第6章 真珠はほどけ、運命は絡む(3)
「しかし……どちらも数年経たずに死に、姉上は再び宮殿に戻られた。
そして、もう結婚はしないと宣言された。
そうしなければ、三度目の結婚になるのが確実だったからだ」
「……」
「周囲からも、姉上と結婚する者は必ず死ぬという、不吉な噂が流れた。
それが幸いして、姉上の願いは叶った。
それが、三年前のことだ」
やっぱり、力がなければ自由すら持てないのか。
私は小さく、重いため息を吐いた。
改めて、自由恋愛派――ひどく奔放な父の存在がありがたく思える。
私に家門のための政略結婚めいたものを、強制しなかったのだから。
まあ、庶子というのもあるだろうけどね。
「そして当時のエーリヒは、姉上に求婚するには若すぎて、身分も低かった」
「そうでしたか」
それは私も予想していた。
エーリヒは騎士家門の出。
平民よりは上でも、帝国の皇女とは天と地ほどの身分差だ。
「しかし、エーリヒが子爵になってからも、二人は近づけなかった」
「なぜですか?」
「……姉上は既に二度も結婚し、しかも独身まで宣言していた身だ。
だから自分がエーリヒの側に立てば、彼の評判が下がると心配しているのだろう」
「そんな……」
「自分は年も上だし、欠点のある身だ。
もっと若くて素敵な女性と出会った方が、エーリヒには幸せだ――そう考えているのだ」
***
二人きりの場に、小さなため息が落ちた。
無言の同調のようだ、と彼は思う。
まったく考えたこともない相手に、こんなにも話すとは。
自分でも、理由が分からない。
それでも、アルブレヒトは止めることができなかった。
力のない皇子として生まれ、常に暗殺の脅威にさらされた日々。
彼が心を許せる相手は、姉とエーリヒだけだった。
その二人が互いを愛していると知りながらも、何一つ助けられなかった。
無力な自分が、あまりにも辛かった。
それは、アルブレヒトが最も触れられたくない――逆鱗。
弱点になり得ると知りながら、誰にも話さなかった。
なのに、なぜだろう。
「そして、エーリヒも同じだ。
姉上が二度も心にもない結婚を強いられ、どれほど苦しんだかを知っている。
独身を貫くと宣言した姉上が、もし今になってその言葉を翻せば……」
「……口さがない者たちに、指をさされるでしょう……」
「その通りだ。エーリヒは、姉上が再び傷つけられることを恐れているのだ」
――おかしい。
適当にごまかせばいいはずなのに。
なぜ俺は、こうも素直に話している?
アルブレヒトは、彼女の赤い髪の先を追うように空を見上げた。
……もしかして、俺は――
この息苦しかった心を、誰かに吐き出したかったのかもしれない。
「お互いを想いすぎて、逆に近づけないのですね」
「……俺はエーリヒに、一年以内に少なくとも伯爵の爵位を与える。
そして、二人の結婚を命じるつもりだ」
「命令……ですか?」
「もう、息苦しく見ているだけでは耐えられない。
伯爵なら、身分差がどうこう言われることもあるまい。
俺は……今まで不幸だった親友と姉に、幸せになってほしい」
彼の言葉には、強い渇望と意志が込められていた。
凍てついていた淡い青の瞳に、初めて温かな光が宿る。
氷を削り出したような顔に、ほんのりと熱が差した。
エカテリーナは、彼の顔を黙って見つめた。
――こんな顔もするんだね、この男。
その視線に気づいたのか、アルブレヒトはすぐ口を閉じる。
「は……部外者に、あまりにも多くを話してしまったな」
彼がばつが悪そうに髪をなでつける。
エカテリーナはしばし考え、突然くすりと笑った。
「部外者だからこそ、むしろいいのではないですか?」
「どういう意味だ?」
「私がこんな話を聞いたところで、利用価値はありませんから。
だって、『部外者』ですもの」
何の飾り気もない、心からの笑顔だった。
アルブレヒトは、無意識に唇の端をわずかに上げた。
この女性には、他の者にはない何かがある。
妙に引き寄せられるものが。
……あまり認めたくはないが。
「……それは、そうかもしれんな」
しぶしぶ、といった様子だった。
すると、エカテリーナの微笑みはなぜか一層濃くなった。
「……?」
何だか、ろくでもないことを思いついた顔だ。
アルブレヒトが妙な胸騒ぎを覚える。
その間にも、彼女の肩が揺れ始めた。
その揺れは収まらず、だんだん大きくなる。
やがて笑い声が、爆発した。
「ふふっ……あっははははは――!」
「……なぜ笑うのか?」
***
――あっ、いけない。
緊張がほぐれすぎた。
どうやら機嫌を損ねたらしいアルブレヒト皇子に、私は慌てて弁解した。
「あの、違います! 嘲笑っているのではありません!
実は私、帝国での振る舞い次第では、殿下に嫌われる覚悟もしていました。
ですが、舞踏会場でお会いした殿下は……思っていた以上に手厳しい方でしたの」
「……」
「今やっと、理由が分かりました。
私、牽制されていたのですね?
エーリヒと皇女殿下の間の邪魔者になるかもしれない、と」
「それは……!」
声に、生々しい動揺がにじむ。
急所を突いたのだと、すぐに分かった。
私は笑いをこらえた。
――そんな幼稚な理由で、公的な使節にあれほど冷たく?
この冷静な皇子が?
暗闇の中でも、彼の顔が真っ赤に火照っているのが分かる。
再び笑いがこみ上げて、私は唇をひくひく震わせた。
だが、彼も鋭く反撃してきた。
「そう言うそなたは、実際エーリヒに気があったのではないか?
好意を示しているように見えたが」
「……全くなかったとは言えませんけど」
私は少し肩をすくめた。
「でもこの前、城でエーリヒと皇女殿下を見ました。その時から気づいていました」
「そうか」
「ええ。エーリヒは本当にいい人ですし、もし皇女殿下がいらっしゃらなかったら……
興味は湧いたかもしれません。
でも、無理に割り込んで、愛し合う二人を引き裂こうなんて思いません。
だから、ご安心ください、皇子殿下」
自由恋愛派とはいえ、他の女性を想う男性は好まない。
奪うつもりもない。
……好みではあったけれど。
真っすぐで、優しい人。
失恋まではいかないけれど、少し残念。
――それくらいの感じ?
噴水の音が、静かに響いていた。
遠い灯りが夜の庭を淡く照らし、どこかでフクロウの声がする。
しばらく無言で私を見つめていたアルブレヒト皇子が、静かに腕を差し出した。
「帰ると言っていたのではないか?」
「あ、はい。それはそうですが」
その腕は明らかにエスコートの合図。
でも、ここは舞踏会場じゃないし?
彼が私をエスコートする理由なんて――と迷っていると、彼は軽くため息をついた。
「足、捻挫しているだろう。
歩くのがつらいはずだ。馬車まで支えてやろうという意味だ」
私は一瞬驚いて、彼を見上げた。
彼の目は、少しだけ長く私を見つめ返していた。
「えっ……? どうして分かったんですか……?」
「その程度のことは分かる。
――そなたが今までわざと変な行動をした理由は、まったく読めなかったが」
「あら、今は読めたんですか?」
私はわざと目を丸くした。
純粋なカーチャは何も知りません、という顔。
その表情に、彼の眉がぴくりと動く。
『なぜ俺がこんなものを見ねばならない』と言いたげだが、どうにか堪えているらしい。
「そなたが教えてくれない限り、推測に過ぎない。
だが、そなたはエーリヒと俺を救うために、わざとああしたのだろう。
――違うか?」
私は答えずに、にっこり笑った。
それこそが何よりの答え。
すると彼は、自分の態度を思い出したように頬を赤らめ、ふいと顔を背ける。
あ、恥ずかしがる美男子の顔って、見ごたえがあるよね?
もっと見せてくれないかな?
――残念。どうやら、見せてくれなさそうだ。
青い血を引く、帝国の悪魔。
今までは、ただ血に飢えた皇子だと思っていた。
でも今なら少しわかる。
なぜエーリヒが彼の話をすると、あんなに優しい顔になるのかを。
……私は微笑みながら、そっと目を閉じた。
すでに外れたはずの予測。
それでも私は再び、その先に記されていた内容を思い出してしまう。
《七皇子アルブレヒトにとって、エーリヒ・ハルデンベルクは唯一の理解者であり、親友》
《自らの油断によって親友を失ったアルブレヒト皇子は――
以後、生涯にわたって誰も信じることができず、より苛烈になっていくものと推測される》
そして、その後に続く一文。
《アルブレヒト皇子の即位後、三年以内に反乱・内戦が起こる可能性は非常に高い》
――そしてオブロフの統領である父は、それを願ったのだろう。
「……行かないのか?」
声が耳に届く。
顔はわざと別の方を向いている。
けれど、腕はまだ差し出されたまま。
耳が真っ赤だ。
背けた顔も、きっと火照っている。
私の口元がゆるむ。
思わず唇の端が上がった。
私はドレスの裾をつまみ、優雅にカーテシーをした。
「光栄です、皇子殿下」
微笑みながら、アルブレヒト皇子の腕にそっと手を添える。
歩幅を合わせるため、彼は無言で速度を半拍落とした。
石畳の端を避けるときだけ、支える手にほんの少し力がこもる。




