第8章 皇子殿下の内閣は、どうやらブラックらしい(3)
「冊封式の準備はどうなっている?」
「滞りなく進んでおります。
招待状を送った各国からも、出席の確約を得ております。
使節団の規模は、数百名に及ぶ見込みです」
「名簿は入手したか?
各国の使節が集う場だ。
アウフェンバルトの名に恥じぬよう、万全を期せ」
「はっ!」
……リューネの日の件もあった。
今度こそ、失敗は許されない。
鋭い眼差しで全員を見渡す皇子に、皆が一斉に頭を垂れる。
オブロフ?
私がいるから追加派遣はしないと、大使が返答していた。
即位式でもないし、父がわざわざ来るほどの格でもないしね。
……でも、どうして私が大使より働いてるの?
あの人はすっかり元の体型に戻って、のんびり過ごしているのに!
諦めれば楽になる――。
そんな悪魔の囁きが聞こえたけど、無視する。
いつか絶対に逃げきってみせる……。
だって、もう五時間も会議してるんだよ!?
もう無理ーっ!
「本日の会議はここまでとする。
諸君の労に感謝する。解散せよ」
……やっと!
長時間に及んだ地獄の会議が終わり、皇子が立ち上がる。
秘書役のシュレスホルツ令嬢も、その後に続いた。
彼女って、侯爵令嬢だったっけ。
そういえば、まだまともに話したこともない。
内閣にいる女性は、私と彼女のたった二人なのに。
「殿下、次は二十三分後、公的支援に関する案件が――」
「分かっている。時間がない。すぐに移動する」
「かしこまりました」
……今みたいに、話す余裕すら与えてくれないんだから。
彼女は貴族令嬢にしては珍しく、短めの茶髪を低い位置でひとつに束ねていた。
話すたびにその髪が揺れ、隣では皇子が足早に歩を進めていく。
どう見ても、次の予定もびっしり詰まっているようだ。
ほんと、疲れないの?
二人とも、本物の仕事中毒だよ……。
私は無理。
新調した真っ白なコートを羽織ろうとした、その時。
声をかけられた。
「エカテリーナ、この後、何か予定はあるか?」
銀髪によく映える銀灰色のコートを、ぴしりと着こなしたフランツだった。
「ううん、特にないけど?」
「ちょうどいい。せっかくだし、一緒に夕食でもどうかと思ってな。
人数が集まれば賑やかだろう?」
「美味しい店なら?」
「もちろん」
「じゃあ、行こうかな」
「ははっ、気持ちのいい返事だな。エーリヒ、お前は?」
「僕もいいよ」
エーリヒが柔らかく微笑むと、フランツは嬉しそうに彼の肩をぽんと叩いた。
「最近あまりに忙しそうでさ。顔を忘れかけてたんだよ」
「会議で毎日顔を合わせてるでしょ?」
「だから、ぎりぎり忘れずに済んでるってわけだ」
「フランツの言う通りだな。
会議以外では、顔を合わせる暇すらなかった」
「じゃあ、五人だな。よし、行こう!」
――内戦で皇子を支えた、七人の小人……いや、『七本の剣』。
皇都カイザースベルクで、彼らの顔を知らぬ者はいない。
何しろ見た目からして、ものすごく目立つ。
派手な制服姿でぞろぞろ歩けば、なおさらだ。
味に定評のあるレストランは、夕食時とあって満席だった。
それなのに私たちは一番良い席へ通され、これでもかというほど丁重にもてなされた。
……レストランのオーナーからしたら、もはや災害級の迷惑集団よね。
「二次会はどうする?」
青ざめた店主を尻目に、フランツがにこにこと笑いながら言った。
「これから飲みに行こうってこと?」
「せっかく集まったんだ。
このまま解散するのはもったいないだろう? バーでもどうだ?」
「俺は構わんが……エカテリーナは大丈夫か?」
「平気平気。どうせ使用人としか一緒に暮らしていないし。
繁華街なら馬車もすぐ捕まるしね」
――そう。
私は今、オブロフ公館を出て、小さな一軒家を借りている。
狭い庭のついた、本当にこぢんまりとした家だけど……。
それでも、人目を気にせずにいられる。
体裁を取り繕わなくていいというのが、どれほど楽なことか。
小言ばかりで告げ口の多い大使から解放されたというだけでも、天国だ。
しかも、皇城からも近いしね。
使用人も、ユルゲンを通じて紹介してもらった二人。
私がどんな奇行をしようと、誰と遊ぼうと、大使の耳には届かない。
ユルゲンの耳にだけ入るという算段だ。
――二十年間、統領の娘として生きてきたんだもの。
こういう仕組みくらい、嫌でも分かる。
どうせ私の情報は漏れる。
だったら、あえて監視のど真ん中に身を置いた方が、かえって楽というものだ。
父の情報部からは逃げられなくても、大使の詮索は遮断できる。
要するに、毒をもって毒を制すってやつ。
――ユルゲンに「使用人を紹介して」と頼んだ時の、あの呆れた顔……。
思い出すだけでも、ちょっと笑える。
「何をそんなに考えているんだ?」
「……ただ、帝国って本当に面白いなって」
そう答えながら、いい店を知っていると先頭を切って歩いていく、フランツの銀髪を見つめた。
思わず、口元がほころぶ。
「はしゃぎすぎだな、あいつ」
マティアスが、まるで保護者のようにため息をついた。
私は笑いながら、その背を軽く叩く。
「たまにはいいじゃない。楽しいのが一番だよ」
「……まあ、そういうことにしておこう」
小さなため息とともに、私たちは並んで歩き出した。
石畳に響く靴音と、通りを走る辻馬車の車輪の音。
――帝都の夜は、これからが本番だ。




