえ。
過剰なほどの盛り上がりについては狂気にさえ感じていた。
「んー。少しだけ神田さんが心配ですね。最近何かと物騒ですし、何か起きなければいいんですが……」
「ちょっと、聖。変なことを言わないでよ。警戒しちゃうでしょ」
微かな配慮を示する聖とは真逆なもので、警戒を怠らなかった瑠依はたとえ冗談のつもりでも常に真剣であり、黒バッグを持ち出しては身構えている。
「……まずは自分の事を心配していなさい」
智恵だけは一貫して冷静を保つ。表情は崩れることはない。
各々の部分にて性格が表に出ている。だがしかし、それは反応の違いに過ぎないという。所々で差異はあるものの、やはり、沸き上がるのは違和感だけで。掴めそうで掴めない一抹の不安が未だに拭えていなかった。
過去の事例が。
次に来る経験に活かしてくれる。
歯車が狂い始めている世界だからこそ、幸乃は一層と警戒を強めていく。温度差のある二人に向けて、自分が感じた見えない違和感を伝えることに。
「思ったことなんだけど……」
これまで視界に入ってきた。違和感の欠片について。
常識だと思っていたものが次第に常識ではなくなる。唐突に招くアンバランスな片鱗を、幸乃は本心を包み隠さずに告げてみせた。
「最近さ、灰空市の人達、情緒不安定になってないかな? なんて言うんだろう。みんな怒りっぽい気がするし、あちこち問題が起きているような気がする。昨日のニュースなんてトラブル関係ばかり報道してるっていうか、なんか、良くない方向に進んでるみたいで……」
「言われてみれば。そうか」
同じ意見を持っている瑠依は世間の現状に危惧しているようで、
「確かに。何かと世間を騒がしているのは、突然人が暴徒化するとか……」
「連日報道している以上、千駄木さんの言う通り、周りが変になっている証拠よ」
隠しきれない暴徒化が表に顕著している。
正常だった人が突然暴走してしまう。狂う人達がいることは間違いない。悲惨な事件が立て続けに起きてしまうと、自然に空気は殺伐を運び寄せていく。
無意識のまま人々は感情を昂らせて。
知らない間、心の奥底に眠っていた本能が暴走と共に目覚めてしまう。
そう。あの時と同じだ。
「なぜか、嫌な予感がする。例えば……」
目の色を変えるような、無意識の執念が幸乃の神経を研ぎ澄ませる。
放ってはおけない。無視はできない。
自分は何をすべきか。
目的から遠ざけようとする恐怖を拒絶して、全身が逆立てる感覚は何かしらの前兆を危惧している。窓ガラスを叩く怪しい風はガタガタと軽快な音を立てて、曇天は青空を覆い被せて、晴天日和だった天気はぐずつきそうになる。
そこで。過去に起きた出来事について、閃いた幸乃は口を噤む。
空気を吸う感覚で話題を逸らした。
「……雨降りそうじゃん」
「ホントだ」
「折り畳み傘は有りましたっけ……。あれ? 折り畳み傘はどこだっけ。おかしいな。ちゃんと持ってきたハズなんですけど……」
慌ただしく持ち物を確認する聖を余所に、腰を据えて思案を巡らせていた瑠依は何かを閃いたのか柔らかい表情を浮かべてみせた。
「そうだ。私に提案があるんだけど、聞いてみちゃう?」
「提案? 傘貸してくれるんですか」
いそいそと黒バッグを漁る中で、意図を汲めず聖は首を傾げてしまう。
だが瑠依が言いたいのは違うものらしい。
「あー、違う違う。私が言ってることは正道についてよ。折り畳み傘なら幾らでも貸してあげるわ。はい。弟の予備の傘だけど、良かったら使って」
「本当ですか!?」
「弟さんの傘なんだね……」
思惑を測っていた瑠依の方は静かに不敵な微笑みをこちらに向けていた。首尾良く作戦が嵌まるのだろうか。物事に対する熱意が伝わってくる。
「……それで、用件は?」
何も動じずに。
これまで淡々とした姿勢を身構えていた智恵に変化が現れる。
旨趣を尋ねる姿。瑠依のよく分からない意見について異議はないらしく、むしろ閃いた提案に賛同するようだ。
迷彩柄の折り畳み傘に感興を覚えた聖が「ミリタリーですね!」と楽しそうにはしゃいでいるその横で、瑠依が模索した提案をカミングアウト。
得意げにしたり顔を瑠依は披露する。
根本にある彼女の明るい部分を垣間見れた気がした。
「まずは二手に分かれましょう。そうね……、私と智恵の二人で正道を探して護衛するのよ。連絡手段についてはこのアプリで活用してほしい」
スマホを前に出して画面を見せて。
普段使うアプリとは違うものだったが、事情を丁寧に説明してくれる。
頬を赤くして。
横目を向いたまま照れていた。
「あー……、実はウチの所で開発したアプリなんだ。両親が会社をしていて、特にSNS、ソーシャル・ネットワーキング・サービスといった分野を活躍してるんだ。あんまり耳にしないと思うけど……」
「あ、私そのアプリ使ってますよ!」
「もしかして、瑠依は良い所のお嬢さんだったりする?」
「……へ?」
興味と関心が強すぎて瑠依は質問攻めに遭ってしまい、無意識で困らせていたのを知らずに二人は最終的に智恵に止められる始末に。
簡単に要約すると。
アプリを使用して正道を探すこと。
どうやら彼の連絡手段がこのアプリケーションしか利用していないそうで、本来みんなが使用しているものとはあえて避けているようだ。連絡を取り合うのを拒むほどの、膨大な集まりで出来た歓喜の悲鳴を聞いてきたのか。
日常から来る恐怖。幸乃はまだ実感したことのない恐怖が待ち受けている。
切望した期待は時に破滅を招く。
人が狂うらしい。
「幸乃さんとのペアですか……、楽しくなりそうですね!」
平和的で無駄な一段落を終えて。
反省を機転に活発になる聖は教室の中で傘を広げてしまった。衝撃で思わず驚いてしまうが、それを見た幸乃は丁寧に畳み直してあげてみせる。
「バランスはいいね。けれどなんで、この組み合わせ?」
きっと問題児コンビを組ませただけかもしれないが。
何も指摘して来なかった智恵のスルー力が光る。多分配慮している方だ。
「区別化するように、神田さんと面識がある二人に分けるようにしてあるわね。私と神楽坂さんはそこまで関わりがないのはネックな部分だけど、意外と悪くはない組み合わせになった。どうして綾瀬さんは私と組ませたの?」
すると、意外な部分を突くような。
互いの着眼点の違いを披露する瑠依の姿がそこにはあった。
「簡単よ。何せ、この中で一番底が知れないじゃない。伊達に度が入ってないし」
「……なるほど」
これまで冷静沈着に静観し。独特の雰囲気を放ってきた彼女。
「バレちゃったか」
規律の乱れを制する厳烈を誇る鬼のクラス委員長、稲城智恵のイメージが覆る。感心する余裕の表情は覆っていた殻を砕けたような、果敢な微笑を窺えた。
つくづくギャップに遭遇すると。新しい景色に驚きが隠せない。
「あーっ! これ伊達メガネじゃないですか!?」
「そうよ」
掛けていたメガネを聖にそっと渡す。
すると硬派だった面影は年相応の女の子に変貌して、ビクスドールのような綺麗な瞳と可愛らしい容姿に遂げる。先程のクールな性格と共に誇らしげに格好を整えた稲城智恵は純情可憐そのものだった。小柄な身長のせいか、頭をナデナデしたくなるのはどうしてだろう。
「……可愛い。小動物みたい」
「分かる。抱き付いて守ってあげたい……! って感じになるわ」
平和ボケをかます幸乃と瑠依とは別に。
これまでの尖った態度を思って一人反省をする智恵が、年相応の気難しさを象徴するような、初々しさを感じさせた。
「伊達メガネを掛けていたのはほんのカモフラージュよ。注目されたくはなかったから、こうして地味に見せていた。私達しか居ないから言えるけれど、友達だから言えるの。気分悪くしたなら、謝罪するわ。ごめんなさい」
「ごめんなさいって、そんなことないですよ、智ちゃん!」
「と、智ちゃん……? え、なんで頭を触るの。どうして撫でるの。え?」
「えへへー、お人形さんみたい~」
別の意味で聖は暴走してしまい、智ちゃんこと智恵は自身の容姿の可愛らしさに実感しておらず、困惑して状況が鵜呑みできていない。
これでは流石に埒が明かないので。
「やっぱり聖とペアになって貰っていいかな。幸乃は安全だと思うんだけど……」
「……否定はしないかな」
渋々承知。
正道を護衛するペアが決まった。
四人しか居ない教室なのに賑やかは健在。廊下の方ではまだ活気は残っている。それ以前として先輩達が普通に部活をするという珍しい事態に遭遇しており、楽器の奏でるメロディと掛け声が微かに聞こえてくる。
今日は入学式だったと静かに振り返れば。
案外、騒がしい方だと思う。
「苦しい。……む、胸の圧が」
歯止めが効かなくなった聖が智恵を抱き付いては二人を困らせ、智恵も智恵で胸に埋められた感覚に、何かがプツンと途切れたような、心ここに有らずを浮かべる彼女は自分しか知り得ない、絶望に染まるを浮かべた真っ白な姿が印象的だった。
―――早く外に行こう。
心の中でそう決心した幸乃は、準備の順応さを更に磨いていった。




