第6章 真珠はほどけ、運命は絡む(2)
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私は彼らを静かに見つめてから、誰もいないテラスへ向かった。
そして、ずっと堪えていた長い息を吐き出す。
「あぐっ…… いった……」
やっぱり高いヒールなんて、履くんじゃなかった……!
……この前、皇城に来たときも似たようなことがあったような……。
もしかして、私の足首とこの皇城は、どうにも相性が悪いらしい。
見事に伸びた十二センチヒールは、確かに美しかった……けど。
もっと低い靴にするべきだった。
人は愚かで、同じ過ちを繰り返すという。
――まさに、今の私。
足首がじんじん痛む。
触れば分かるほどの腫れ。
……捻挫だね。
すぐ処置していれば、ここまでひどくはならなかっただろうけど……。
恥に負け、気づかれないよう引きずったのが裏目に出たわけだ。
だって、あの深刻な状況で言えるはずないでしょう?
緊張の糸が切れた瞬間、足を踏み外したんだ。
防御魔導具が無事に発動したのを見て、「よかった……!」と踏み出した、その一歩。
――そこで、『ガクッ』と華麗に捻挫、なんて。
絶対に言えない。
人が白鳥を優雅で美しいと思うのは――
外からはただ水面に浮かんでいるように見えるからだ。
その下で、必死に水を掻いている足など見えないからだ。
……まあ、もう幕引きの空気だ。
帰ってから氷で冷やし、明日医者を呼べばいい。
問題は……あの広い会場を横切って、馬車まで歩くことね。
ううっ……考えただけで恐ろしいっ……!
私は覚悟を決めながら、目を閉じた。
その瞬間、唇が強く引き結ばれる。
考えまいとしていた、さっきの悲惨な光景が……ちらつく。
私は呻きを再び飲み込んだ。
――会場を染めあげた、暗赤の血の海。
あちこちに散らばった、三皇子だったはずの、肉片。
もし魔導具が発動しなかったら――あれは私とエーリヒ、そしてアルブレヒト皇子だったはず。
ひどい吐き気がする。
「うううっ……」
生まれて初めて目にした、恐ろしい光景だった。
喉が熱い。
込み上げる空えずきを、必死に飲み込む。
理由はただ一つ。
――私は、白鳥でいなければならないから。
悲鳴を上げて気絶し、運び出されても許される令嬢にはなれない。
私は父がいなければ……何の権利も保証されない庶子にすぎないのだから。
深呼吸する。
よし、やっと少し落ち着いた。
……落ち着いたら落ち着いたで、考えたくないことまで戻ってくるんだけど。
アウフェンバルト帝国まで来たのに、エルには会えなかった。
でも、エーリヒは助けられた。
目標は達成、ということにしておこう。
でも問題は……父だ。
父が怒る姿を想像するだけで。
頭のてっぺんから爪先まで、冷たいものが流れ落ちる。
今でも逃げた方がいいのかなって、思ってしまうほどに。
帰れば大使にぐるぐる巻きにされ、オブロフへ送り返されてしまうかも……?
自宅軟禁で済めばいいけど。
本気で怒ったら、六十過ぎの男の後妻に差し出すとかもしれない……。
想像するだけでゾッとする。
やっぱり一刻でも早く脱走を……。
「ここにいたのか」
震えていた指が、ぴたりと止まった。
私はゆっくりと体を回し、声の主へと向き直る。
「あら、お客様ですね」
泰然とした言葉に、男の眉がわずかに動いた。
「客は俺ではなく、そなたの方だと思うが?」
「もちろん理屈で言えば、殿下がこの城の主で、私はただの賓客。
――でも今の状況では、私が先客ですわ」
「本当に、よくしゃべる口だな」
彼が呆れたように言いながら、頭を横に振った。
月のない真っ暗な夜。
遠い灯りが淡く差し、整った輪郭が浮かび上がる。
白金の髪が、静かに光っていた。
しばしの沈黙の末、彼が口を開いた。
「姉上が、そなたに本当に感謝していると。
先程は慌てすぎて、礼の言葉さえ言えなかったとおっしゃっていた」
「それは恐れ多いお言葉です」
「正式に感謝の挨拶をしたいので、ぜひ自分の招待を受けてほしいとおっしゃっていた。
そして……」
小さくため息をついてから、アルブレヒトは言葉を続けた。
「俺も、そなたに深い感謝を表したい。
そなたは、俺とエーリヒの命の恩人だ。
いくら礼を尽くしても足りないだろう。本当に、感謝する」
アルブレヒトは、拳を握った右手を左胸に当て、深く頭を下げた。
視線は彼の肩で一瞬だけ止まった。
「……!」
私は目を大きく見開いた。
帝国の皇子である彼が、私に直接頭を下げるなんて。
……『見てやる――』と思ってはいたけどね。
驚いた私は、慌てて手を振った。
「皇子殿下が、こんなことで頭を下げるなんて……!
そんな必要は全くありません。
正直、感謝の言葉すら期待していませんでしたし」
「……何だと?」
「あっ、いや……しまった?」
脳を経由せず、口が本心をそのまま吐き出してしまった。
――わぁ、やっちゃった……。
今日はあまりにも酷使したせいで、疲れた脳がストライキ中なんだ。
でも、言い訳にはならないな。
横からの視線が、とても熱い。
私はその刺すような視線を避けて、そっと顔を背けた。
正直、少しも期待していなかったのに。
こんな傲慢な帝国の皇子様が私に頭を下げるなんて……。
だって、相当嫌われていたから。
まさか、予想が外れるなんて……。
「そうか……」
恩人だから、我慢してくれているのかな。
彼は何か言いたげで、それを堪えているようだった。
唇を引き結びながらも、アルブレヒトは黙って顔を上げる。
長いまつ毛が、顔に薄い影を落とした。
それを見て、私は再び感嘆した。
緊張がほぐれると、彼の容姿の美しさに改めて気づかされる。
なんで男のまつ毛がこんなに長いんだ?
まつ毛だけじゃない。瞳、髪の毛、そして汚点ひとつない白い肌まで――。
……こんな美貌、あり得るのか?
本当に、私と同じ人間なんだよね?
すらりとした体つきでも、肩は適度に広く、腕はしっかりしている。
なのに、どこか繊細だ。
アーデルライド皇女も、妖精や天使のように美しい。
けれど、彼はそれを超える。
まさに、完璧。
この美貌なら、博物館にでも飾って鑑賞すべきじゃないかしら?
なのに、この美男子が皇位戦争の勝者で、次の皇帝になるなんて……。
世の中、不公平すぎない? 本当に。
私は話題を変えた。
「私に聞きたいことが山ほどおありなのは、お察しします」
「もちろんだ」
「ですよね。でも、今お話しするには慌ただしすぎます。
日を改めて、きちんとお話しさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「うむ」
「一度の説明では終わらないでしょう。
さっきの神経質――いえ、堅そうな方には特に。
どうせなら関係者をすべて揃えて、いっぺんに済ませた方がいいでしょう?」
アルブレヒトの肯定を聞いた瞬間、内心でほっと息をついた。
足首の痛みが、急に強くなったせいだ。
気取られないように、そっと扇で口元を隠した。
……もう少しだけ我慢して、私の足よ。
本当に、二度とこんな高いヒールを履くものか。
「実は、私も気になることがありました」
「何だ?」
「うーん……少々おこがましいのですが、どうしても聞きたいことがあります。
皇女殿下とエーリヒ……。あれはどうしてなんですか?
側にいれば誰でも気づけるほど、二人がお互いを大切に思っているのに」
少し口が苦くなったが、私はそれを認めざるを得なかった。
アーデルライド皇女とエーリヒが同じ空間にいるだけで、空気が切なくなる。
帝国に来てまだ間もない私でさえ、一目で気づく。
ならば、他の人が気づかないはずがない。
皇女の方が少し年上だという話は聞いた。
それでも、皇子の信頼する親友と、彼の愛する姉の結びつきは理想的なはず。
なのに、どうして……?
やっぱり身分のせいか?
暗闇の中、彼がわずかに唇を噛むのが見えた。
「……姉上は、二度も政略結婚を強いられた。
俺の勢力が弱かったせいで、まともな縁談もなく……。
年上の貴族の後妻として嫁がなければならなかった」
帝国の皇女なのに。
想像以上だった。




