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第4章 出会いと四日後に予定された死(2)

「平日午後の皇城は、思ったより人が少ないですね」

「イリィチャ令嬢が静かにご覧になりたいかと思い、人の少ない場所を選びました。

……時勢のせいもあります」

「あ……」


そうだよね。帝国はつい一ヶ月前まで内戦中だったもの。

三分の一近い貴族が命を落とし、爵位を剥奪された者もいるとか。


実際の帝国貴族の数を考えたら、膨大な数字だった。

七皇子が予想外の勝利を収めたせいだ。


――そして七皇子アルブレヒトの側には、この男がいたのね。


たかが騎士の家から連れてこられた、七皇子の侍童じどう

それは、卑しい身分の七皇子を嘲笑うためだったと聞いた。


皇子が七歳で、エーリヒが十歳の頃の話。


……だから、エーリヒがエルかもしれないと思ったんだ。

十四年前のエルと同じ年齢だったから。

病が治ったエルが侍童になったのかもしれない――

そんなあり得ないことを、ほんの少し期待していたから。


私は心の中で首を振った。

よくない。皇城に来ても、こんなにエルのことばかり考えているなんて。


そのとき、エーリヒが柔らかな声で尋ねてきた。


「イリィチャ令嬢はリューネの日について、ご存知ですか?」

「オブロフの収穫祭に似た日だと聞いています。

帝国では、毎年皇城で盛大な舞踏会が開かれますよね?」

「はい。新年舞踏会と肩を並べる格式があります。

今回はご存知の通り、アルブレヒト殿下の戦勝記念も兼ねます」


そう。すべての問題の始まりね。


「楽しみですね」

「実は、私は舞踏会にほとんど参加したことがありません。踊りも得意ではありませんし」

「あら、そうだったのですね」


どういうつもりで、そう言っているのだろう。


当然、ずいぶん無礼な申し出をしているという自覚はあった。

無礼な使節を前に、苛立ちや不快感を隠しきれなくてもおかしくない。

それなのに……エーリヒは最初から変わらず丁寧で、気遣いすら忘れなかった。


「ちょうど、パートナー探しに困っていたところでした。

そんな折に令嬢が申し出てくださって、助かりました」


望んで引き受けたわけではないはずなのに。

それでも彼は、私が気まずくならないように、自然と言葉を添えてくれる。


……不思議な男。


「そう言っていただけて嬉しいです。私こそ、よろしくお願いします」


もちろん、全部演技かもしれない。

でも、私が見抜けないほどの演技だとしたら――

この人は騎士じゃなくて、俳優をやっているのだろう。


なにより、見ていれば伝わってくる。

愚直なまでに、まっすぐな人だ。


だからこそ、あのアルブレヒト皇子が唯一心を許したのだろう。


私は彼の横顔をちらりと盗み見る。


――七皇子のもっとも信頼厚い『剣』。


包容力と忍耐力、そして的確な判断力を備えた内戦の功臣。

アルブレヒト皇子の唯一無二の親友。


――じゃあ、私はどうすればいい?


私は今もずっと、激しく葛藤している。

エーリヒはエルじゃない。

この状況で、『あの』父に逆らってでも、この人を救うべきなのか?


その瞬間だった。

小走りの足音と、わずかな衣擦きぬずれの音。

視線を向けると、若い従者が銀盆を捧げ持ち、こちらへ駆け寄ってくる。


「イリィチャ令嬢、殿下よりお届け物です」


銀盆の上には、白い封筒。

名前を確認すると、間違いなく私宛だった。


「これは……」


指先に伝わる上質な紙の質感と、帝家の紋章――黄金のライオン。

封を切った瞬間、整った文字が目に飛び込んできた。


《リューネの日、戦勝記念舞踏会へのご招待》


送り主の署名は、アルブレヒト・ルイス・ヴァルトヴィン・フォン・ローゼンハイト。


……なるほど。

私がここに来たこと、もう報告が行ってるのね。


「殿下直々のご招待状ですか」

「ええ、そのようです」


一筆の乱れもない、端正な書体だった。

均一な筆圧で書かれた署名は、流れるように滑らかだが……。

一画一画に込められた力が、胸の奥をざわつかせる。


異母兄弟たちを粛清し、内戦を勝ち抜いた男。

伊達ではないということね。


わざわざこのタイミングで送ってきた、というわけだ。

どこにいても見ている、という警告のつもりで。


指先に、じわりと熱が灯る。

怖い、とは少し違う。


「こうして直々に招待状までお送りいただけるなんて……。

感謝しなくてはなりませんね。舞踏会が、本当に楽しみです」


――つまり、これは招待状の形を借りた『果たし状』に近い。


帝国の次期皇帝から届いた、果たし状だなんて。

あまりに胸が躍るじゃない?


私はふっと笑みを漏らした。


「そういえば……ここに来てから乗馬ができなくて……。

少し太ってしまったかもしれなくて、心配です」


帝国に来てから悪女ごっこをするのが、意外と性に合っていたせいで、つい……。


「イリィチャ令嬢は、乗馬がお好きなのですか?」

「もちろんです! オブロフ人ですもの」

「そういえば、最高の品種として知られる『カランデケ』も、オブロフが原産でしたね。

アルブレヒト殿下も一頭、お持ちです」

「まあ! 七皇子殿下が、カランデケを?」


カランデケは、極地から砂漠まで駆ける名馬の品種。

純血は大邸宅と同じ価値を持つほどで、私も父の馬を借りるくらいしかできない。

それほど貴重な品種だ。


「殿下は乗馬を愛され、その黒馬を大切にされています」

「黒馬ですか……? てっきり白馬かと」


肖像画でしか見たことはないけれど。

プラチナブロンドの髪に青い瞳って、まさに典型的な王子様なんだよね。

黒馬に乗る金髪の王子様なんて、ビジュアル的にかなり違和感があるんじゃない?


エーリヒがふっと笑った。


「実は殿下は、白馬をあまり好まれません。

白馬が似合うという先入観を嫌われるのかもしれません」


やっぱり、そう思っていたのは私だけじゃなかったのね。

アルブレヒト皇子が嫌がる理由も、少し分かる気がした。


……でも、本当にどうすればいい……?


私は首筋に触れる。

高く上がった襟の内側で、丸い真珠の感触が伝わってくる。


――父からもらった、防御魔道具。

その感触は、今日は特に大きく感じられた。


「エーリヒはどうですか?」

「私の馬は茶色で、健康で温順な子です。クローバーが好きなので、クレと名付けました」

「素敵な名前ですね! いつかクレと会ってみたいです。皇子殿下の馬と一緒に」

「もちろんです。次の機会に、ぜひご一緒しましょう」

「お誘いいただけるのを楽しみにしています」


そう言いながらも、私は沈みそうになる声を隠した。


『次の機会に』と自然に未来を口にするあなたは、知っているの?

四日後に死ぬということを。


彼の瞳を見つめながら、私は再びエルを思い出してしまった。

エル、優しかったあなたなら、誰かを救うのは当然だと言うのだろう。


……もうやめよう。

ずっとエルとエーリヒを重ねて見るのは、エルにも、エーリヒにも失礼だし。

それに、エーリヒ本人も魅力的な人だから。


――やっぱり、私は穏やかで優しい男が好みのようだ。


だから……私は決心した。


――この人を、救う。


たとえそれが、父の目論みに逆らうことになるとしても。


「あの、エーリヒ?」

「はい」

「舞踏会場を、事前に見ておくことはできますか?」


まずは、会場を確認しないと。

しかしエーリヒは、少し困ったような顔をした。


「大舞踏会場は特別な日にしか開放されないと聞いています。

私がイリィチャ令嬢をご案内できるかどうかは……」

「お願いします。中には入れなくても構いませんから、外側だけでも見たいんです」


静かな瞳が、私を見つめ返した。

飛んでくるだろう質問に備えて、私はいくつも言い訳を用意していた。

けれど、エーリヒは理由を尋ねなかった。


「外側なら……ご案内できそうです。承知いたしました。

それでは参りましょうか?」

「ありがとうございます!」


差し出された手の上に、私は軽く手を重ねた。


エーリヒが命を落とすのはリューネの日、爆弾から皇子を守るため。

テロを企てるのは、今牢獄に囚われている三皇子だ。


手袋越しのぬくもりが、胸の奥をくすぐった。

そして、そのぬくもりに重なるように、秒針が動く音が聞こえた気がした。


――死に向かうカウントダウンの。

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